魔術学校主導の就職説明会への勧誘が、先日家庭訪問にやってきた。
是非とも引く手あまたのキールに出てもらって、その他大勢と束にして、就職先へ売りつけようという腹だろう。
引く手がない子の救済人として、確かにキールは役に立つとは思うけど(キールが手に入るなら、十人二十人引き受けるってお貴族サマは、いくらでもいるだろうなぁ…)。
でも、キールがその子たちを救済せねばならん理由も、ないんだよね。
おまけに、キールは、イヤな事は面とむかって露骨に嫌と言える性格だ。(世の中、嫌であっても大の大人が頭下げているのにほだされて、きっぱり言えない人の方が、遥かに多い)。
かくてキールは家業を継ぐことになった。そう、自給自足の動物性タンパク質の食料生産である。またの名を、狩猟という。
世界は平和だった。争いというものは遥か昔の物語の中にしか存在せず、二つの民族はそれぞれすむ場所を分かちあって共存していた。
ひとつの民族は壁の中に住み、もう一つの民族は壁の外に住む。その分化は、石炭の発見以前に遡る。
元々人々は一つだった。
精霊とたわむれ、自然と同化し、精霊から魔術を習った。そしてやがて、物資の流通の必要から、街ができた。
昔ながらの物々交換から金銭の制度が定められ、商業が飛躍的に成長する。人が集まり市ができる。
市ができればそこに定期的な市ができるようになるまでほとんど時間はかからず、更に街へ発展するまでには、さして時間は必要なかった。
このころ人々は二つに分化する。
街で暮らし、豊かな物質と楽な暮らしに囲まれ、多人数で一ヶ所に居住する人々と、あくまで自然の中で暮らし、一世帯単位で同居し、仲間との住居は一つ所に集まらない人々とである。
彼らはお互いが歴史的必然によって分かたれた民だということを理解し、片方がいなければもう片方も窮地に陥ることを理解していたので、互いの主義を尊重しあっていた。
それでも時々二つの民族間で問題が起こると、皇家の出番がまわってくる。彼らはおおむね平等に、大した不満は出さずに問題を解決する術に長けていた。長けていたからこそ、二つの民族は調停者役として、彼らを支持し、従ったのであるが。
何よりも、彼らの数と比べ世界は広く、とりたて住む場所や食料を争う必要に迫られる事などなかったのである。
やがて人口爆発が起こっても世界はなお広く、その後の出生率の緩やかな減少は、世界をますます寛大にした。
そう、世界はおおむね平和であった。もちろん、一部平和ではない人々がいるのは、仕方のないことではあったのだけれども。
キールとはこういう少年だ。
歳はこの間十五になったばかり。性別は男を選択した。考えるのが面倒くさかったからだろう。
体付きは最近急に身長がのびはじめて、筋肉がまだそれに見合わない少年期独特のアンバランスな体型をしている。
特記すべきはその能力で、いくつもの希有な才能をもち、その能力はこの星でも有数のものとされている。
精神治療者(シミナー)、瘴気浄化能力者、精霊と交信する資質。
おそらく、まともに一対一で戦って、キールに勝てる子供はいないだろう。体術も、武技大会で昨年優勝したほど(少年の部で)の腕前だ。
優しく、頼れる人柄で、頼ってもまず間違いはない誠実なお人だった。
追記。僕の兄である。「イール、イール、起きて」
自分のものとしか思えない顔が、覗き込んでいた。
「…ふあああっ。キール、おはよ」
「おはよ。ご飯できてるよ」
顔も体型も年齢も寸分違わず一緒の僕らは誰がどう見ても双子で、入れ代わりを演じているときは誰がどう見ても(一人をのぞいて)見分けがつかない。
そのただ一人の例外は、食卓で二人を待っていた。
「おはよう、イール」
「おはよう…ナギ。ふあー…あ」
盛大なあくびを一つ。
ナギは髪を肩までのばしてくくっている、キールとよく似た穏やかな雰囲気の、僕らの父親だった。
「明日はイールが当番だからな、ちゃんと起きろよ」
キールがご飯を配りながらいう。
「起きれるよ。シンじゃあるまし」
よく泊まりにくる幼なじみは、寝起きが非常に悪い。
「…シンは仕方ないよ。あいつ、家でほとんど寝てないだろ」
「……そなの?」
「うん。寝ていると、殺される危険が飛躍的に増大するから」
「………シンって、どこの家の子なの? 凄い家っていう事は知っているけど…」
「すっげー名家。星で一二を争うよ」
僕は暗殺が日常茶飯事の家の情景を想像してみようとした。
ムリだった。
自由の民である僕らに身分制度は遠い出来事だということもある。でも何より。
「…シンがあ?」
一緒に川で魚をつかまえたり、湖で泳いだり、木登りの早さを競ったり、とした相手がそんなの信じられない。
キールは肩をすくめる。
「あいつ、切り替えうまいぞ。ぴしっと無表情で気品と威厳。今度やってもらえよ、一見の価値はあるから」
「キールは見たことあるの?」
「何度か」
「……シンがいないと寂しいねえ」
それまで黙っていたナギが言った。
僕はナギの鋼鉄の心臓に呆れるを通り越して感心してしまった。
シンとキールの仲は、非っ常に、悪い。
