偽りの終焉 5

 

『先に言った行為と、―――緑の座の根絶』

 シヴァースは、わずかに眉をひそめた。
 外見上の変化は、それだけ。
 けれども彼の脳裏では、その優秀な頭が猛烈な計算を開始していた。
「……なるほど―――。私を、殺すつもりですか」

 現在皇族は、二人しかいない。
 緑の座本人と、シヴァースだ。他は全員彼が殺し尽くした。
 もしも現在緑の座がみまかり、シヴァースも命の炎を絶やしたら、皇族は一人もいなくなる。
 緑の座になるには、皇族であることが絶対条件だとされている。もしも緑の座という地位が皇帝というだけならば、それは、単なる形式上の形骸であるだけかもしれない。

 けれども、シヴァースはもうキールから実際に聞いてしまっていた。
 単なる皇統の箔付け、後世の捏造だと思っていた神話の、少なくとも一部は本当だということを。
 ―――緑の座には特別な力が与えられる。それは本当。
 キールの言葉。
 あれは嘘ではないだろう。

 本当に、緑の座という『力』を引き継ぐには、その血をひいた皇族でなければならないのかもしれない。
 だとしたら、ここで自分を殺し、緑の座の血統を断絶させれば、緑の座は絶えるだろう。
 皇族を降りた紫の座もいるにはいるが、そもそも「血を引いている」だけならば腐るほどいるのだ。代々紫の座となった者の子孫である。
 けれど彼らは、「皇族」ではない。

 シヴァースと、緑の座。これっきりしか、現在『皇族』はいない。
 精霊は、彼に視線を向けた。
『貴方は殺されません』
「……え?」
『殺すつもりならば、とうに殺しています。こちらにキールがいることをお忘れですか?』
 ―――瘴気浄化能力者。

『あなたは、殺されません』
 目をすがめた表情で、宣告するかのように精霊は言った。
 森に風がふき、一斉に葉ずれの音を響かせる。シヴァースの髪が、ざわりと精霊の方に吹き付けるなか、彼は精霊の一挙一動足を冷静な眼差しで見ていた。

『私はあなたを殺しませんし、他の精霊も、あなたを傷つける者は、誰一人としていないでしょう』
 ……精霊は嘘をつけない。
 シヴァースはその事実を思い起こした。
 つまりはそれほどに、彼女の言葉は信じがたいものだったのだ。
 精霊は嘘をつけない。
 ということは、彼女がそう宣言したというのは、それだけの根拠があるのだ。

「ですが―――緑の座の根絶というのは……」
 精霊はその言葉を誤解してこう答えた。
『ご心配なく。精霊は、先にも言ったように、領土の拡張が目的ではありません。緑の座を殺めたあとも、現在のこの状態を保ちましょう。なぜなら、あなた方にはもう、我々に手向かう手段の一つも残されてはいないのですから』
 勝者であり、厭い恐れる何者もいなくなったからこその優しさ。
 それを、人は余裕と呼ぶ。

 緑の座が生きている頃は、叩ける時には徹底して叩いた。
 容赦などしなかったのは、脅威があったからだ。
 やらなければやられるという時に、どうして慈悲心など沸かそうか。
 けれども緑の座のいなくなった人間には、もはや「対抗する手段は何一つない」のだ。
 協定を結び、緩やかに人口減少の圧力をかけなくとも、好きにさせ、人口が増えたら気兼ねなく削除すれば良いのだから。
 それは人間が精霊と、まがりなりにも対等であった立場からすべりおち、管理される存在になったということだった。

 また、疑問が湧き起こってきた。
 精霊と、人。
 これはどういう力関係なのだ?
 精霊は叩けるときには人間を容赦なく叩く。たとえば、調停者を緑の座が傷つけたようなときは。
 また、人口が増えたとき、勢力をのばしてきたとき、精霊の脅威を人間が忘れかけたら、協定を更新せず人間をたたく。これもいい。
 けれど、精霊は人を滅ぼさない。
 だからある程度人口が減ったら、また協定を結んで小康状態になる。小さな平和を手に入れる。叩きっぱなしにはしないのだ。

 一見筋は通っている。
 ―――でも。
 精霊の協定を結ぶ利益とは、何があるのだろう?
 人が、精霊の脅威を忘れかけたときには叩きたいのならば、協定を結ばなければいい。そのほうがずっといい。
 それに、キールが語った「契約違反時の容赦のなさ」とも釣り合わない。
 恐れているからこそ、叩ける時には容赦なく叩くのだから。
 なのに精霊の言葉は、精霊は人を完全に相手にしていないかのような印象を与える。
 それほどまでに精霊の力か圧倒的なら、なぜそこまでするのだ?

