美しく着飾った人々は、熱帯魚の群れのよう。
溢れるほどの光を照り返し、くるくると少しもじっとしていない。その布地を魚の鱗のように反射させながら笑いさざめき、ホールを回る。
頭上の照明から注がれる白い光はあまるほどの大盤振る舞いで、ドレスやスーツを白く照らし、手にした硝子のグラスを宝石のように輝かせる。
グランドホテルの小ホールを借り切ってのパーティは、規模はさして大きくないものの、出席者の格はかなりのものだった。
政治家数名、官僚数名、芸能人が有名無名をとわず数十名、そして、実業家たちである。
立食式のパーティで、客はそれぞれテーブルの側にいるコンパニオンから料理の皿を受け取って食べる。
芸能人も多く、綺麗どころも多いパーティだったが、出席者のなかでひそかに注目を集めているのは一人の少女だった。
平均年齢を彼女一人で2歳は引き下げているだろう。
他はみな30代以上の壮年ばかりという中ではその年齢だけで一際目立つ、まだ高校生とおぼしき少女である。
見るからに仕立てのよい上等の白銀のドレスに身を包み、丁寧にブローされた髪は、栗色。枝毛など一本もなさそうな柔らかげな髪が緩やかに背中をながれおち、生花が編みこまれていた。
ドレスは胸から上がひし形で切り取られ鎖骨や喉元が剥き出しで、両腕も同じように肘の少し上から先がない。肩と襟ぐりを大胆に空気にさらし、そのかわりのように、手の先まで手袋に包まれている。
剥き出しになった胸元にはチョーカーが飾られ、雫状に垂れ下がった銀色の留め金の中には、見る者の眼を引き寄せる大きな緋色の宝石がはめ込まれていた。
ドレスの生地は白色だが、光の加減で銀にも見える。ウエストを絞り、その下は大きな襞をとったあと、自然にながれていた。
髪といい、装飾品といい、ドレスといい、決して「間違って紛れ込んだ子供」ではない。相当裕福な、上流の家の娘である。
年齢と身なりだけでも注目されるに充分だったが、彼女にはもうひとつ、人の目を引く要素があった。
可憐なのである。
胸元が剥き出しになったドレスは、彼女でなければ色気過剰の扇情的といわれるものだろう。しみひとつない張り詰めた十代の肌も、髪も、女性を感じさせるのに充分なものだ。
なのに、その少女の場合、風にゆれるカスミ草の風情がただよう。
この会場に美女、はいても美少女は他にいない。
あどけなさを宿す顔立ち。白で統一された衣装。栗色の髪。そのすべてが、彼女の可憐さを引き立てていた。
「先日の機会では結局私ひとりが得をさせていただきました。世の中損をする者がいれば得をする者もいるというわけで……『いざ』というときに備えての常日頃のこころがけが、ああいったときにものを言うんでしょう」
「まったくですね」
白い手袋でつつまれた手が、華奢な硝子のコップを手にとる。
控えめな笑顔で、彼女は話しかけてきた青年実業家と会話していた。
本日は、天才ピアニスト、アイズ・ラザフォードの復帰記念コンサートの開催祝いパーティである。
§ § §
結崎ひよのは話しかけてくる実業家を適当にあしらっていた。
ひよのと話したそうな男は他にもいたが、結局最初に話しかけてきた男がいつまでも立ちさらないので、そのまま継続してひとりと話しつづけている。
三十代の、痩せ型の、眼光に生気あふれる中々引き締まったいい男である。話し言葉は快活で柔和で感じがよく、頭の回転もはやい。会社を切り回している気鋭の青年実業家といったところか。
日本の音楽界はまだまだ「金とコネ」だ。このパーティに出席している実業家はアイズのスポンサーと思って間違いない。邪険にして追い払うほど鬱陶しい相手ではなし、後で面倒なことになっても困る。適当に相槌を打っていた。
「本日こちらにいらしたのは、どういったご関係ですか?」
またか。
本日五度目の質問である。
うんざりしながらも、ひよのは誤魔化した。
「宝を求めて、ですよ? 皆さんがそれぞれご自分の宝をもとめておいでになったように」
「主賓の彼と同じくらいのお年頃ですが、その関係で?」
「正解……とも不正解とも言わないでおきます。そのほうが面白いでしょう?」
にっこりと笑う。
料理は美味しいものの、ひよのは来たことを後悔していた。
このパーティに来た理由は、九割がた無くなってしまったし、しつこい男に絡まれるし。
前のほうで拍手が沸き起こり、顔をあげると、アイズが来たところだった。
このホールは奥が一段高いステージになっており、ピアノが設置されていた。コンサートの成功を祝して、またスポンサーへの愛想として、アイズは本日ピアノを弾くことになっていた。
