「天使が悪魔になる日 14」
白い粉が舞い降りて、顔をあげる。雪でもふりはじめたのかと考えたのは自然な成り行きだ。空をあおいで―――絶句した。
一人がそんな仕草を見せれば、残りの二人も気づく。一体どうしたのかと空を仰いだ一人が同じ様にかたまり、最後のひとりも同様だった。
見上げた空に広がっていたもの。それは。
どの地域でも、どの地方でも、どの国でもありふれたもの。どこにでもあったもの。
かつては誰もが見たことのあるものだった。
天を仰いだきり、絶句して硬直している三人の隣を、その様を面白そうに見やる人々が行き過ぎていく。彼らの顔にはこんなところでなにをという当然の疑念はない。そう、この国に来た誰もが一度は感じることなのだ。
ケリーはおどけたように笑って、手を広げた。
「ようこそ、この世でもっとも古き神秘の国、竜の尾へ!」
§ § §
「……おどろいた……。ほんとに驚いたわ」
次の街で、昼食のため料理屋に入ると、茘枝はそう呟いた。
「私もです。まさか、こんな国だとは」
スクエアは目をほそめて、料理を持ってきた「モノ」を見つめる。そして深いため息をついた。
「……ヘプライト、ちょっと聞きたいんですが、これ、見えます?」
「……見える、けど……なんだねそれ?」
「……さあ……?」
スクエアは曖昧にわらう。
小さな白いつむじ風。
料理の皿を運んできたように見えるのは、そういったものだった。生き物かもわからない。
―――いやもっとわからないのは、それをさも当然のように騒ぐことすらしないこの国の人間だ。
料理屋にはそれなりの人数が入っていた。なのに、料理を運んでくる白いヒトでない生き物に、誰も騒ぎ立てない。
……慣れているというのが正しいかもしれない。
なんせ、ヘプライトの頭には白い靄がかかっているし、スクエアの膝にはなんだか暖かいピンク色の何かが鎮座しているし、茘枝の肩にもブルーの小動物が……あ、手を振った。
スクエアは頭痛を感じて手に額をうずめた。
ここへ来るまでの道中、また今も見渡した料理屋じゅう、どこもかしこもそんな生き物ばかりで、子どもの悪夢にさまよいこんだようだ。
「……ケリー。これは何ですか?」
ケリーはさらっと言った。
「魔法使いの言うところのエナジー。その凝固したものだよ。まあ、湿度に対する結露みたいなものだ」
ケリーはあっさり言ったが、右手で机の上にのった狐に似たモノの喉を掻いてやってるのだから、まったく説得力がない。
「……結露は料理の皿を運んだりしませんよ。喉をなでられて喜んだりもしません!」
「そうだな、じゃ、説明してくれ」
「……はあ?」
「魔法使いだろ? だったらこの状況に俺よりずっと論理的な説明つけられるんじゃないか?」
「……あなたたちはコレをなんだと思ってるんですか?」
「いちおう、精霊といってるな。……ちがうのか?」
「……この場には、私より魔法学の真髄まで精通した人物がいるでしょう?」
スクエアは茘枝にバトンタッチした。平たくいえば自分の知識じゃ歯がたたないから、押し付けたのだ。
生まれたときからこんなのが普通だったら、そりゃあ疑問に感じる心も磨り減って当然だろうが、スクエアは外の人間なのだ。こんなあったこともないものを見たり聞いたりする経験をしたら、疑問に思ってしまうのだ。
ずっと沈黙していた茘枝は、頭のなかで考えをまとめていたのだろう。水を向けられると、初めて気づいたように顔をあげた。
慎重に、考え考え、言葉を吐き出す。
「エナジーが許容量をこえて、いわば結露のように凝固した……その考えは間違っていないと思う。……ただ、私たちが便宜上言ってる精霊と、これはまったくの別物。どちらが本物の『精霊』かはわからないけれど……、まるでちがうということだけは、たしか」
「魔術師がいう精霊ってなんだ?」
「ものに宿る意志」
答えは簡潔だった。……簡潔すぎて意味がわからない。
「魔術師には水が得意なひと、火が得意なひと、いろいろいるわ。また、その日の調子で、今日は火の精霊がくずっている、とかいうの。水が得意な人を水の精霊に慕われている、というし、火が得意な人を同じ様にいう。まあ……いわば言葉遊びにちかい物よ。ケリー、あなたが国境を越える前、エナジー濃度が濃くてあたりまえだって言ったのは、そういうこと?」
「ああ。ここにこうして結露している生き物がいるんだから、当然近づくにつれ濃度は濃くなるだろうなって、エナジーを感じ取れない俺でも思う」
「―――ちょっと待ってて」
茘枝はかたりと席をたち、ずいぶんたって、戻ってきた。その間十分あまり。料理はとうに来て、冷め始めている。
「何してたんだ? 料理来たぞ」
「魔法使いの交信術。情報収集と、情報伝達。竜についての情報と、この国についての情報を募集したの。と同時に―――三人とも、ごめんなさいね。これから数日、騒がしくなると思うわ」
「茘枝がいるって喧伝したのか」
「残念ながら、茘枝と名乗るか名乗らないかで、情報の収積率がまるで違うの」
そういう彼女の顔は沈痛そのものだった。……そりゃあ、嫌だろう。たまらなく嫌なはずだ。
茘枝の名を欲して挑戦してくる人間を殺すのは。
「私が茘枝の名でもって情報を求めたのよ。この国の魔術師は一斉にそれを感じ取ったし、情報も寄せられるはず。……あ」