二人いるとグサグサ皮肉の応酬で、果ては外へ出て喧嘩を始める仲だ。もっとも,大抵キールが勝つから、キールから実戦形式でシンが教わっているという言い方もあるが。
しかし、確かにシンがいると場が華やかになる。皮肉の応酬も、結構スリリングで面白いものがあるし。
「…う゛ーん、それはそうかも」
「だろう?…」
僕とナギの視線がキールに集まる。
「…なんで二人とも俺を見るの」
「だってキールしかシンと連絡とれないじゃん」
意外なことに、二人の喧嘩は大抵キールが吹っかけている。キール曰く、「虫が好かない」のだそうだが、いつも穏やかなキールがシンに対する時だけはまるで別人のように刺だらけになる。
「……明日か明後日にはまた来るよ。あいつんち、すっげー忍び込むの大変だからやだ」
「だろうなぁ」
ナギがしみじみと同意し、イールもそれは同意見だった。なんせ、暗殺がしょっちゅうの家で、防止対策とってないところなんて信じられない。
シンはこういう人間である。
歳は僕らとほぼ同じ、十五歳。ほんの少し、年上。
腰まである銀髪は艶やかで、ひどく色が冴えた白銀。肌はしみ一つない白磁のようで、通った鼻梁にくっきりと弧を描く眉。
シンというのは要するに、掛け値なしの絶世の美人だ。ナギに聞いたら少し訂正された。傾城傾国、至高の美貌だと。仲の悪いキールでさえも否定しなかった。―――できなかった。
「シン、ナギの子供になっちゃえばいいのに」
「おいおい」
「だって、ご飯もまともに食べられなくて、夜もまともに眠れないような家、居心地いいとは思えない」
絶好のチャンスはつい先日、あったのだ。シンがそれを蹴ったが。
「……そりゃそうだけど。あいつ、賭けてもいいけど、うんとは言わないぞ。あいつのプライドは山より高く、海溝より深いからな」
「…そ、そう?」
自分と転げ回って遊んだ田舎の少年と、キールが語るお貴族さまの少年とがどうも重ならない。
「与えられたものには責任がある。あいつ自身がどれだけ逃げたいと思おうと。その責任から逃れることを、あいつの誇りは許さないよ」
地団駄踏んでも両手を石にうちつけても、声がかれるほど叫んで苦しんでも、自分自身からは決して逃れられないから。とキールは言った。
それは、なんとなく、わかるような気がした。
§ § §
「貴様がキール・スティンか」
突然やってきた男が、露骨に見下した表情で僕を見て言った。
むかっ。
街の連中は、何か勘違いしてないか?
僕らは自由の民、誇り高き、誰にも膝をつかぬ自由の民なのだ。
貴族だからといって、見下されるゆえんはどこにもない!
「そうですが、どちら様でしょう?」
冷えかに、礼儀は崩さず僕は聞いた。
僕はその気になればいくらでも、キールの真似ができるのだ。キールがその気になれば、いくらでも僕の真似ができるように。入れ代わりをやっていた双子ならではの技である。
「我が主がお前をお召しになる。光栄と思うがいい」
「お断りします」
瞬時に、いささかも迷わず返答する。
キールも、絶対に同じ反応をとったはずだ。キールが最も嫌っているのはシンだが、二番目ぐらいには居丈高に伺候を要求し、自分を利用しようとする輩を嫌う。
「…な。無礼者が!! 下賎な草の民の分際で―――」
「下賎?」
唇に、冷笑。実は笑って軽蔑するってのはキールの得意技だ。長年付き合ってきた僕も、それぐらいの事は身につけている。
「よくぞ、申しました。自然と交感もできず、したこともなく、安全な壁の内側でただ守られているだけの怠惰な者どもが、よく、言った。―――それなりの覚悟はできてるだろうな!!」
かっと目を見開き、一喝する。
成長期の小柄な(大人に比べれば)体から、真紅のオーラがばっと広がった。
怒るときは少々オーバーアクション気味ぐらいが良い。相手をびびらせるための怒りの時は。
息をのんでいる相手に、優しく、不気味なほど優しく、僕は言った。
「…たしか、スクーナ子爵でしたか。暴言の代価、高くつきますよ。せいぜい憶えておかれるがいい」
反論を許さず、ぱたんと扉を閉めるタイミングも、キール譲り。
途端、拍手の音がした。
「相変わらず、辛辣だなー。キール」
シンである。裏口から(入り口は僕が塞いでいたから)入ってきていたらしい。
食卓につき、頬杖をついてこちらを見ていた。
ついでに、すっかり誤解しているらしかった。僕らを確率十割で見分けられるのは、ナギしかいない。入れ代わりの演技中、同じ顔の双子を見分けろというのは、ちょっと、酷かもしれない。
面白いので、演技を続行する。
「ああ、シンか。…ったく鬱陶しい」
「でも、お前を手に入れたい気持ちは判るぞ。僕だってお前がうんといえばすぐにでも契約だ」
「するわけないっていうの、まだわからないか?」
「いろいろ考えたんだよ。たとえばナギとイールを人質に、とか。しかしやったあとの想像がこわくてやめた」
「賢明だな。俺はお前を殺すよ。そうしたら」
「そうなんだよ…。人質を握っている間はいいとしても、解放したら最後、確実に殺されるからな。かといって、何百年も人質とりつづけているのは至難の業だ」
―――殺す? キールが?