全員の眼がアイズに集まったのをこれ幸いと、ひよのはそろそろと退出しようとする。
その腕をつかんだ手があった。さきほどまで会話していた実業家だ。
「どこへ行くんですか? これから天才ピアニストの演奏ですよ?」
反射的に、拒絶のことばが喉元までこみあげた。
服の生地越しでも耐え難い。気安く触るなと怒鳴りつけたい。
その気持ちをぐっとこらえ、ひよのは微笑む。
「彼の演奏は、聞こうとおもえばいつでも聞かせてもらえますから」
心のなかでそっと付け足す。―――家にあるCDで。
もちろん、相手がどう解釈するかは勝手だ。
「門限があるので、帰らせていただきます。離していただけますか?」
「そう急いで帰らなくてもいいでしょう―――なんなら家まで送りましょうか?」
とっとと離せ、エロオヤジ。
そう思った瞬間、まるで代弁するかのように声がした。
「離していただけませんか? これから彼女は僕と帰ります」
その声。
振り返って、ひよのはそこに、一人の少年の顔を見る。
スーツだが、十代の少年がそういった服を着たときに特有の「背伸び感」はみじんもない。背が高く、背筋もぴんと伸びて姿勢がよい。スーツに着られる、のではなく自然に着こなしていた。
栗色の髪の少年―――カノン・ヒルベルトはひよのの腕をつかんでいる男の百倍は優雅に、頭をさげた。
「ごめん、遅くなって」
「もう、ほんとに遅いですよ」
気安い顔で、軽口をたたきあう。
ひよのを拘束していた腕からいつの間にか力が抜けている。
ひよのは振り向いて、その手を丁寧に外すと、あくまで礼儀を遵守して会釈した。
「おかげで楽しいひとときでした、さようなら。アイズさんの演奏は逸品ですので、楽しんでいってください」
そしていかにも親しげに少年を振り返って声をかける。
「行きましょう。あなたが遅いから、随分待ちましたよ」
「ああ、ごめん」
―――そんな親しげな様子も、会場を出るまでのこと。
人目がなくなると同時にひよのはカノンから距離をとり、ねめつけた。
「……どうやって監禁場所からぬけだしたんです?」
「君をこんなオオカミだらけのところにひとりでやってこさせるなんて、歩くんは?」
二人が同時にいい、それぞれ沈黙してから答えた。
「……鳴海さんは理緒さんの看病で、ドタキャンです」
「僕はアイズのパーティだからね。特別にだしてもらった」
「へーほーふーん。いーですねー、そこまで心配してくれる親友って! アイズさんがどうして私を呼んだのか、よーっくわかりましたよ」
「お恥ずかしい話ながら、君の想像で正解だよ。……にしても」
カノンはしげしげとひよのを見る。
うっすら、唇にはピンク。ノーファンデでも事足りる色白の肌。
生花をさした髪といい、身なりといい、だ。
「力入ってるねー」
「鳴海さんとのはじめてのパーティですよ、力入れて準備するのなんて当たり前じゃないですかっ」
ひよのは思い出して腹が立ってきた。
「ドレス買って、アクセサリー用意して、髪だって、美容院でセットしてもらって……っ!」
大好きな人とのお出かけは、支度までもが楽しい時間だ。
うきうきしながら髪を結っている最中に鳴った無粋な携帯の音はそのすべてをぶち壊しにした。
ドレスは買ってしまった後で。着てしまってもいて。タクシーだって予約してあった。
どうして今更行かないという選択ができるだろう? ここまで準備したんだからと、料理を楽しみに自分を慰め、とぼとぼと一人でパーティ会場に行ったらこの始末。
簡単に約束を破る鳴海歩なんてきらいだ。
……そして、そんな彼を嫌いになれない自分はもっと嫌いだった。
「それで? 私に脱走を手伝えっていうんでしょう。いいですよ、貸し1つにしておきますからね、後で必ず取り立てますからね!」
「……怖いなあ」
思わず正直な感想を言ったカノンをひよのは睨む。
数秒睨んで、背を翻した。
「こっち来てください」
エレベーターは、業務用。一直線に下に降下する箱のなかで、カノンは上着を脱いでひよのにかけた。
「夏とはいえ、風邪引くよ」
「ありがとうございます」
ホテルの前の車止めには数台のタクシーが止まっていた。
絵に描いたような美少年美少女カップルに驚いた顔をしながらも、指示通りにタクシーはひよのの告げたホテルに止まった。
ひよのはパーティに行く前に、このホテルにチェックインしていた。ここで着替え、美容院に行ってから、会場に車で直行したのだ。
フロントを素通りするひよののうしろにカノンもついてくる。
「チェックインしてあるんだ?」
「ええ」
周りに人がいなくなった時点で、ぼそりと声がした。