 ―――たしかに、嘘は言わないが本当でもない言葉をつかうな。
 シヴァースは吐息を吐き出した。
 精霊は嘘をつけないが、それは狡猾ではないということでは、決してない。
 彼女が思い込ませようとしたほど、精霊は人間に対して優位ではない。

 精霊が協定を結ぶ理由。
 答えはたぶん、一つしかないように思えた。
 緑の座は、それほどに精霊にとって脅威なのだ。

 恐らく協定の内容には、精霊は攻めないかわりに、緑の座も力を使わないという一項があるのだろう。
 人間を叩くため、協定を破棄するたび、精霊も少なからぬ被害をこうむるのだろう。だからこそ、協定を結んで休戦する。人間側も傷つくが、精霊側も傷ついているからこそ。
 お互いにとって、協定は必要なものだった。
 そして逆に言えば、損傷を覚悟で協定を破棄し、人間に脅威を植え付けなければならないのだ、精霊は。―――精霊は、「精霊を見ることができる力」を人に渡す。
 精霊を見る能力を授けるのも。
 協定をしばしばやぶり、自分の存在を人に見せ付けるのも。
 精霊の行動のすべては、一つの理由に沿っているように思えた。
 ―――精霊は、人に、彼らのことを過去のもの、幻想の生き物にさせてはならないのだ。

 そう思う端で、また、疑問がわきおこってきた。
 ―――なぜ、『今』なのだ?
 だからシヴァースはそれを口に出した。
「なぜ、今なのですか?」
 現在生き残っている皇族はシヴァースが一人と、緑の座が一人きり。
 つまり、シヴァースが次代の緑の座だ。
 遅くとも十年以内には譲位されるだろう。
 その状況下において、なぜ今こんなことを決行する必要があるのか。

 シヴァースは彼我の実力の差を、直視できないほど愚かではない。
 父と自分の実力差ははっきりしている。……少なくとも、しているように、人目には映っているはずだ。
 もしもシヴァースが精霊ならば、けっして、今行動は起こすまい。
 どちらが組みしやすいかといわれれば、年若い彼の方に決まっている。
 人間のように、待つ、という行動が苦であるとは、悠久の時の流れを見つめて生きる精霊には、考えられない。

 精霊の返答は、はっきりとある色を帯びていた。
 無知であることへのあざけり。
『そうですね、今でない方が、いろいろと便利な事は多かったでしょう。ですがこちらにも、そうはできない事情があるのです』

「その事情というものを、教えていただくことはできますか?」
 精霊はシヴァースを見つめる。口をひらき、閉じる。
 反射的に拒絶しかけ、やめた。そんな風に見えた。
 そしてゆっくりと、言葉を放つ。
『筒井筒の仲は、美しきこと』

 とっさに、シヴァースは片手で自分の体を抱きしめた。
 ―――キール・スティン。
「あいつ……が!?」

 精霊の第三位といっても、キールが繰り返し言ったように、「雑用係」で、人間だ。
 まさか、自身の個人的感情で、精霊全体の行動を左右できるほどの影響力を持つに至っていたとは思いもよらなかった。
 ……、そう、個人的感情。
 シヴァースは痛みをこらえるかのように目をかたくつむった。
 十年だ。
 正確には、十二年。
 その時間が彼の中にゆっくりと、言葉に出来ない想いを積み重ねていったように、キールもそうだったのだ。

 けれども浪漫主義者では皇族などやっていられない。シヴァースの頭は新たに与えられた情報にあわせ、素早く状況を計算しなおしていた。
 その事実は、今回のことにキールが深く関わっているということを、示している。
 緑の座の根絶。
 たしかにそれが、精霊側にとっては最良の手段であったにちがいない。
 けれど―――これまで精霊に、そのような発想はなかったのだ。
 なぜならもしもかつてから繰り返されてきたことであれば、もう少し父親も自分たち皇族に警告なり何なりしたはずだ。

 なんせ、一族内の競争は、末期においては皇族の数は二人にまで減る。万が一その二人が同時に死ねば、それで皇統は途絶する。殺戮の末の玉座は、それだけ危険をはらんでいるという事でもあるのだ。だからこそ、皇族は皇族以外の者に殺されることがないよう、事故で死なないよう、特殊な服を着ているのだ。
 精霊がそういう風に緑の座に干渉を企てたという前例があったならば、絶対に、シヴァースが一人生き残った時点で、何らかの警告が緑の座から下されたはずだ。
 けれど、それがない。つまり、今回が初めてなのだろう。精霊の、このような行動は。

 今回の前例のない精霊の行動に、キールの影があると感じるのは、けっして、飛躍している推論ではないだろう。
 証拠は何一つないが、いかにもキールが提唱しそうなことだ。そして、その提唱を実行化させるだけの影響力を、キールが持っているということを、先ほど知らされたばかりだ。
 なんせ、皇族であり緑の座をつぐ第一候補が親しい者だからという理由だけで、決行の時機を早めることができるのだから。

