「天使が悪魔になる日 7」
ペイログリフ──「竜の尾」。
竜の名をいただく唯一の国である。
気候は温暖。険しい山岳地帯と、農耕が営まれる肥沃な平野とが混在し、豊かな緑と厳しい自然環境。自然のもつ両面が同居する王国である。
七国のなかでもっとも国土面積が小さいものの、国土に金鉱脈をふたつ、銀鉱脈を四つ、そして七国唯一の神聖銀の鉱脈をも含み、それらの鉱脈から産出される富によって小さいながらも富んだ王国である。
小さく、富んだ国。喉から手が出るほどほしい、資源がたくさんある国。
そんな国がどうして侵略をうけなかったかと言えば、いくつもの理由がある。
ひとつは、この国が天嶮に恵まれた地であるということ。
大陸の中央部にあり、すなわちすべての国境線を地続きで他国と接していながらそのすべてが、山脈を境に隔たっている。険しい雪山は越えるに難しく、国内部も他国の者には苦しい山岳地帯が六割までを占める。
「地の利」がきわめてものを言う地形だったのである。
そして、二つ目はペイログリフが抱える魔法使いの数である。
宮廷魔術師という輩は、どの国でも常に募集している。一昔のように国王の顧問ではなく、ひとつの制度なのである。稀に、国王の顧問となることもあるが、そちらには筆頭がつく。登録することで、月々の生活費が支給され、国の公共施設はすべて無料になる。ただしその代わりに、有事の際は召集に応じなければならない義務をも負う。
いわば、宮廷魔術師とは魔術師の軍隊のことなのだ。
そしてペイログリフはある奇妙な特徴があった。──魔法使いが生まれる確率が、他国の三倍なのである。
これはあるひとつの事実で説明されている。
魔術の創始者にして史上最高の魔術師茘枝は放浪を繰り返していたが、住居を持っていた。旅からもどってはそこで数日をすごし、また出かけていく。そんな住まいを、ペイログリフに構えていたのである。
……そして魔術師は遺伝である。
茘枝が住まいを構えていた国に、茘枝の血族がどんな国よりも数多くいたとしても、不思議はない。
そしてこの事実は、「この世の魔術師のすべては茘枝の傍系の血族である」という説の有力な材料にもなっていた。
「……」
茘枝は強張った顔で、手を引いた。
皮膚をおしあげ、浮かび上がる指の関節。手の中には、水晶玉が握られている。
彼女を見つめる周囲も同じように強張った顔だった。
人心が荒れている今この時代、その気になれば悪人には事欠かない。
路銀稼ぎに盗賊団退治を引き受け、軽くのしたあと茘枝はクルーノの眼を縛り上げた相手に押し付けた。
まだ、二十歳すぎぐらいだろう。頬に赤く化膿したにきびを作った青年は眼前に立った茘枝を訝しげに見上げ―――その頬に水晶玉が触れた。
一瞬で、姿が消えた。
誰かの、うっといううめき声が、奇妙に大きく響いた。
縛り上げた盗賊団の生き残りも、茘枝も、ヘプライトも……皆目を見開いてそれを見ていた。
「……ひとを……とり込む能力はまだ健在みたいね」
茘枝はヘプライトがつくった巾着袋に水晶球を落とし込むと、それを懐へしまう。そして仲間を見回し、険しい声で言った。
「みんな。いい、絶対にこれにさわっちゃ駄目よ!? とくにスクエアは絶対駄目」
「なにを……」
盗賊団のメンバーが声を絞り出したのはその時だ。
「いま……何をしたんだ!? ゾイドは……どこへいった?」
茘枝をそちらを一瞥し、
「―――他人を心配するより、自分の行く末を涙することね。捕縛された盗賊の末路は、吊るし首と決まっているわ」
動揺のかけらもなく、茘枝は鮮やかに言い放つとローブを翻す。
すぐに、ヘプライトはその後を追った。
茘枝はすこし離れた木立のそばでみつかった。
常用樹に体をもたれ、重苦しい表情をして、掌の水晶玉を見つめている。
「茘枝……」
ヘプライトが声をかけると、茘枝は驚いた様子もなく顔をあげる。泣きそうな顔をしていた。
「……答えがないの」
「は?」
「水晶玉の番人は、私が主人だと言ったわ。実際に、私はこうして素手で玉を持てる。でも、それだけ……。使い方も判らなければ、玉に吸い込まれた人間も出せない。さっきから、ずっと…呼びかけているんだけど、何も答えがかえって来ないの……」
「茘枝」
泣き崩れないのが、不思議なほどだった。
いつも気丈な彼女のこんな心細げな表情は、ヘプライトにだけ見せるものだろう。
この間から、幾重にも心労が重なって、今回が、とどめだったのだ。
手の中にある魔法道具。
その使い方がわからず、人を吸い込ませても元に戻せず、主人だというのに振り回されて。