「……歩くんは、君に土下座のひとつでもするべきじゃないかな?」
どうして彼がこんなことを言うのかひよのにも判ってる。
ひよのがこの日をどんなに楽しみにしてどれだけ準備に手を尽くしてきたか、そのすべてをたった一本の電話で粉々に壊したことを、謝るべきだと言っているのだ。
「鳴海さんが私にそんなことをする日は、きっと一生来ませんよ」
ひよのが素っ気無く言ったころ、目的地についたふたりの足がとまる。
鍵をあけ、部屋に入って……ひよのは言わずもがなの言い訳をしてしまった。
「この時期シングルは一杯だったんです。あなたと泊まる気もありませんから安心してください」
ベットは、二つあった。ダブルでないのがせめてもの救いか。
ひよのは本当に、鳴海歩とここへ来る気はなかった。いくらなんでも初めてのデートで、そこまで譲歩する気はない。本当にシングルが一杯だったというそれだけで、ひよのはこの部屋をとったのだ。
「君はどこで寝るの?」
「どこでも寝ませんよ。あなたの復帰への裏工作に、これから行ってきます」
「は……」
カノンの口が信じられないというふうに開いた。
国外脱出だの逃亡生活だのを考えていたのだろう彼には悪いが、ひよのには組織に追われる気も、彼をかくまう気も少しもない。
「ひよのちゃんの影響力を甘く見ないでくださいね?」
部屋においておいた紙袋の中身は、普段の服。
バスルームで素早く着替え、髪の生花も落とす。
出てきたひよのに、カノンは感想をもらした。
「言い忘れていたけど……、さっきのドレス、とてもよく似合ってたよ」
「鳴海さん以外の人に言われても、嬉しくもなんともありません」
言ってから、後悔する。どうしてこうも険のある返答をしてしまったのだろう、笑ってありがとう、それでいいのに。
判ってる……八つ当たりだ。
結崎ひよのは鳴海歩にそう言ってほしかった。
なのにその言って欲しい人は今、他の少女のところにいるから。その腹立ちが無関係なカノンに向かってしまったのだ。
自分が馬鹿だということを知らない無知な人間は救いようがない。自分が馬鹿だと知っても変わらない人間もしかりだ。
ひよのはせめて、自分が馬鹿だということを知ったら変われる人間でいたかった。
ひよのは息を吐き出し、頭を下げた。
「すみません、八つ当たりでした」
「いいよ。気にしてない。ところで、そのチョーカー。本物かい?」
「本物ですよ」
先ほどとはちがって、言葉の意味を理解しての返答をにっこりとしてみせる。
親指の爪ほども大きく赤い、ルビー。鮮やかな真紅は、鳩の血色と呼ばれる最上級品だ。
買い叩かれても一千万は下るまい。
「私を気絶させてこれを盗めば、当分生活費に苦労はしませんね。やってみます?」
カノンは両手を広げてみせた。
「……やめておくよ。宝石を売りさばく故買屋につてはあるけど、君を敵に回したくない」
ひよのは鷹揚に頷く。慈善事業を鳴海歩以外にする気はない。
貸しは必ず取り立てるし、貸す価値のない相手に貸す気もない。
ひよのはカノンを利用価値が充分にあると見積もった。だからこそ、手を貸すのだ。もしここで安易にひよのに襲い掛かるような男なら見限るまでだ。
「では、一週間。このホテルにいてくださいね。アイズさんに連絡するのも控えてください。ひよのちゃんの名にかけて、どんなに遅くとも一週間以内にあなたの身分を確保しますから」
「ルームサービスはとっていいのかな?」
「ご自由に。料金は清算時に払いますから」
そしてその代金はひよのからアイズに請求書の形で回されるのだが―――それは胸にしまっておく。
シャツに厚手のパーカー、ジーンズという服装のひよのはリボンを取り出し、流していた髪を1つに縛る。
最後に振り返り、一言言い置いた。
「……では、大人しくしててくださいね?」
それきり何の未練もなく、扉を開ける。
そのときふと影が差し、上を見ると、半開きの扉にカノンが手をかけ、ひよのを見下ろしていた。
カノンは少し躊躇うような沈黙のあと、言葉を発する。
「……その。ありがとう」
ひよのは笑って謝絶する。
「礼はいりません。言ったでしょう? 必ず返してもらうと」
カノンを押しのけるようにして、ホテルの一室を背にする。
ここからはひよのの独壇場。
力も暴力も何の意味ももたない孤独な戦場だった。
贈答品カノひよ小説の書き増しバージョン。はっきり言って、ベツモノに近いです。
ひよののドレスは2005年1月号ガンガンに載っているものをイメージしています。
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