茘枝は食器を持っていた手を下ろし、表情をけす。五秒ほどで戻った。
「情報か?」
「ええ。……私個人あてだから、スクエアにはわからなかったと思うけど」
それからも何度か情報は入り、茘枝がそれをパーティに発表する気になったのは、一段落した夕食の席だった。ちなみに、もちろんその間も移動をつづけて、昼食をとった街の次の街についている。
「濃いエナジー……、今はもう失われたはずの青空、魔法使い以外の眼にも見える具現化した生き物。それらはすべて、根はひとつというのがこの国に住む魔法使い全員一致の意見」
「竜、だな?」
「ええ」
茘枝は頷く。
「具現化された生き物は、ケリーの意見が正解。これは、結露に近いものよ。あまりに濃いエナジーが、凝固したもの。そしてこれから先は、魔法使いにとっては不吉な話になるわね。
―――『この国の住民は、みな、精霊使いだ』」
「なんだねそれ?」
「魔法使いと普通の人間の、たったひとつの―――そして決定的な差異は、エナジーを体内にとりこめるか否か、よ。逆に言えば、取り込めなくとも、そこにあるものを使役することはできるかもしれない。動物使いが動物を使役するように、この国の人間は、エナジーが凝固してできた生き物を精霊と名づけた。結露なんていうより、精霊のほうがよほどロマンティックで人の想像力を喚起するわ。そして意志あるもののように接した。その結果―――」
茘枝は窓際に寄り、ジャッと窓をあける。
「……この国は、精霊を使いこなすことに成功した」
夕闇にしずむ街に、ぽつんぽつんとともる明かり。
昼間見たとき、ヘプライトはいったいなんだろうと思ったものだった。細長い鉄柱がそびえ、人の身長の二倍ほどの位置にある先端には、ガラスの箱がある。
しかしいま、そのガラスの箱のなかに、この光源が入っている。それが、夜の街を照らしているのだ。光源は、精霊。
真の暗闇が無い国。
「魔法使いに不吉だっていうのは、そういうこと。もしもこの国の人々が自由自在に精霊を使いこなせるのなら、それは魔法とほとんど同じだわ。魔法使いのアイデンティティ、魔法使いとは魔法を使える人間のこと。それが崩れてしまう」
「光」の魔法を使えずとも、精霊を操って発光させれば同じ事。
物をはこぶ魔法を使えずとも、精霊を操って物を運ばせれば同じ事。
「……さまざまな形で、この国の人々は精霊の恩恵に浴している。竜信仰が栄えるはずだわ。この国で精霊という存在は、多大な恩恵を与えてくれるもので―――その精霊がこの国にいるのは、竜の存在なんだから」
眼下に広がる華やかな夜景は、ここにいるほとんどの人間にとって初めて見るものだ。
通常、明かりは蝋燭と松明の二種類しかなく、どちらも高価なものだ。だから人は陽が落ちると同時に眠りにつく。貴族の家々の蝋燭ですら、夜景というにはあまりにささやかな一つの光に過ぎない。まして、民家のなかに花開く、手燭の明かりなど、夜景の一助にもなりはしない。
吸い込まれるように見入っている三人とは対照的に、唯一こんな夜景に日常的に接してきたケリーは軽く首をかしげた。
茘枝はいう。
「竜の尾は、途方も無く豊かな国ね」
土木技術は随一と言った。……それに、嘘はないだろう。あんな街道を国の隅々まで敷き詰め、水道を巡らせる技術は他国にはない。
いや、土木だけではなく、他のありとあらゆる技術が、高いはずだ。
夜には街路に明かりがともり、地面は歩きやすよう、荷車が通りやすいよう舗装され、整然と石が敷き詰められている。華やかな夜景。
普通の街では、手燭なしでは到底外を出歩けない。もしも居酒屋で長居してしまい、それを持たずに家路につくことにでもなろうものなら、壁を手伝いにそろそろ歩くしかない、そういう闇なのだ。
けれどこの街ではそんな図式はなく、他の街より格段に、出歩いている人が多い。
……治安も、恐らくいいのだろう。
この国には非常に見えやすいかたちで「繁栄」があった。
そのすべての根幹にあるのは、竜。
スクエアも言う。
「竜の尾。―――ペイログリフ。この世界で唯一、茘枝のいた昔からつづく国……」
四百年の長い時間の重みに耐えられる国など、そうはない。まして、今の世には茘枝はいない。国は隣国の富を虎視眈々とねらい、内部の反乱勢力を扇動し、戦争をしかけて他国の富を得ようとする。
そんななか、ここまで豊かな小国がこれまで無事だったのは……。
そして今も、この部屋のなかにはふよふよと白だの青だの黄色だのの靄が漂っている。
「……どうしてこの国が特殊なのか、よーくわかったわ。ケリーが散々竜の尾は特殊だとか言っていた理由もわかった。人は自分に利益をもたらしてくれるものを崇めるもの。この国では竜が、そうだったのね」
§ § §
茘枝の眼が丸くなった。そういった表情は彼女には珍しく、可愛らしさすらある。
けれど、状況を思えば、その表情はまったく無理からぬことだった。
太陽が晧々と(この国ではほんとうに晧々と)輝く真っ昼間、白昼堂々、多くの人の前で。
「茘枝様。古の盟約に基づき、参上いたしました」
全身を親指の爪ほどのウロコで覆われた、亜人族と一目でわかる青年が茘枝の前にひざまずき、そう告げたのだ。
2004 1/12 up
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