恋 3
「―――なんで、お前がここにいるんだ?」
シンは叫んだ。まさしく予期せぬ再会である。謁見の間の控え室に通された時からおかしいなとは思っていたが――なんでここに、幼なじみの天敵の気に食わない一般庶民がいるんだ?
ここは、皇宮だぞ?
「なんで? そりゃ、お前の親父に呼ばれたからに決まっているだろ」
シンはずっしりと腹の中に石を詰め込まれたような気分になった。
―――――まさか。
しかしシンの外見上の変化は、さしてなかった。ほんの少し青ざめて、――そして、シンは皇族としての顔になった。
眉一つ動かさず、瞬きすらしないのではないかと思わせる、鉄壁の無表情。水面のように静かで、しかし水面のように容易く波立ちはしない。
キールは興味深く、その変化を見守っていた。
「お前の父親って、どういう奴?」
「―――とても、恐ろしい人だ」
シンは簡潔に答えた。シンの父への印象は、どぎつい恐怖の色に覆い隠されていて、端の方にほんのちょろっと、尊敬だとか軽蔑だとかがあった。
「尊敬」は、恐ろしい父への当然とも言える感情。
「軽蔑」は-------。
やがて扉が開き、呼ばれてシンは謁見の間へと入っていった。シンは、年始の皇族全員が顔を合わせる新年の儀ぐらいしかこの部屋に入ったことは無い。
そこは途方も無く広い空間だった。
階段状に繊毛がつらなり、段差は低く、一段が広い。そして、一番下の広い空間は赤紫。それより一段上は、白。
皇族の色の階位そのままの順番に、階段は色塗られている。シンは新年の儀では白の所に跪く。余裕で五六人が拝跪できるほどの面積がある。
階段は上に上がるほど面積が狭くなっていく。緑の座…玉座の一段下は、青だが、一人が跪く程度がやっとだった。
シンはとりあえず、今いる赤紫の空間で、裾をさばき、跪いた。
しかし隣を見ると、キールは立ったまま――それも右足を開き、腕組みをし、顔を心持ち左に傾けた、要するに「斜に構えた」格好だった。
「…キール!」
シンが低くたしなめると、キールは鼻で笑う。そして遥か高みにいる皇帝に言った。
「……俺を呼んだ用は何だ? カルラーン」
ざっとシンは青ざめた。
皇族の名を許可なしで呼ぶ。しかも敬称なしの呼び捨てにする。更にその相手は強大な権力を持つ緑の座である。
たった今、不敬罪で処刑されてもおかしくない。
玉座から放たれる威圧感が深まる。シンは心臓を絞りあげられる空気に、体をかたくした。
「…口の聞き方もわきまえぬか、草の民の少年よ」
「口の聞き方?」
………まさか、この世に、緑の座に対して嘲笑を(しかも面と向かってだ)投げ与えられる人間がいるとは思わなかった。
「俺に対して敬意を要求できるのは精霊の女王ル・ゼ、ラ・ゼの二人のみ。口の聞き方をわきまえぬのはそちらだろう、カルラーン。俺は調停者。たとえ王であっても人に頭を下げるゆえんは持たぬ」
「……」
―――その一瞬、確かにシンはキールにみとれた。
誰もが恐れる緑の座へ、背筋をぴんとのばし、毅然として答えるキールは、シンのそうなりたいという理想そのものだった。
そして一拍あけて、その言葉に気づく。
「…調停者……?」
頭のなかを、知識が物凄い勢いで走り抜けた。
人と精霊との仲立ちをする者。いわば緑の座と同じ仕事をするが、緑の座が公的な誰にも認められる役職であり、人側の立場にあるのに対し、調停者はイレギュラーであり、常設の役職という訳でもなく、また人が任命する訳でもない。
人と精霊の仲立ちをするという一点は同じだが、人の側に立つのが緑の座。反して精霊の方に立つのが調停者だ。そしてそれ故に、調停者は精霊によって任命され、それが誰なのか、普段は知られることない。だが、その地位は緑の座と同等以上であるとされる。
だが。
「調停者は、精霊がなるはずだ!」
「あほう」
キールがシンを見下して言った。
「精霊がなることが多いが、人間もなる。要するに、その時代最も適した者が、調停者になるんだ」
「―――…」
なるほど。思い当る事は…かなりある。
やがて緑の座は言う。
「―――それは、確かに私の方が礼を欠いていたようだ。謝罪しよう」
しかしキールはそれで納得はしなかった。
「誠意ある、謝罪を。俺はそちらの影に問答無用で攻撃を受けている。しかも、俺の家族が巻き込まれてもおかしくないような攻撃を。説明と謝罪を求める権利がある」
「我が息子が、何ら接点のなさそうな一般庶民の家にいたのだ。誘拐を想像するのが当然であろう」
……戯言を!
