番外編競作 その花の名前は 参加作品

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 天の烙印番外編

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九十九の確信と一の疑い

杉浦明日美

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 僕の目は見えない。
 物心ついた頃にはすでに見えなかった。
 怪我や病気で視力を失う後天的なと言われる原因ではなく、僕は、先天的に視力に支障を持っていたのだ。
 障害者福祉にかんして、レイオスの行政はとりあえず死なない程度のものを保障してくれる。僕は比較の対象を持たないから、それが進んでいるのか進んでいないのか、よくわからない。けれどもそれとは別に、僕は自分を地獄から救い上げ、職を与えてくれた皇家に尊敬と感謝の念を抱いていた。うん、皇家を敬愛するということに関して、僕は結構レイオスに住む人のなかでも上位に位置しているんじゃないだろうか。

 僕は幸いにして、眼が見えないだけだったので、その気になればできる仕事は結構あった。
 先天的に、と呼ばれる障害のもち方をした人間は、皆一様に、聴覚触覚嗅覚のどれかもしくはすべてが鋭い。
 僕は眼が見えないぶん、耳が素晴らしくいいし、手で触れることでそれがどんなものかどんな形状をしているのか、素早く察知することのできる能力があった。
 ……とはいえ、雇用する側にしてみれば、そんなことはどうでもいいことだ。
 たとえば僕らのような人と、普通にまともに生まれた人が一緒に応募したとしよう。
 優先順位は常に真っ先に、普通にまともに生まれた人にやってくる。その次に僕らのような身体的ハンディを抱えたひと。そして最後に、精神的なハンディをかかえたひと、つまり知的障害者と呼ばれる人、の順番だ。
 だから僕らはまともな仕事にはどうしたってつけない。
 一生を親の重荷になって、親に養ってもらうしかない。
 ―――そんな僕らのために古くからある制度が、皇家の障害者救済制度。ひらたくいうと、引き取り手がいない働き手を皇家がひきとりましょうっていう制度だった。

 僕は現在、十一歳になる。皇家で仕事をもらってから、一年ぐらいになるだろうか。この年で仕事をしているのは幼少者福祉法に反しているけれど、皇家で障害者がはたらくぶんには問題ない。なんでかっていうと、皇家で仕事を世話されている障害者児童というのは……、たいていは親の虐待で家庭をなくした子どもだから。

 これは考えればすぐにわかることだけど、普通の親って、障害のある子とない子、どっちが好きかな?
 障害のある子に対して、障害をもって生まれてよかった、なんて思う親、いるかな?
 障害のある子とない子、どっちが子育てのとき負担がかかるかな?
 障害のある子どもは、ない子どもに比べて親から虐待をうける確率が高い。これは、常識といっていいぐらいの事実だ。
 たしかにね、親にしてみればね、嫌だろうなあって思うんだよ。
 障害をもった子をもった親は、誰もが一度はこう思うんだ。
「なんで私がそんな外れ籤を引かなければならないんだ」。

 もちろん頭では、誰かが障害者の親になるんだってことはわかってる。でも、それは「誰か」であって、自分になるとは思わなかった―――「なんで私が」。
 それが、親が一度は思う、一度は絶対に経験する、どんな聖人君子であっても一度は確実に思ってしまう、最初の罪になるんだね……。
 それをそのまま引きずっていくか、途中で克服するかは親次第だけど、僕は断言する。

 親なら子どもを無条件で愛せるというのは、うそだ。
 いや、うそってだけじゃない。有害にして邪悪で残酷な、害毒に似た認識だ。

 なぜって、「親なら愛せるはず」なのに「愛せなかった」から、僕の親は葛藤して苦しんだ。「愛せるはず」なんていう幻想、空想が世の中にはこびっていたから、僕の親は、愛せない自分に、苦しまなきゃいけなくなったんだ。
 ふつうの人間同士だってそうだろう? 愛せるはず、愛せないのはお前がおかしいからだ、なんて認識を押しつけられたから恋する人間がどこにいる? 親と子どもは別々の人間だ。どの人間のどんな関係でも、愛情なんていうものが成立するには、努力と相互理解が必要なんだよ。
 とまあ僕は十一歳にしてかなり醒めた考え方をする子どもになっていた。

