「天使が悪魔になる日 6」



「ドラゴンって、どういう生き物だか?」
 ふたりきりの室内で、とても純朴に質問をしてきたヘプライトを、茘枝は微笑んでみつめた。

 獣人族の長と話をしたのはつい先刻。部屋をたずね、その内容をヘプライトに話したところ、そういう質問がやってきたのだ。

 ふつう、ある一定以上の年に達した男は、自分より遥かに年下の女にこうも素直にものをたずねられない。男には男のプライドというものがあって。年下だという見栄や意地もあって。
 たとえ相手が自分より遥かに物知りなことが明らかだとしても、それをすんなりと認めることのできない生き物なのだ。……男というものは。
 誰に対しても壁をもたずに接することのできる大らかさ。
 それはヘプライトの何よりの魅力だと、茘枝は思っていた。そして、こうもすなおかつ率直に尋ねられると、誰しも快く答えたくなる。
「ドラゴンっていうのは、一言でいえば、神ね」
「……神?」
「神さま。人によっては化け物と呼ぶ人もいる。んー……どういえばいいかな。善と悪っていうのは、絶対的な境目なんてないのよ。見る人のとりようによって、それは違うわ。神と化け物は、おなじものなのよ。ドラゴンは強大な力を持っている。これは事実。だから神様と呼ぶ人もいれば、同じ理由で化け物と呼ぶ人もいる。ヘプライト、この世界に、今、厳密な意味でのドラゴンは一体しかいないわ」
「え……そうだか、でも」
「ええそうよ」
 疑問の言葉を肯定で引き継いで、レイシはうなずく。
「魔物のなかにも、同じようにドラゴンと呼ばれる生き物がいる。それも、たくさんね。竜族、と呼ばれるゆえんよ。──でもそれは、竜ではないの。この世界にはもともと、一体の竜がいた。この竜にそっくりな……というより似た魔物が現れるようになって、その魔物をも竜と呼ぶようになった。それだけにすぎないの。この世に、本物のドラゴンは、一体だけなのよ」

「その、そういう、不思議な生き物についてはおらはよく、わかんねぇけど……」
 ヘプライトは首をかしげた。
 時によって、彼は家畜の世話をもやった。だから、生き物の本質について良く知っていた。
「生き物は一体だけではいきていけねぇ。かならず親がいるはずだ。親は? つがいとなる相手は? いねえのか?」
 茘枝ははっとした様子で体を引いた。
 意表をつかれた、無防備な顔。
「そういえば……どう、なのかしら? 考えてみたこともなかったけど……確かに、変。
―――文献に最初に出てきたときから、ドラゴンはただひとりだったわ。それから今にいたるまでずっと、ドラゴンはひとりよ」
 一頭ではなく、一体。
 一匹ではなく、ひとり。
 茘枝の微妙な言葉の節々が、ドラゴンという存在の偉大さを伝えている。魔物ではなく、ドラゴンは……ドラゴンなのだ。

「ドラゴンは強いのか?」
 茘枝はためらいなく頷いた。
「とてつもなく、強いわ。私はいちおう、茘枝だけれど……人の魔術師のなかでは最強であると認められてはいるけれども、ドラゴンとはくらべものにもならない。魔物の竜なら、私も一人で充分戦える。でも、ペイログリフにいるドラゴンは……戦うのは、自殺行為ね。魔物も、人も、その他の種族もみんな、ドラゴンの敵じゃないわ。戦える相手は、せいぜい青の魔術師ぐらいよ」
「魔王も、だか?」
 茘枝はふと、考え込むそぶりを見せた。
「―――そうね。魔王がどういうものか、わからない以上、はっきりとは言えないけど……もしもドラゴンより魔王の方が強かったら、その時点で私たちの負けははっきりしているわ。どうあがいても、勝てないでしょうね」
「そ、そんなに……」
「だから正直いって、ドラゴンに会うのは危険が高いの。防御の結界を張っていても……彼がブレスを吐いたら、私たちは全滅よ。紙のように燃えて、骨も残らないわね」

