偽りの終焉 7

 

 リルレーンは、シヴァース・イシス・サラディーという人間に、好意的な興味を抱いていたとは言い難い。

 四年前、第二位の位にある三人の精霊のうち、二名がシヴァースを殺しかけた。キールのなかで、その存在が、無視しえぬほどに大きくなっているとの判断からだった。
 リルレーンはそれに参加しなかったが、心境としては同じようなものだ。
 だが――いま、彼女はどうしてキールがこの人間を愛するようになったのか、わかるような気がした。

 皇宮の内部はほとんどの術の使用が制限される。
 いくつかの移動補助手段はあるものの、基本的には自分の足で移動しなければならない。彼女は比類なき強大なる精霊なので移動という観念自体を持たなかったが、シヴァースはそうもいかない。
 彼は自らの足を使って、皇宮を疾走していた。

 シヴァースが今いるのは奥の郭。皇族の私的な住居が集まる場所でほとんど人はいなかったが、それでも何人かが、普段の落ち着きをかなぐり捨てて全力で走る青の座を目を丸くして見ていた。
 早く。
 その気持ちばかりが急いて、心臓の破裂するような痛みも、足の悲鳴も聞こえなかった。
 どうでもいい。キールを失うことに比べたら。

 気がとおくなるような長い苦行のはてに、緑の座の私室に辿り着いたとき、シヴァースはそのままの勢いで扉を開けた。
 慎みがあるとは言えない音が響き、室内の人間が彼の方を振り返る。
 驚きの表情からは、百光年ほど離れた顔。
 シヴァースが緑の座の住居区画に足を踏み入れたとき、すでに報告を受けていたに違いない。
「焦り急ぐ様を万人に見せるとは、皇族として相応の行為とは言えぬな。何の用だ?」

 シヴァースは乱れた息を整えつつ、確認をとった。
「今代の調停者は……、来ていますか?」
「いや」
 間に合った――シヴァースは安堵でへたりこみそうになり、実際に体をかがめた。
 床に拝跪し、頭を垂れる。荒い息で告げた。
「緑様。ご無礼をお許しください」

 実は、と話を続けようとしたとき、緑の座は言った。
「そこにおられる精霊はどなたか? 相当高位の方とお見受けするが」
 シヴァースははっとした。
 彼の隣、何もなかった空間に、すうっと色がつき線が現われた。緑の座は精霊を見る能力をも併せ持つ。透明でいても意味がなく、形をまとったのは、この場で唯一精霊を見る能力のないシヴァースのためだろう。

『精霊の階級において第二位。死を司る者。現在わたしを形容する名はリルレーン』
 ちなみに調停者は第三位だ。
 「第何位」というのは上から数えた階級の順番であり、人数ではない。第二位の階級には、三人の該当者がいた。他の位も複数の該当者がいるのが普通だ。
「なるほど。それで貴殿はどのような用件で我が前に?」
『それはあなたの子どもにお尋ねなさい』
 その言葉をうけ、シヴァースは言う。

「緑様。精霊は五年ごとの誓約の更新を見送り、人の勢力圏の縮小をはかる行動に出る心積もりです。ですが今代の調停者であるキール・スティンは緑様のお命を狙い、潜入しています」
「なぜそのような愚かな真似を?」
 当然の疑問だった。

 緑の座はかつてキールを殺しかけたことがある。もしあの攻撃でキールが少しでも傷を負っていたならば、緑の座は不名誉な悪名を歴史に刻むことになっただろう。人口も領土も十分の一にまで縮小していたことは間違いない。
 それを思えば、緑の座と調停者は、決してお互いを傷つけられない。

「……キールは、誰かに利用されることをことのほか嫌います。精霊に、無理強いされた協力。被害者が、脅迫者に対して、好意を持つでしょうか? そしてキールは、シミナーです。永遠の生を、約束された人種―――」
 一世紀に一人の誕生確率。
 それが、なぜ百人もいるのか。それは。
 キールが何故、影を嫌うのか、それは。

「……キールは、それを快く思っていません。ましてや喜んでなど。緑様の殺害は、その二つの欲求を同時に満たす唯一の方策です。長年自分を道具として利用してきた精霊への意趣返しと、シミナーである自分の身を、破滅させることのできる絶好の策……」
 よほどの大罪をおかしても、シミナーであるキールは、死刑になることはまずない。けれどそれが緑の座の殺害ならば話はべつだ。
「斯様な事情で、踏みいりました。ご無礼ご不快は重々承知なれど、ご容赦ください」
「―――なるほど」
 一言に、さまざま意味が込められていた。
 その響きに思わずシヴァースが頭を上げたとき、それは起こった。

 崩落。
 天井の建材が塊となって落下する。緑の座は身じろぎすらせずその岩石の雨を受けた。
 皇族の服の結界。
 緑の座に触れる前に巨大な岩石は弾かれ、軌道を変えて滑り落ちた。リルレーンは精霊のため、物質による攻撃は無意味だ。しかし、残る一人にとっては――――

 迫る巨岩に、シヴァースは死を覚悟した。
 逃げられる範囲より降り注ぐ範囲のほうがずっと広い。
 一つでも当たれば頭蓋骨など素焼きの陶器よりも脆く壊れる。

 緑の座はそれを目にとめると、予想外の行動に出た。
 シヴァースのところまで駆け寄ると腕をつかみ、引き寄せ、囲ったのだ。
 轟音と土煙が視界を遮る。
 緑の座の肩越しにある人影を認めて、シヴァースは叫んだ。
「やめろ! キール!!」

 

2002 7/27 up

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