平然とシンはその言葉を僕…キールに向けて口にした。つまり、キールは、人殺しができる人間だと…?
二人きりのとき、二人はどういう会話をしているのかと思っていたけど……想像以上だ。
「それに、僕はナギとイールに嫌われたくない。他の誰に嫌われよーが、てめーに嫌われよーが構わないけど、ナギとイールにだけは嫌われたくないんだ」
ちょっと嬉しかった。
僕はキールの言葉を思い出して言う。
「お前、ほんっと、切り替え上手いよな」
「当たり前だ。イール達は心と体が一致するのが常識だが、心と体の不一致が僕らの世界の常識だぞ」
……やばい。
これ以上会話を続けると世にも恐ろしいことになりそうな気がしてきた。
そろそろ正体をばらした方がいいんではないだろうか。
「ところでキール。あいつ、性格悪いぞ」
「あいつ?」
「さっきの子爵。位は子爵だけど、財産家だ。まあ僕のところとはケタが違うけどな。僕個人の財産となら、いい勝負だ。よくパーティで会うんだが、べたべたべたべた子爵の分際でドあつかましい」
……ちょっと、こういう所は好きじゃないな。
シンは僕らの前では身分を持ち出したことは一度もないけど、だから友達やってるけど、それでもシンは、貴族、なんだ。
シンに拒否される理由が身分で、厚かましいって言われるのが身分からなら、僕らはどうなんだろうか。
シンはどんな格好をしていても、本当、きれいだ。無造作に髪の毛ひっくくって質素なお忍びルックでも、また兄弟のように過ごした僕でも時々、その長い睫毛の作り出す陰影に見惚れることがあるぐらいだ。
だから、子爵とやらがシンにのぼせあがっても、無理はないと思う。
僕だったらショックだ。シンに惚れて、庶民のくせにドあつかましい、なんて思われたらショックなんてものじゃない。子爵ごときってシンは言うけれど、僕は子爵ですらないんだから。
だから、シンの、身分で差別するようなところは、好きじゃない。
「……キール、黙り込んで何考えるんだ? また悪巧みか?」
また?
「またとはなんだまたとは」
「お前の悪巧みのおかげで何度となく死にかけた身からすれば、じゅーぶん、また、だ」
……キール。一体シンに何やったんだよ。
僕は深刻な顔をして、食卓に手をついた。
「……シン。キールに何かされたの?」
シンの顔がひきつった。
ひきつっても美形は美形である。
「げイールっ!」
「うん、僕。何かされた? まさか強姦はないと思うけど、監禁とか杖打とか…」
「やめてくれ。イールに言ったってわかったら、キールに八つ当たりで殺される」
「キールには言わない。誓ってもいいよ。だから教えて」
「……いや、大した事はないんだよ。ただ単に、……あの野郎のおかげで崖から突き落とされ、輸送していたお宝はかっぱらわれ、殺されかけた事は数知れずっていうだけだから」
「……それだけやれば充分だよ。キールって、有り余る能力をシンへのいじわるに使っているわけ?」
シンは真顔になった。
「…――それは無いよ。ただ単に、あいつが力を有益なところに使っていると、僕の仕事がしばしばそれに重なるだけだ」
「キール、何かやってるの? 患者の治療の他に」
「精霊と人間の間の仲立ちやって、バランス狂わす要因を処分してる。…ナイショな、これ」
「誰と誰に対して?」
「全員。キールに言ったら僕が八つ当たりされるし、ナギに言ったらそれはそれでヤバいし、他人に言ったらウルトラやばい」
僕は首を傾げた。
「内緒にしてもいいけど、なんでやばいの?」
「狙われるから」
「意味がよくわからないよ、シン」
「今でさえ、キールには山ほどスカウトが来てるだろー? 誘拐されそうになった事も数知れず。それが更に激化するの」
再び、僕は首を傾げた。
「…ひょっとして、キールって、すごいの?」
がん!