 そういいながらも……。
 諦める顔を彼女はしていない。
「茘枝は、ドラゴンに会いたいだな?」
 ヘプライトがずばり言うと、茘枝は驚いた顔をし、そして渋々うなずいた。
「会いたいわ。クルーノの眼のことを知りたい。青の魔術師のことを知りたい。あの方がどうして亡くなられたのか、魔王はどういうもので、どうして出てきたのか。他にも本当に様々なことを、ドラゴンは知っているはずなのよ」
 貪欲な知識欲。それがあるからこそ、茘枝は茘枝となったのだろう。彼女のその探究心を、ヘプライトは快く思う。

「じゃ、行くだ!」
「……え」
「ケリーに聞いてみよう。それで駄目なら、ふたりで行くだ」
 あっさりと単純かつ端的に要旨のみを言われてしまって、茘枝はしばしぽかんとした。
 ドラゴンに会うのは、危険が大きい。
 だから、ケリーに相談したら反対されるかもしれない。反対するのも、もっともな話である。もしそうなったら、ヘプライトはふたりで行こうという。
「……先に言われちゃったなあ」
「え?」
「私も、ヘプライトに頼もうと思ってたの。ケリーが反対したら―――反対するのは当然なんだけど―――そうしたら、一緒に来てくれる?って」
 茘枝は一点の曇りもなく笑う。そんな風に、笑える日がくるとは緊張でがちがちに力んでいた旅の最初は思ってもみなかった。
「あした、ケリーに聞いてみる。それで駄目だといわれたら、一緒に行きましょうヘプライト」

     § § §

 メンバー全員集まっての話し合いは、スムーズに進んだ。
 茘枝はまず、前提となる情報をつつみ隠さずすべてを提示した。その中には彼女にとって都合の悪い情報も含まれていたが、彼女は公平にそのすべてを伝えた。
 情報の段階で取捨選別し、自分にとって都合のいい情報だけを与える。―――これは、人間操作の基本ともいえるものだ。マイナス材料をあたえず、プラス材料だけ与えられれば誰しもそちらに傾くに決まっている。けれど、茘枝はそれは公正でない、と考えていた。

 竜は、クルーノの眼の使い方を知る、唯一の相手であるということ。
 ドラゴンと会い、相手の機嫌を損ねれば全滅する可能性もあるということ。
 ドラゴンがどういった人物……もといドラゴン物であるかは、よくわかっていない。というのは、ドラゴンと気さくに会える唯一の人物だった青の魔術師はとうの昔に亡くなっており、それ以後、ドラゴンと会った人間はいないからである。
 ……もっとも。
 それは「公式発表」であり、今も昔も命知らずの若者はどこにでもいる。世界七国に高くその名が鳴り響いているドラゴンを一目見ようと、または「竜殺し」の名を得ようと訪ねた者は少なくない数、いたはずである。
 そういった人々がどうなったのか、それはようとして知れない。
 ドラゴンの怒りをかい、殺されたか。
 ドラゴンに会う道半ばで挫折したか。
 それともドラゴンに会いながらもその事実を心に秘めて生きているのか、それはまったく判らない。

 何を食料として生きているのか。生殖はどのようにして行うのか。なにもかも謎につつまれている。
 そんな、「何もわかっていない」ドラゴンなのだが、実在を疑う者は赤子か頑是無い子どもぐらいだ。
 竜の飛翔は、この世界に住む誰もが当然のように目にしていた。
 誰もが行き過ぎる子どもの日に。あるいは農作業の合間にふと見上げた空に。
 ドラゴンを見かけた経験は誰もがあるはずである。
 ドラゴンの羽ばたきはただの一回でこの世界の半分までも行き過ぎる。その伝説そのままに、羽ばたきもせず飛ぶ巨大な影は、日の光を反射して黄金色に輝いた。
 人がドラゴンを呼ぶ名はそこから来ている。―――黄金竜、と。
 あまりにも「そのまま」で本名はおそらく他にあるはずだが、訪ねた者すらいないのに名を知る者がいるはずもない。
 そもそもドラゴンがどういう経緯で今棲む国に棲み付くようになったのかも判然として……いたりする。それだけは。

