偽りの終焉 8
建材が落下する轟音がまださめやらぬなか、三種の澄んだ音が交錯した。
一つはキールがリルレーンによって剣を弾かれた音。
一つはその剣が床に落ちた音。
そして最後の一つはシヴァースが父親を突き飛ばして駆け寄った靴音だった。
「だいじょうぶか!?」
シヴァースは地面に膝をつく相手の体をざっと見て、傷を把握する。
左腕の開放性骨折。手首の骨が皮膚を突き破りその身を見せていた。
キールが顔を上げる。
「なんで、ここに、お前が……」
あの一瞬、いるはずのないシヴァースの声で、キールは一瞬迷った。そしてリルレーンに剣をはじかれ、手首を折られたのだ。
「伊達に十年以上も付き合ってきたと思うなよ。お前の思考回路ぐらい把握してる! それより傷を見せろ」
キールの左腕をとり、全身の力をこめて、突き出た骨の位置を一気に直す。
頭の毛細血管が破れるほどの激痛にキールの唇から苦鳴が漏れた。そして懐から手巾を取り出すと、肘の上できつく縛る。
「今は、これだけしかできないが……」
キールはされるがままになっていたが、苦い息を吐き出した。
「ばっかじゃねーの、お前? 俺、もうすぐ死ぬのに傷の治療してどうするんだよ?」
たしかに、あれだけの音で、誰も気づかないはずがない。今頃は大挙してこちらに向かっているだろう。
緑の座はいて当然。
リルレーンは姿を消せる。
青の座は皇族だ。
この場のただ一人の部外者に、まっさきに目がいくだろう。そしてそれは正解なのだった。
「……それでも、お前は死なない。シミナーなんだから」
「緑の座が、俺を殺すさ」
キールはシヴァースよりは状況を理解していた。今もキールの背中に憎悪の篭もる目線が突き刺さっている。
「なぜ? 緑様はお前を殺せないぞ」
「いくらでも抜け道はあるさ。特に俺は文句のつけようもない罪人だ。しかも罪名は大逆罪。正々堂々と法に則って俺を殺せる。そうだろう、カルラーン?」
この期に及んで、キールは緑の座の本名を呼び捨てにした。もちろん、それが挑発であると気づかぬ者はこの場にいない。
緑の座は少し間をあけ、やがて妙案を思いつき、唇を吊り上げた。
「…まさか。そなたを殺しなどするものか。いささか時期尚早だが、まあよかろう。そなたの時を止め、永遠を約束するとしよう」
憎悪と悪意が滴り落ちるようだった。
シヴァースは、父の、それほどまでに感情的な言葉を聞いたことがない。
「……緑様……父上……カルラーン様!」
悲鳴のような嘆願に、緑の座の表情が厭わしげに変わる。
キールはそれを見やって、右手を伸ばして剣を拾いあげ、最愛の人間に手渡した。
「永遠なんて、欲しくない」
シヴァースは差し出された剣に、目線をあてた。
キールが、シミナーが生まれた年から、国家予算にはある一定の金額が毎年積み立てられている。
シヴァースが記憶喪失になった件からも明白なことだが、人格は記憶から作られる。
記憶の複写。転写。保存と再生。
無限に繰り返される有限は永遠とおなじ。
……永遠の、いのち。
あまたの人間が望んだ、完全なる「現状固定」。喜びも悲しみも絶望すらも、間延びした感覚のなか、傍らをただすり抜けていく。
……失うとわかっているものに、心を委ねて何になる? 生まれた時から、キールの周りには、「いずれ必ず失われるもの」しかなかった。
そういう視点に、立ってしまえば。
何かに感情を傾けることは、傷つくのと、同意義だ。
記憶の転写による、かりそめの永遠。
キールが嫌う「影」は、シミナーの残骸だった。一度人格の転写を行えば、転写した先のそれまでの人格は死んだも同然となる。かといって赤子に宿れば、思うように動かすこともできない体のまま、数年を過ごさなければならない。成人の体が必要なのだ。
市井の者では、突然人格が豹変し、失踪すれば騒ぎになる。ならば最初から、特殊な人間を育てればよい。シミナーの器として。
そういう意図のもと、影は育てられた。行政がそこまでしてシミナーの延命を図る理由がシミナーの能力を利用することにある以上、肉体は頑健な方がよいことは言うまでもない。いつの日か、己の人格が消える日まで、彼らは鍛錬にはげむ。
……いつの時代の緑の座だったのだろうか。それを見つけたのは。
一度記憶を他者の体に刷り込めば、二度目からは必然となる。次々に体を乗り移っていかなければ、発狂してしまうのだ。
人間の心は、魂だけに宿るものではない。脳に、体の隅々に、宿主の記憶が点在している。やがてそれらが、乗り移った人間の記憶と混在化しはじめる。
そうならないようその前に、再び体を変えなければならない。そして、シミナーの記憶が再び転写された後の人間は、シミナーの記憶と、元の宿主の記憶とが混ざり、発狂する。……精神が、綺麗さっぱり消えるのだ。
ただし、命令された事は実行する。つまり、人形になる。
―――そして、これを用いて出来上がったのが、影であり、シミナーの残骸だった。
何故、シミナーが百年に一度しか生まれないというのに、百人いることを人は疑わないのか?