シンはテーブルに頭をぶつけた。
「……それ、本気で言ってる?」
「うん、もちろん。凄いの?」
「この界にシミナーが何人いると思ってるんだーっ! 百人だぞ百人! この界全体で百人! 精神治療者はそれだけ貴重なんだ。その上キールは瘴気浄化能力者でもあり、更に言えば魔術の才能も飛び抜けていて、とどめが精霊の寵愛を受けている! こんな人間、イールの兄ぐらいしかおらんわっ!」
「…そそ、そうなの」
「…あのね、イール。冷静に判りやすく言ってあげよう。君と同じ顔のお兄さんは、ちょっとブラコン気味であれだけど、まぎれもなく有史以来最大最高の能力者なんだ。わかるかな?」
有史以来最大最高。
ようやくじわじわと実感がわいてきた。
シンは、頭がいい。不確かな推量で断言は絶対しない。ということは、事実だということだ。
「……知らなかった…」
「…ず、頭痛がする…」
「シン、大丈夫?」
「ばかキールを自由にできる唯一に近い人間がキールの利用価値をまるでわかっていなかったなんてっ」
利用価値。
むかっと来たからシンの頭のつむじを指で押さえてぐりぐりえぐる。
「キールは、キールだよっ! 利用価値なんていわないで!」
「…うん。ごめん」
シンはそうして、花がほころぶ様に笑った。油断していたところにまともに直視してしまって、かあっと頬が赤くなるのがわかる。
…まいったなー。シンって美人すぎるよ。
「やっぱ、イールって好きだなぁ」
「な、なななな何を突然!」
「すごく好き。イールを見ていると、なにがまっとうでまともな物なのか、すごく良くわかる。僕の周囲は僕もふくめて、まっとうじゃない人間ばっかしだから」
僕は手を伸ばし、シンの銀の頭を撫でた。
「…キールはまっとうじゃないの?」
「あいつはまっとうだよ」
「……うそ、つかないで、……。キールは、人を、殺したことがあるの?」
「あいつが人を殺せる人間だと思う?」
「……それは…わからない」
「あいつは、人殺しのできる人間じゃないよ」
「……シン。ほんっとに、ウソが上手いね」
「嘘じゃないよ」
その言葉は、表情つきで、どうして信じてもらえないんだ、という悲しみに包まれて送り出された。
だから、僕も、キールのふりしてシンと話していなければ、ころっと騙されただろう。
「……ごめん、言い方が悪かった。こう言えばいいんだ。キールには絶対言わない。だから本当の事を教えて」
シンはそっぽを向いてうそぶく。
「……あいつにばれたら、半殺しじゃ済まないだろうな。全殺しで今度こそ殺されるかも…。―――イール、あいつイールには優しいだろ?」
「うん…。シン以外の、大抵の人に優しいよ」
「あれは無関心っていうの。あいつが優しいのはナギとイールにだけ。つまり、あいつは、自分をそう見せたがっているんだよ。僕だって、イールに対して、…見せたくないよ。家にいるときの、僕の顔を。イールに見せている顔が僕のすべてだと思ってほしい。だって、家での僕は、何もかもまるで違うから、イールが、大嫌いな人間だから、だから、キールも、きっとそうだ。…見せたくないよ、好きな人に。嫌われるだろう姿なんて」
「……絶対に嫌いになんてなれっこないよ。兄だもの。キールは、僕をよく構って可愛がってくれた兄さんだもの」
とうとう、シンは根負けした。
「……イール。キールに殺されたら、恨むからね。―――そうだよ」
キールは、人殺しなんだ……。
シンの台詞を聞いたときからわだかまっていた疑惑が、完璧に肯定された。
まだ十五歳の少年が、既に人を殺めている、殺人者なのだ。
「何で…?」
「事故だったんだよ。気絶させようとしたら、倒れた人間が石で頭を強く打って―――」
「…シン、この期に及んでもう嘘はいいよ。そうだとしたら、あの台詞は出てこない。確実に殺されるからな。これは、意図的に、殺人を犯した人間への言葉だ」
そっぽを向いて、シンはぼやいた。
「…殺されるだけで済むかな。下手しなくても精神破壊されて、生き人形だ」
「……なんでキールはそんな事したの?」
「…お願い、イール。聞かないで。僕は死ぬのはさして怖くないけど、生き人形にされるのは嫌だ」
―――その言動から、充分、キールの言動が読み取れるよ、シン。
重苦しい雰囲気に包まれた家に、誰かが扉を開けて、入ってきた。
「ただいま、イール」
鮮やかな陽の光のような笑顔。
「あ、シン来てたのか。メシくってくならこれさばけ。今日は大物が獲れたよ、イール。ごちそうだ」