 シヴァースは冷静にたずねた。
「……ここに私がいるのは、何故ですか?」
『人質としてです』
「失礼ですが、緑の座に対して人質というのは賢い手段とも思われません。皇族というものは、使い捨ての道具です」
 つぶしあいをさせ、一人残った者のみを生かす。自らもその環境をくぐり抜けてきた緑の座にとって、子どもなど単なる後継ぎという名の道具にすぎない。切り捨てるにいかほどの逡巡があろうか。

『……己を知らないとは、愚かなことですね』
「? ―――どういうことです?」
『あなたは自分の母を知っていますか?』
 シヴァースはかぶりを振る。
「似姿絵を見たこともありません。ただ、……私と似ていたのではないか、と」
『では、緑の座があなたの母を真摯に愛していたことは?』
「私は」

 シヴァースは強くその言葉を発した。
「愛していれば許されるという考え方が最も嫌いです。父がした事が、愛ゆえだったからといって、許されるものとは思わない」
『感情的にならないでください。私は事実を並べているのです。彼はあなたの母を愛していた。だから力ずくでも手に入れた。やがてあなたを身篭もると、彼はあなたを自分の子だと確信した。それはそうでしょう。彼女と接触があったのは彼以外いない。そしてそれを最もよく知っていたのは、彼女を監禁した彼だったのですから』
「…でしょうね」
 確実に、血がつながっている。
 血統が重視される皇宮において、だからこそ、父はシヴァースを皇族とすんなり認めたのだ。自分の子だと。

『ですが、生まれてきたあなたは、異常なほどに美しかった…。自分にも、愛した女にも、まるで似ていなかった。彼女が妊娠し、その腹の中の子どもが彼の子どもであったことは明らかです。では残る可能性は、嬰児交換』
「……私は、この顔を母譲りだと……」

 あの父が恥も分別も忘れたほどの相手なのだから、さぞ美しかったのだろう。そう考えていた。
『出産は母体の負担が非常に大きいものです。愛する相手がそのような難事にいどむとき、何も手を打たない人間がいますか? 彼は何人もの医師を用意した。むろん、厳重に口止めをして』
「………」

『彼女が産んだ子ども。それとあなたが、どこかで入れ替わったのだとしたら、出産を終え、初めて彼が赤子を見るまでの間でしょう。しかし、医師のうち、最も疑いが濃い相手は、調査したとき既に死亡していました』
 鼓動の音が、うるさいくらいだった。
『緑の座は、こう考えた。あなたは自分の子ではない。しかしその時すでにあなたは五歳。すでに皇族として認められていた。緑の座の血を引かぬ者が、皇族として在る。…まあ、それはどうでもいいことです。始末してしまえばいいのですから』
「―――私が誘拐されたのは、五歳のときです。父は、あの時、私を殺そうと…」

『したのです。ですが、できなかった。理由はただ一つ。殺すのが惜しいほどに、あなたは美しかった…』
 シヴァースは一つ息を吐き出すと、頭を振った。それだけで動揺を払拭する。
「……驚くほどの事でもありません。私を殺そうとしたことも、それを惜しいと思うのも、父ならありえるでしょう。あの方は、ことのほか私の顔がお気にいりですから」
『……あなたは、自分がどれほど魅力のある存在か、考えてみた事はないのですか?』

「ありますが、何度も。それを逆手にとることで、私はここまで生きてきたようなものです」
『緑の座にとって、あなたは自分の子どもでもない。何故、緑の座があなたを真剣に愛しているのだとは考えないのです?』
 シヴァースは微塵も表情を変えなかった。
「真剣に愛しているのならば、あのような事ができるはずもないからです」
 平坦な口調のなかに、底冷えするほどの突き放した冷淡さが含まれていた。

「まあ、貴方がたが、私を人質に使用できると考えるのは勝手です。ですがその目論見が外れても、私を非難なされぬよう、お願いします」
 シヴァースは会話を終わらせ、木の幹に体を預けた。
『……あなたにとって愛するとはどういうことですか?』
 その言葉からは、シヴァースに対する興味が感じられた。シヴァースは片目をあげ、冷やかに言う。

「合意なしに性行為を強要しないということです」
 本人は知らなかったが、侮蔑や憎悪の表情にこそその美は花開き、抗いがたい魅力を発揮する。その瞬間、彼はこの世で最も美しいものの一つだった。
 シヴァースは気づかなかったが、精霊ははっとして彼を見下ろす。

 シヴァースは逆に尋ねた。
「キールはいまどこにいるのか、ご存じですか?」
『……。緑の座のもとへ行っています』
 シヴァースは首を傾げる。
「何のためにです?」
『緑の座を無力化するためです』

 ―――その瞬間、すべてがつながった。
 それはまるで永年を生きた巨木が一日もなく倒される時のように急激で、音がしそうなほど劇的だった。

 

2002 7/23 up

 

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