永遠の生だなんて、なぜ騒ぎにならないのか。
それは、「知らない」からだ。
シミナーがそんな確率でしか生まれないなんて、知らないのだ。普通の人間は。
なぜなら、かなり頻繁に、シミナー誕生の報道はなされるから。
そして。
―――シミナーの住居は、誰も知らない。
治療を望む者が押しかけてくるから。表向きの理由はそれだ。だが、それだけではなく、もっと重大な意味は、「そこに子供がいないから」なのだ。
レイオスの寿命は三百年。成長期を越えた人々の年齢は一様に見分けがつかない。
シミナーが人前に姿を現すのは成人してから、治療の際になる(キールは特別だ)。
そこにいる人間が三十歳なのか、それとも百三十歳なのか、人は気づきようがない。最初から三十だと先入観をもって見ていれば、尚更だ。人は先入観でものを見る生き物なのだから。
まして、相手はシミナーなのだ。
年に合わぬ落ち着きも―――何もかも。人は皆、その一言で納得してしまう。
キールの年にそぐわぬ大人びた表情を、ナギがそうやって納得したように。
シミナーだから、と。
だから人々は何も知らない。目の前にいるシミナーが、本当は何歳なのか、何も知らない。いや、本人すらも知らないのかもしれない。記憶の転写がどのようになされるか、シヴァースは知らない。
一度保存した記憶をそのまま繰り返し使われるのか。あるいは新たな肉体で得た記憶を更にその上に付け足されるのか。
前者だとしたら―――最悪にも勝る。
何一つ変わらない永遠。
何一つ変わらないからこその永遠の命。
影は嫌いだ。
滅多に人を嫌わないキールが、影を嫌いだという理由を、シヴァースだけは知っていた。
永遠の生――。なんて醜悪な地獄図か!
シヴァースは半ば呆然と問い返す。
「……お前を殺せと?」
「早くしろ! シミナーに自害は許されない。誰かが来る前に、お前が俺を殺せ!」
シヴァースは目をとじ、体中から叩きつけるように言葉を発した。
「できない!」
「―――じゃあ、俺がお前を殺す!」
キールは緑の座に目をやる。
「緑の座。間に割って入って少しでも俺が傷つけば、あなたは破滅だ。手をだすな」
踏み出しかけていた動きが止まる。
キールはもう一方の傍観者にも告げた。
「リルレーン。お願いだから、手は出さないで」
彼女は憂いをふくんだ美しい瞳でじっとキールを見つめ、問い掛けた。
『……あなたは、私を裏切ったのですか?』
結局のところ、リルレーンはただそれだけを問うためにここにやってきたのだ。
ただ一人、友人と信じた相手が自分をたばかったことを、信じることができずに。
人に無関心なので、キールは滅多に人を嫌いません。
お気づきでしたでしょうか。キールが嫌っていた人はいろいろ出てきましたが(シンとか、シンの兄とか、同胞とか)その彼が唯一、理由なしで嫌っていた相手―――それが、影です。
影は心が無い人形。
シミナーは心の医者。
―――この時点で勘のいい方は両者の関係に気づいておられたのではないでしょうか。何らかのつながりが、そこにはあると。
2002 7/28 up