シンは獣を受け取って大人しく地下の処理室に行き、イールは答えない。キールは目をしばたかせた。
「どうした? 熱でもあるのか?」
額に少し冷たい(外は初冬だ)手が置かれた。根底には労わりが流れてる声。優しい態度も何もかも、錯覚しそうになる。
今さっき聞いたのは、全部嘘だと。
「………キール、聞いていい?」
「なに?」
「シンが好きなの?」
「……大っ嫌いだけど?」
「そういう意味じゃないよ。わかってるだろ」
なぜ…なぜ、シンは知っているんだろう。キールの別の顔を。僕らでさえ知らないのに。なぜ。
「―――う゛―っ。嫌いじゃない…けど、大っ嫌いだ」
「…キール、矛盾してる」
「あいつの性格の一部分が嫌いで、一部分が好き。だから、よくわからない」
…それは、判るな。
どんな人間でも、その性格のすべてが好きということはない。好きなところと嫌いなところがあるはずだ。
……そうだ、気づいてた。
キールが時々見せる影。やるせなさ。
キールの中の、歪み…。だから、シンの言葉をあっさり信じた。どこかで、僕も、気づいていたんだ。キールが、殺人を犯しかねない人間だということを。
「……キール」
「ん?」
「…なんでもない」
聞ける訳がなかった。僕にはそこまでの度胸はない。面と向かって―――その心の何処が病んでいるのか、など。
「―――イールのせいじゃないよ」
ふと、キールの声が降ってきた。―――しまった。
顔から血の気が引く。キールはシミナーだ。精神に接触し、その病巣を取りのぞける希有な能力者であることを忘れていた。
「…シンを殺さないで。ひどい事しないで。僕が無理矢理聞き出したんだ。だから……!」
キールは僕の必死の抗弁を無視して言う。
「イールのせいでも、ナギのせいでもないよ。ただ、なんて言うのかな。人を、人として感じられないっていうか、どこか、乾いている所があるんだ。でも、安心して。殺す理由がないのに殺してまわるほど、俺はひま人じゃない。ただ、殺されそうになったら殺すけど、それは正当防衛だろう?」
―――殺人はリスクが多すぎる。たとえ正当防衛であっても、被害者の殺される間際の瘴気が体に染みつき、寿命と健康を著しく蝕み、同時に周囲に罪を喧伝するからだ。
…頭に浮かんだ常識は、別の知識によって打ち消される。
―――キールは、瘴気浄化能力者でもある。
キールの両手が、僕の顔を包む。
こつん、と額をあわせ、
「信じて。俺は、そこまで馬鹿でも非道でもないよ。殺される咎のある人間しか、殺さない。これからも、これまでも。絶対に」
僕は目を閉じた。
僕は信じた。
「…覚悟はできてる。さーさっぱりやればいいだろ」
夜中、食堂で仁王立ちして威勢よくシンは言い放った。真向いにはキールがいる。
「お前、俺を極悪非道の極悪人だと思ってないか?」
言いながらキールは指を鳴らす。蝋燭が煙一つ残さず消え、代わりにキールが作った光球が辺りを照らす。
「…ナギは、蝋燭の減り具合一つから何かを感じ取る。さて。弁明を聞こうか? 一応、俺はお前を評価しているんだ。進んで、イールに告げ口するほど馬鹿じゃないし口がゆるんでもないよな?」
シンは、「これでどこが極悪人じゃないんだ?」と考えたが、大人しく事情を説明した。
イールをキールと間違えてぺらぺら言ってしまったことから芋蔓式にバレてしまった事を。
聞きおわり、キールは言う。
「…イールは頭は悪くないし、勘はいいからな」
「素直でお前とちがって擦れてないけどな」
シンは冷ややかにキールを一瞥し、吐き捨てるように言った。なまじ清冽な美貌ゆえに、そういう表情がたまらなく似合う。
「騙くらかしているのが、そんなにいいか? この先立ち行かないのが困るか? そろそろ本性見せてみたらどうだ?」
「別に騙しているつもりはないぞ。お前だってそうだろ。ただ、使い分けているだけだ。態度と、表情。誰だって嫌いな相手といると顔が険しくなる。逆に、好きな相手といると、笑う。そうだろ?」
「…まあな。で、僕をどうする気だ? やる気なら、相手になるぞ」
キールは薄くわらった。十五の子供にはあまりに不似合いな表情だったが、それを言うならシンもそうだ。
「お前、馬鹿だから。俺とイールの見分けがつかなくても仕方ない。何より、皇族を殺すのは面倒くさい」
―――キールは嘘は言ってない。この星で一二を争う名家。一番の名家はだんとつトップで皇家だ。二番目はいない。三四もなくて、五番目ぐらいにあるだけだ。