 ドラゴンがペイログリフに棲み付いたのは、歴とした理由がある。
 ドラゴンには友人がいた。青の魔術師である。この両者の親交はあつかったらしく、茘枝が住居を構えていた国に、ドラゴンもまた棲むようになったのだ。

 そして茘枝が死してのちも数百年。彼はその場にとどまっている。頻繁に空を飛翔し(追いかけてみた魔術師もいるものの、あっという間に引き離された)、また舞い戻る。
 ドラゴンを受け入れる国は、むしろその存在を天恵として見ていた。
「世界で唯一無二のドラゴン―――その魔力は大地を引き裂き、海を干上がらせるというわ。小さなりといえ豊かなペイログリフが、今まで他国の干渉を受けずにすんだのは、ドラゴンのおかげでもあるでしょうね」
 スクエアが応じた。
「ドラゴンが棲む周辺では、ドラゴンを中心に、ちょうど円状に、自然が豊かになっているそうですよ。かの国の農業成績が優秀なのは……きっとそういうことなんでしょうね」
「ドラゴンが多くの獣とその意味を異にするのは、あまりにも強すぎるからと、あまりにも何もわかっていないからでしょうね。ヘプライトに言われて気づいたんだけど……ふつうに生き物として考えるのなら、なぜ竜は一体しかいないのかしら? 異常だわ」
 他の獣と呼ばれる生き物は、すべてある程度の「まとまり」を持っている。
 つがい、同族、そして親……そういったものがなくては、生き物はそもそも生まれることすらできないからだ。

「ドラゴンは多くの情報を持っている、謎につつまれた存在よ。私は会って見たい。聞きたいことは、それこそ『海水を息継ぎに飲み干して』も足りないぐらいあるわ。でも……、かなり危険が高い行為であることも、間違いないと思うの。だから判断はリーダーに委ねるわ」
 スクエアがからかいの声をかけた。
「そう言いながらも、茘枝、あなたの心は決まっているんでしょうに」
 ……茘枝は苦笑で応じた。
 そのやりとりに、ケリーが愁眉をといて、眼をあげた。
「どういうことだ?」

 ケリーは茘枝が「ペイログリフに行きたい」と言ったときから、ずっと腕組みして難しい顔をしていた。その様子は彼がこの提案を喜んでいないことを伝えていた。
 そしてまた、似たしぶい表情は弟のリチャードにも見受けられた。
「ドラゴンと会うのは危険だわ。だから無理強いはできない。でも、私は私の研鑚のために、ぜひともドラゴンに会いたいの。だから、待ってて。ヘプライトは、私と一緒に来てくれるっていうから、ふたりで行くわ。かならずもどってくるから」
 ケリーは、ぴくりと眉をあげた。
「……わかったいこう。―――茘枝、ペイログリフの国情を知っているか?」
「……知識の上では。行ったことはないわ」
 ケリーはかぶりを振った。
「あの国は特殊な国だ。どう特殊かは、行ってみないと……住んでみないとわからない。そしてその特殊性の頂点に座しているのが、ドラゴンなんだ。突然異邦者が訪ねていっても、はいそうですかと会わしてはくれない」
「……つまり、あなたとリチャードはペイログリフの出身なんですね? ケリー」
 スクエアがたずねかえし、リチャードとケリーは他三人の視線を受けて、頷いた。

「それも、貴族よね?」
 二人とも、反射的に顔をあげた。その眼を正視しながら、茘枝が続ける。
「あなたたちの言動を見て、ヘプライトに対する態度をみて、平民出身と考える方が無理があるのよ」
 ヘプライトはうつむき、沈黙している。先ほどから一言も喋っていない。
 ヘプライトが農奴であることは、茘枝しかしらない。つまり、平民の農夫であると他の三人は考えているはずなのだ。―――が。
 「平民」であるヘプライトに対するふたりの見下した態度は眼に余った。