父はシンがお忍びでキールの家に通っている事ぐらい、とうの昔に知っていたはずだ。
「それで、問答無用の焼き殺しか?」
「なにしろ、その時は卑劣な誘拐犯への怒りに頭が逆上していたのでな。申し訳ない」
父が逆上して我を忘れるより、休火山が噴火する方がまだありそうだ。
「謝罪を容れよう、カルラーン。だが白の座が昔より我が家を訪れていたことは明らか。今回の代価として、今日はシンを連れ帰る。よろしいか?」
シンは腕をつかまれ、キールを振り仰いだ。
よろしいか、と言いつつ、実質はれっきとした脅し。それも相当に手慣れた脅迫まじりの交渉だった。
今回の攻撃を不問にしてやるから、条件をのめと言っているのだ。
「……ご自由に」
「それと、今後、俺の家族に手出しすること、すなわち精霊への敵対とみなす。農作物の出来が通年の一割以下になりたくなくば、重々肝に命じておくんだな」
キールの完全勝利だった。
§ § §
真夜中の帰宅に、ナギとイールは当然のことながら物凄く驚いて起きだし(キールが出ていったのにも気づいてなかったのだ)、キールは帰るや否や、倒れこむように眠りについた。
そしてキールが次に目を開けたとき、真っ先に見たのはシンの顔だった。
目覚めの景色としては極上だろう。なんせ女神もまっさおの美人である。
「……つかれた」
キールは呟いた。
「―――? なんでそんなに疲れてるんだ、おまえ?」
「…お前、馬鹿か? なんで俺が調停者っつって緑の座があっさり信じたと思う? …この部屋ん中だけで、百人以上いるぞ、精霊」
思わず、ぎょっとして周囲を見回したが…「見る」能力がなく緑の座でもないシンにはわかるはずがなかった。
「千…万。それだけの精霊に取り囲まれている人間の言葉を、誰が疑える…?」
「なるほど。でもってお前はそれだけの精霊を呼んで、疲れたわけか。なんでまた」
キールはわずかに唇をゆがめた。見ようによっては、笑顔に見えないこともない。
「さもなきゃお前の親父、俺の見てる前でお前を犯すぐらいの事してたぞ」
すっと、シンの目が細くなった。 白い手をキールの首にかける。
扼殺するのなら最適は紐だが、押さえる所を理解していれば手でも充分殺せるものだ。そして、シンは人殺しの練達者だった。
「……殺してやろうか?」
無機的な声は、殺意をリアルに響かせる。
「殺していいよ。やれば?」
キールは至ってあっさりと、殺意を許可した。
逆に馬鹿馬鹿しくなって、シンは手を離す。
「キールお前、そういうところ、直したほうがいいと思うぞ」
「んじゃ聞くけどな、シン。お前が生きたいと思う理由は何だ?」
「生きたいと思う理由はないけど、死んではいけない理由はあるぞ」
「俺は両方ないよ。生きる理由もないけど、死ぬ理由もない。だから生きてる」
シンはそんなキールをしばらく眺めやっていたが、
「―――殺してやりたいと思ったんだ」
不意に言った。
「死ぬのは逃げることだ。負けることだ。何の報復もなしにする事だ。僕を傷つけ踏み躙った奴はのうのうと何の咎も受けずに生きているのに、なぜ何もしていない僕一人が死ななければならない? 父と同時に死ぬのも願い下げだ。何も悪くない僕の命が、なぜ、父と等価でなくてはならない? 父を殺して、なおかつ僕も死なない。そのためには、緑の座になるしかない。だから僕は緑の座になる」
「………」
シンは、寝台の上のキールを見やった。
「お前には、ないのか? そういうの。生きてて楽しいとか、幸せだとか、誰かが憎いとか嫌いだとか愛しているとか」
「……シミナーってどういう生き物か、わかるか?」
シンはあっさりかぶりを振る。
「知らない。お前のお陰で、性格壊れているっていう偏見が実に根強くあるけどな」
「俺はシミナーの義務として、小さい頃から治療をしてきた。お前、他人の精神に接触したいと思うか?
……俺は、真っ白だ。白はどんな精神とも同調する。だからシミナーは、どんな感情も覚えない」
一回だけ、例外があるとするのならば、シンだった。驚いた。感動をおぼえずにはいられないほど、うつくしかった。
「…お前と会ったシミナーって、全員おまえに好意的だっただろ」
「……」
シンは無言でキールを指差した。
「ばーか。シミナーの嫌い、を一般人の嫌いと同等にとるなっての。…俺はお前だけだよ。お前だけが嫌いで、他はどうでもいい。判るか? 俺にとって感情なんていうものは、滅多に感じることも自覚することもない、希少なものなんだ」
シンは内心苦笑した。聞きようによっては、熱烈な愛の告白だった。……ひょっとしてそうなのか?