一二をあらそう? そんなもの、皇家…サラディー家しかない。
馬鹿呼ばわりされた皇族の若君は思いっきりキールをねめつけた。
「僕は通常、誰かを嫌いになったりという事はないんだが―――お前だけは殺してやりたいよ」
受けるキールの唇に浮かぶのは嘲笑。
「同感だな。ナギとイールに感謝しろよ。お前をどうにかしたら、彼らが悲しむから、俺は実行に移さないでやってるんだぜ?」
「その言葉、そっくりそのまま貴様に返す。せいぜい二人に感謝しろ」
キールに無い物がシンにはあった。皇族としての力である。一対一ではキールの足元にも及ばないが、世の中、それだけでは済まない状況の方が、圧倒的に多いのだ。
§ § §
シンは普段着をまとっていた。
ズボンに帯、シャツまでは白。その上の打ち掛けは鮮やかな青である。裾が長く、床につく。そこに、白銀の髪が束ねられることもなく、広がる。
これが皇族の普段着だった。色は各自で違うが、シンの表装は青と白と銀の鮮烈なコントラストが映える。大体これ一着で庶民の五年分の収入ぐらいになる。
廊下を歩む彼を、誰もが立ち止まって見つめている。シンは生まれたときからのその状況に慣れていたので、もう人の視線に何とも思わない。
出会う人間のなかで、シンの容姿を褒めたたえなかった者はない。……一人を除いて。
そしてシンがその顔が好きでないのに気づいている者もまたない。
持ち主の意思に関わりなく視線を集め(これはまだいい)、関心を引き寄せ、恋心をばらまき、往々にして厄介事の原因を作って持ち主を窮地に陥れる。もちろん、助かったことも枚挙に暇がないが。
潔癖な頬のライン。ちらとも動かない表情からは、キールたちといるときの賑やかな感情変化はまるでうかがい知れない。
皇族は感情のない生き物と言われる。
怒ることも憎むこともないが、喜ぶことも笑うこともない、必要とあらば親しい者すら処分し、血も涙もない、鉄の支配者。
皇族自身、その評判をむしろ助長してきた。
皇族が出生時から受ける種々の特殊な教育の一つに、それがある。皇族は感情を覚える端から殺していかねばならない。少なくとも、人目があるところでは。
喜怒哀楽がないかわり、私情に走ることなく動揺もしない、という評判は長きにわたる支配において、役に立ってきたのだ。
血も涙もなく冷酷で功利主義者。それが皇族の最大公約数であり、シンもそれに当然該当している。物事を善悪ではなく自分の役に立つか立たないかという基準で判断する功利的視点は、支配者の絶対条件だからだ。
シンは時々、心底自分の誇り高さが憎くなるときがある。そう、この誇りというやつが厄介なのだ。自分の行動を束縛し、制約する最大のもの。己の誇りに見合わない無様で醜い行動は、どうあっても取れない。
シンは足を進める。…逃げ出したい、こんな家。放り出してしまいたい。皇族の特権も義務も責任も仕事も。
高貴なる者の義務。何度も何度も何度も、飽きるほど聞き飽きた言葉がシンの全身を縛る。
皇族の教師は、一種不可侵的な権限を有する。皇族の機嫌を損ねても、決して罰せられず、罷免されることもない。
十数人の個人教師たちは、シンに皇族としての心構え、精神を徹底して叩きこんだ。その最たるものが、矜持である。
まず最初に、すり込まれる最優先命令。己に恥ずかしくない姿であれ。
歪まぬ矜持は、自己を写す鏡だ。どこぞの貴族のぼんぼんのように、醜い己を美しく修正して見せてくれるような器用な真似を、決してしてくれない鏡だ。
醜いものは醜く、美しいものは美しく見せる、鏡だ。
喧嘩友達の台詞を思い出す。
―――そう、他の何からは逃れられても、己自身からは逃れられない。
皇族への教育は、そのになう者の大きさ、権力の巨大さから、貴族の若造の千倍厳しい。
「青様……」
呼び掛けられ、シンは振り向く。銀の髪が踊った。
青というのは、シンが今いる階位の色、つまり階級名である。皇族は色の階位で位が決まる。そして今いる色で呼ばれるのだ。
「何用か?」
イールが聞いたなら、あれは別人じゃないかというような声音である。
穏やかでありながら尊大。感情の起伏は何一つ感じ取れず、キールたちへの親しみの代わりに犯しがたい威厳と気品を感じさせた。
しかしこれもまた、シンの一つの顔である。
配下の報告を聞き、シンはそのうつくしい眉を、ほんのわずか、動かした。
家族に手を出した者には死を。