魔力が拠り所である彼女にとって、それはとても厳しいものだろう。
誰よりも優れた魔力を盾に、魔術を剣に。彼女は自分の権利というものを勝ち取ってきた。それは少なからず彼女の誇りとなっていたのだ。
……おそらく、彼女は負けたことがなかったのだろう。
しかし、今は手元に、自分の魔力をもってしても歯が立たない物がある。相手は伝説の魔術師だ。……頭では、仕方ないと思っていても……、なかなか、そうは割り切れないだろう。
彼女にとって、魔術こそが寄る辺であり、拠り所なのだから。
そして……もちろん、目の前で人一人を殺し、それを救えない自責の念も、あったろう。
ヘプライトは茘枝の肩を抱いて、心から気遣う言葉をかけた。
「茘枝。ちと働きすぎだで。ちぃとは休まにゃ、な?」
茘枝はここ数日奔走していた。ケリーと善後策を相談し、策をねり……リチャードの後始末のためにである。
リチャードが王太子だった……そう聞いた茘枝は、冗談抜きで卒倒しかけた。
王子なら、いい。王子と、王太子の間には海より広く山より高い溝があった。
王室の最大の役目は、後継者を残すことである。よって、王子がいないのは論外だが、いすぎてもこれまた困る。もし王子がひとりだけの場合、年少者は死亡率が高いし、そうでなくとも一人だけというのは変事の時の換えがなくて非常に困る。
しかし一方、成人してしまうと余った王子は邪魔になる。
「王太子」でない王子に領地をわけるわけにはいかない。―――そうなれば土地は際限なく代を経るにつれ細分化していくのは必定である。
だから、王子が旅をする貴種流離譚は、実際にもよくある話なのだ。
王子はいくばくかの金銭を分け与えられ、どこかの貴族の養子となるのが恒例だ。貴族のほうも持参金つきの王家の王子は、自家に王家の血がまじることになるし、財産も多くなって、歓迎する。
また、ケリーの「手切れ金をもらって旅に……」というのも、よくある話だ。
一般市民の王子のイメージとはいかなるものか。
わがまま放題の手のつけられないロクデナシか。
それとも一国の統治者としての厳しい教育か。
その両方がケースバイケースで混在している……というのが、まあ実情だろう。
王家には二つの役目がある。
象徴としての役目と、統治者としての役目。
重臣たちに後者の役目をほとんどゆずりわたし、象徴の身分に甘んじている国では必然的に将来の統治者の教育はゆるい。重臣達は、王子が賢明でなく育った方が都合がいいのである。成長した賢明な王子が、王家に権力を取り戻そう、などと考えたらたまったものではない。
その逆に、王家が実際に統治者として統べている国では、将来の王位継承者への教育は厳しくなる。
そしてどうやら、ペイログリフは前者であったらしい。
リチャードは、自分が王太子だということを、まったくわかっていなかった。
自分が突然失踪したらどれほどの人間が首を切られ(比喩ではない。封建の世である)どれほどの騒ぎになりどれほど人々が迷惑をこうむるのか、ぜんぜん少しも理解していなかったのだ。
魔術師同士が、エナジーの配列を変えることで意味の通じる文章を作り出し、それによって超高速で情報をやりとりする交信術。
茘枝は、リチャードが王太子だということを知ると、血の気の引いた顔で、その場でその術を使用した。ペイログリフでの現状を知るためだ。青ざめた顔は次第にひきつり、そして―――
茘枝は交信が終わると、頭をかかえてテーブルに突っ伏した。……何を茘枝が知ったのか、それはわからないが……。
ヘプライトにでもわかる。
ペイログリフは、大騒ぎになっていたのだろう。
それから数日。
茘枝はリチャードの尻拭いに、交信術を日に何十回も行った。スクエアと深刻な顔で何度も話し合いをし、そしてケリーとも話し合った。
皆と話し合いをかさね、現状打開策を模索している彼女は明らかに働きすぎだった。
茘枝を悩ませているものはもうひとつある。
頭痛だらけの現状の、そのそもそもの原因であるリチャード。
彼の、あまりに自分のしでかした重大事への自覚のなさだった。
ふたりがおうじさまということは当初からの予定でした。
見返してみるといろんなところに「平民じゃないぞコレは……」の記述があります。ふつーの平民には召使いはいませんね。
杉浦も本日で仕事納めです。年末更新―――ということで、しばらく毎日アップする予定です。何日つづくか、見守ってやってください。ドラゴンちゃん早く出てこないかなー。
2003 12/26 up
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