「俺には、何もない」
「…そんな事、言うなよ」
思わず言葉が口をついて出て、シンは自分の感情を自覚した。ああ、そうか。僕は…。
「ま、それで困った事もないけど。笑うことも泣くこともできるし。あるように振る舞う術じゃ俺は大家だね」
あっけらかんとキールは言い、シンは成程と思った。
感情の起伏がほとんどない人間は、深刻に悩むこともない。キールは強大な力の代償に、情緒というものを奪い取られた。
「―――お前がうらやましいよ、僕は」
「俺に力があるから?」
シンは頷く。
「キール。踏みつけにされて、人は、本当に従うと思うか? 違う。たとえ表面には出なくても、出ないだけ、より一層根深く人は恨むんだ。恨んで恨んで恨んで……涙も枯れたあとに、人は、復讐を、誓うんだ。もし、僕にお前と同じだけの力があれば、父の言いなりになることもない。誰からも侮辱されることもない。
僕の復讐は、少なくともあと五年はかかる。その間、屈辱を堪え忍ばねばならない。三日に一度、黒い手紙が届いて真夜中に父の私室へ行かねばならないんだ」
「力があるのって、そんなに大事か?」
「……大事だ。少なくとも弱肉強食の社会では、力が無ければ自分も、自分の大切な人も守れない。それは歴然たる事実だ」
「ふーん…。じゃ、自分の容姿を利用すればいいじゃん。お前がその気になって落とせないのはまずいないぞ」
怒りが瞬間沸騰した。
鋭い音が響き、気がつけばシンは渾身の力でキールをひっぱたいていた。
深呼吸を一回。それで怒りをしずめ、キールに言う。
「……病人に手、あげて悪かったな。二回目はしないでおいてやる」
キールは頬に手を当てて癒しをかけていたが、苦笑した。
「おれお前のそーいうところ好きだわ。誇り高いっていうの? 本当に高貴で誇りを持つ人間は悪いと思ったら潔く謝れるもんなんだなって、お前と会ってわかった。それがたとえ、大嫌いな人間に対しても」
「…キール。僕の味方になってくれないか?」
「やだね」
にべもない、というのはこういう事ですか、神様。
「……お前な」
「隠密行動を旨とする調停者が身分を明かしただけでも、感謝してほしいね。これで、お前の親父は絶対に俺の家族にちょっかいはかけないし、…言っておくぞ。俺との関係聞かれたらどう答えてもいいけど、俺に何も頼むなよ。面倒は持ってくるな。友人でも知り合いでも何なら恋人と言ってもいいけど、俺は他人のために指一本でも動かす気はないからな」
普通人ならむかっとして終わりだろう。
しかし、人の言葉の裏を読む皇族には、キールの見せた最大限の厚意が理解できた。
「なるほど。感謝するよ。わざわざ身分を明かしてくれて。…僕のために」
キールはむっとした顔になった。
キールのわからんところはココで、実に判りにくい好意を示し、それでもってそれにシンが気づいて礼を言うと、不機嫌になる。もしかしたら好意は気づかれずに行なうものだという信念でも持っているのか?
シンは微笑んだ。それは、キールの滅多にない、稚気と思えた。自然と優しい顔になる。キールが瞠目する。
「―――感謝する」
…本当に誇り高い人間は、内面からも輝く。生き残っている皇族は、皆、そういう人間だ。そうでない、皇族はとうに淘汰された。
プライドを持たない、必要があれば眉一つ動かさずにシンの足元に額ずく事すらできる。そんなキールには、シンの真っすぐさは、目にしみた。
お互いに惹かれるところと、認めるところと、それへの劣等感とを持って。
目に眩しくて、でも見ずにはいられない。
恋ってそういうものじゃないだろうか。
今読むと中々に恥ずかしいお話ですね…。
Aが知っていることをBが知らない、逆もまたしかり。というテーマの作品を今(01/07/30)ビブリオで
連載してますが(水の彩のこと)、……笑ってしまうほどこの話はそうです。キールは作中でいちばんいろいろなことを知っているキャラですが、……秘密主義のばかやろー、と言いたくなります。
シンはシンで秘密にしていることを抱えてますしね……。ナギもイールも以下同文。
ナギはこの時点で、シンの素性を知ってます。シンが自らバラしました。
イールは知りません。いずれ知ることになりますけど、かなり後です。