それがキールの首尾一貫した主張である。
それを知る賢いシンはキールの家族に決して手は出さないが、知らない奴も、また、おおい。
イールはなんとか子爵のことをキールに言うのを、どたばたですっかりころっと忘れていた。
それに、実際、どうでもいい事である。キールは他人に仕える気はなく、そのような仕官の口は山ほど来ていたのだから。
キールが寝台にもぐりこむと、隣のイールに話し掛けられた。
「キール」
「ん?」
「……嫌な予感がする」
「イールの資質は予知と…心話に向いてたっけ。じゃ、けっこう当たるな」
「キールっ」
軽く睨み付けると、キールは肩をすくめて弟を抱きしめた。
「だいじょうぶ。――――――大丈夫。
俺がいるよ。お前のその予知に、おれっていう要素を足してごらん。安心なさい、俺がいるかぎり、イールとナギが傷つくことは、絶対無いよ」
――――少々ブラコンで、ファザコン気味でもあるキールだった。
キールがイールに言ったことはほぼ事実で、キールは無闇やたらに人を殺したことはない。ただし、その気になった後、命乞いする相手に躊躇した事もないが。
イールに口付け、眠りに落として、キールは起き上がった。
ナギの部屋に行き、ノックする。
「ナギ?」
「…お入り。どうしたんだ?」
キールが部屋に入ると、ナギが寝台に手をついて上半身を起こしているところだった。
「……眠れないんじゃないかと思って」
キールは微笑み、ナギに口づける。
「お休み」
眠りの術は成功率が低い。精神に干渉する術はのきなみそうなのだ。ただし、シミナー以外が使う時はという注釈がつく。
精神干渉は、シミナーの十八番だ。
大切な大切な、家族二人とも眠らせて、キールは立ち上がった。
家族に手出ししてきた人間を、無事に帰した事は一度もない。キールの、人殺しを躊躇う情は擦り切れている。だからと言って人殺しを楽しむ感情も擦り切れているから、進んで人を殺すこともしないけど。
家族に手を出してきた以上、殺す理由があり、それを止める理由は感情にも理性にも何一つなかった。
「…あ、やっぱりこうなったか」
シンは頷く。死屍累々。
キールの家のまわりの野原に、ごろごろと人が倒れていた。
今のところ、全員まだ生きているが転移はできない。したら命にかかわる重傷である。 キールは腕組みをして、転移してきたシンを冷静に眺めている。
子爵が、シンの姿に信じられない、という風に目を見開いた。
見間違えるはずもない。美神もかくやという高貴で青い月の光のように冷たい美貌。
「……青、さま…?」
「愚か者が」
言い放ち、シンは膝を折る。
死にかけの人間の耳に、囁きを送り込む。
「私に忠誠を誓うか? 誓約の名において。誓うのならば命を助けよう」
キールは顔をしかめる。―――永遠の忠誠を要求されるぐらいなら、キールは死んだ方が遥かにましだと思う。その点では、シンも同じだ。
己以外に己の主はいらないと言い放つ強さとプライドの高さにおいてだけは、二人はまったく同じだった。
交渉は成立し、シンが部下に命じて傷を治療させ、部下たちは戦利品(人間)を持って姿を消す。
それまで黙って見ていたキールは、人がいなくなった後、シンの名を呼んだ。
なぜ、シンの乱入直後に抗議しなかったかと言えば、皇族を呼び捨てにしてぎゃーすか舌戦を繰り広げるような人間は、相当親しいのだと馬鹿でもわかるからだ。
そしてシンの敵対者にその情報が伝わったら? シンと親しい者を人質にとろうとするのもまた自明の理。キールはともかく、ナギやイールが捕らえられたら。
後先考えず突っ走るような人間になれないのが、キールの長所でもあり短所でもあった。
「シン―――」人の獲物を。
「判ってる。代価は何がほしい?」
キールの眼差しが凄絶な光を帯びる。言霊の呪力すら感じられそうな声音で言った。
「死ね」
「却下。それ以外」
あっさり受け流し、シンはやりなおしを求める。
「…俺、お前に貸しが十いくつあったと思うんだけどな。なら死んでくれてもいいのに」
「今度のを入れて、九個だ。勝手に水増しするな」
シンは答えながらちらりと周りに目をやる。
誰もいない。倒れていた人間も、子爵も、みんな部下が連れ去ったらしい。
重ねられてきた唇に、シンは目を閉じた。
キールは気まぐれのように触れてきて、あっさり離れる。行為の真意はよくわからなかったが、長引いたり一線を越えた事はない。ついでにした後での態度の変化もない。