「……ペイログリフに入ればいずれはバレる事だから言うけどな。オレはハイネスの称号で、リチャードはハイネス・クラウンだ」
 これにはさすがに茘枝もスクエアも驚いた。
 ひとり事情がわからないのはヘプライトである。
「な―――……成る程。そういうこと……」
 一瞬で動揺をおさめ、茘枝が納得したように頷けば、スクエアもいう。
「やけに質のいい武具だと思ったら、そういうことですか……。ペイログリフは七国で唯一の神聖銀の産地。あなたの剣も鎧も、すべてそうなんですね?」
「―――ああ。手切れ金がわりにもらってきた。二度と戻るつもりはなかったんだ。俺の言葉、上手いだろう?」
「ええ、じょうずですよ」
 スクエアは頷いて請け負った。

「小さいころから出てくることだけを望んで、言葉もならったし剣の腕も磨いてきた。それでも、俺はあの国のハイネスだ。だからあの国の国情についてはよく知っている」
「……上の人間ほど、知らないものだけど?」
「俺はそうは思わない。為政者たるもの、下々の暮らしを知らずにどうして統べられよう? そしてどこの国でもそうだが、王族というのは偶像だ。俺はともかく、リチャードの姿絵は何万枚と出回っている。……ペイログリフに入れば、嫌でも知れる。だから行きたくなかったんだ」
 そこで、事情のわからないヘプライトは茘枝の裾をひき、小声でたずねた。
「……ハイネスってなんだ?」
「王子様。ケリーは王子で、リチャードは……王太子よ」

 小声だったが、なにせ五人しかいない狭い室内である。
 ヘプライトの囁きは誰の耳にも入って、どこか馬鹿にしたさざめきが起きた。
 茘枝は眼を細くしたが、なにも言わず、こう言った。
「―――それで? 王子様、あなたたちは一体どうしてこんなところへいるの?」
「俺は言っただろう? 王子の身分は捨てたんだ」
「リチャードはどうなの? 仮にも王太子が、そうほいほい捨てて構わないと思っているの? 自分の責務を一体なんだと思っているのよ」
 手厳しい言葉に、リチャードはふと、苦笑した。
「俺は王太子だが、その前にひとりの人間だ。長い間断絶状態だった兄と一緒に旅をしたい、そう思うことはそれほどおかしな事か?」
「おかしすぎて、笑っちゃうぐらいおかしいわよ。ケリーはわからなくもないわ。小さいころからそれを望んで目指していたんでしょうから。王子と王太子では立場が天と地ほどもちがう。王子は極端な話、国にとってはいない方が助かるわ。いれば争いの種になるし、ならなくとも領地を分け与えなければならなくなる。だから各国で貴種流離譚なんてものがある。でもリチャードあなたは王太子でしょう。普通に考えて、いくらあなたがそれを望んでも周囲は許さないわよ」
 そういえば……とケリーもリチャードを見る。
 四人の目線に貫かれて、リチャードは両手をあげた。
「黙って抜け出してきた。今ごろ大騒ぎだろうな」

 茘枝がぎぎいっとケリーに向き直る。
「…………ケリー、私、今眩暈がしたわ」
「……うん、俺も」
「つまり、私たち、下手しなくとも王太子誘拐の凶悪犯として捕まってもおかしくないってこと……?」
「誘拐犯として捕まるならまだしも……俺は殺人犯だぞ、たぶん。王子が王太子と一緒に姿を消した、じゃなく、王子が王太子を殺して逃亡、と見られてる……」
「少なくとも動機はばっちりよね……」

 二人のやりとりに三人の顔色が悪くなる(そもそもの元凶のリチャードも)。
 ケリーはリチャードをくるりと振り返ると、兄としての威厳をこめて一喝した。
「この、大馬鹿者がっ!!!」


よーやくパソが戻ってきました! 嬉しいよう。


2003 12/21 up


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