そして、シンにはたかが接吻で騒ぎ立てるほどの繊細さ(情緒ともいう)の持ち合わせはなかった。
唇を手の甲でぬぐい、シンはキールを見る。
「ありがとう。助かった」
シンは素直に礼をいう。キールは意外と弱いところがあって、素直に謝られると、それ以上何も言えなくなると知ってのことだ。
「…シン」
「なんだ?」
「……今夜は帰らないから。ナギとイールに言っといて」
ある意味、キールはシンを信頼していた。能力と性格は完全に別物だ。シンに頼み事をして(まず滅多にないが)、間違いが起きたことはないし、言うべきことと言うべきでない事とをわきまえている、という点において、そこらの大人以上に大人びていた。
そこら辺はシンもご同様で、キールの能力だけは信頼していて、襲撃計画がわかった時キールの手助けではなく、利用しに来るあたり、確かに彼らは似たもの同士だった。
「わかった。キールがまた失踪したと言っとく。明日には戻るな?」
「うん…」
キールには悪癖がある。ときどき、ぷいと姿を消してしまう。偶然一二回出会ったが、そんな時のキールは大抵自然のそばで、低く緩やかに呼吸をしていた。
あんなにいい家族がいるのに、キールには誰にも消せない孤独の影があった。
くい、と顎をとらえられ、キールがシンの顔をしげしげと観察する。
「お前、顔だけが唯一の取り柄なんだから、しっかり磨け。唯一の取り柄もなくなったら、それは唯一以下の人間だからな」
シンはにっこりと微笑む。
大抵の人間を魂抜かれた状態にする最強の「にっこり」だったが、その大抵、に、キールが入っていようはずもない。
「僕の、数多くある取り柄の一つ、だよ」
「術一つ操れない、馬鹿力の制御不能が? 顔だけ人間」
「魔術学校を一年で終了した化け物だという自覚がないのか? キールに比べれば誰だって下手になるわ、ボケ」
ちなみにいつもはこの言い争いをナギとイールの前でやる。
ナギはお茶を飲みつつ面白がって観戦し、イールはため息をつきつつ、食事を続行するものだった。
何を隠そう、シンの容姿を唯一誉めない人間とはキールである。これで無闇に人を傷つける言動をしなければ、シンもキールを好きになれるのだが。
「じゃ、」
鮮やかに、キールは一瞬で姿を消す。
…―――能力と人格に相関関係は何もないと言ったのは何処のだれだったか、実に名言だ。
転移の痕跡は必ず残る。たどればどこに行ったのかもわかる。しかしキールのそれは、余程注意深く見なければわからないほど鮮やかな消失だった。
シンはキールの能力が嫌いだった。努力して努力して努力して、それでも追いつけない高みにいるキールがきらいだった。心の片隅では、その絶大な能力に憧れすら抱いていたが、断じてそれを認めまいと頑張っていた。
開校以来の天才? ああそーだろうよ。皇家の部下をさんざか殺してくれて。殺しても死なないような部下を、山ほど殺してくれた。
…何の、努力もしてないのに。
自分は、この容姿から自分自身を守るために、こんなに努力、しているのに。
だから、シンはキールが大嫌いだったのだ。
他の所には(性格以外の)、むしろ好意すら,抱いていたのだけれども。
それは誰もがそうだろう。
人はいびつで複雑な多面体だ。
表も裏も横もナナメも全部好きになれる相手なんて、人間、滅多に出会えやしない。
これがビブリオでの発表第一話です。ほとんど、手を加えてません。
発表時の誤植を直したくらいです。しかしまあ、こうしてみると、……伏線の塊のような第一話だわ。
この作品は、時間的には水の彩の後になります。このとき既に水の彩を視界に入れてたので、思わせぶりな台詞や態度がぼろぼろと。「キールに無い物がシンにはあった。皇族としての力である。一対一ではキールの足元にも及ばないが、世の中、それだけでは済まない状況の方が、圧倒的に多いのだ」
このフレーズ、意味、わかりました? 「皇族の力」なんてゆー超能力は、一切ないですよ。これは要するに「皇族であるシンには権力があって、その権力で人を集めてキールを集団タコ殴りにする」、という意味なんですけど。
この世界では、皇族は身体的にはふつーの人です。どうも誤解されてるようなんで、言っておきますと、「誰が駒鳥〜」で、皇族の感情は読めないって言っているのは、皇族が着ている服が、シミナーの精神操作その他を防ぐからっていうだけです。まぎらわしくてごめんなさい〜っ。
あ、最後に、この話の目的は、「人物紹介ぷらす伏線」でした。