 虐待が発覚し、僕は暴力から解放されるかわりに家を失った。皇家に仕事の口と賃金を世話されて、僕は現在、庭師の仕事をしている。
 街ひとつぶんはある広大な皇宮の隅っこの隅っこ、ほとんど人もこないような場所の花壇の手入れが僕の仕事だ。昔っから皇家は障害者施策として、100人の人員で足りるものを4000人雇い入れたりしていた。僕はその一人というわけだ。

 春が近く、植え替えた春の草花は蕾を柔らかくしている。そろそろその緑のがくをはじけさせて華麗な色彩(僕は見たことがないけれど)と芳香をはなつだろう。
 肥料の入れ替えをしながら花の様子を確認し、手入れをしていたその日、僕は声をかけられた。
「スーン・リヒターイー?(何やってるの?)」

 僕はすこし顔をあげた。といっても顔は花に向けたままだ。思わず舌をまく。
 ―――なんて見事な発音。
 前にもいったとおり僕は耳がいい。姿は見えなくとも、声だけで相手の姿も性格もありありと想像することができる。
 年齢は僕と同年輩だろう。立ち位置は僕からみて五時方向に七歩。建物の中にはいる。窓の側に立って僕を見かけ、話し掛けてきた、というところだろう。
 出身は―――これはもう絶対に断言できる。貴族以上だ。
 こんな正確無比な発音の宮廷語、めったに聞けるもんじゃない。
 この時点で、僕は僕に話し掛けてきた子どもの推測がついていた。

 だから膝をはらって立ち上がり、慎重に、正確に五時方向に右のつま先をおき、それを踏みしめてくるりと向く。
 目が見えない僕には正直なところ、相手の方を振り返ろうが振り返るまいがどちらでもいいんだけど、身分の高い人は相手がそっぽを向いていると、不快になるだろ?
「お目にかかれ、光栄にぞんじます。目が不自由な身ですので、いささかご無礼があろうかと思いますが、生まれながらにふつつかな身でございますのでどうかお許しください」
 耳学問をナメちゃあいけない。
 皇宮。つまりこの星の最高の教養水準を誇る人々があつまるところに仕事しにきているのだ。これぐらいの言葉は自然に憶える。

「目が見えないの?」
「はい」
 この一年で、似たようなことは二三回だけあった。物好きな貴族が僕に話し掛けてくるのだ。
 従順に対応するに越したことはない。
「なのに庭師?」
「……あの……この庭はご不満でしょうか?」
 僕に与えられたのは皇宮の隅っこの、坪庭のようなわずかな範囲だ。
 滅多に人目にふれることもない。それでも僕は精一杯やったつもりだった。

 季節ごとに花を入れ替え、等間隔に配置し、色の配置は丸暗記で叩き込んだ。僕に仕事を教えた人は、僕がどうあがいても理解できない「色」というものの配置を四通り、作ってくれた。白の隣には黄という色、黄という色のとなりには橙という色、橙という色の隣には赤という色をおく、という感じに。僕はその法則を頭に叩き込んだ。そしてそのとおりに、色花を配置した。
 まともな人なら見るだけでわかる「美しい配色」というやつも、僕みたいに生まれながらに欠落している人間は努力して、それでも、うわっつらしか身に付けられない。

「ううん。すごく綺麗だよ。だから逆に不思議になって。今も、ほら。君は僕にまっすぐ向き合ってるよ」
「声で聞き分けたんです」
「ああ……そっか。やっぱり目が見えないと耳とか良くなるのかな?」
 無神経な言い方だったけれど、貴族のなかではもっと無神経な人間がいくらでもいる。
「はい」
 僕の耳は単純に聴力という意味でもいいし、聞き分けという意味でも優れている。
 百人が全く同じ曲を同じ楽器で演奏しても、僕はその音色の個性を一つ一つ聞き分けられる。音程も、相当細かく分けることができた。

「仕事、たいへんじゃない?」
「幸い僕は目が見えないだけですから、そんなでもありません」
 少し、間があった。
「うん……そうだね」
 深い声音だった。

 それで終わりだと思っていたら、その子どもは二三日おいて、また現れた。
 花壇の前にうずくまっている僕に話し掛けてきた。
「何やってるの?」
 その声で誰だかわかった。
「花をさわっています。害虫におかされていないか、発育状況はどうなのか……花にふれると、伝わってまいりますから」
「ああ……そうか。さわるだけでわかるの?」
「はい。植物たちは自分の状態を僕に知らせようとします。僕も知ろうとします。そして、僕は眼が見えない分、そういった感覚が鋭いので……、わかるんです」
「ああ……そういえば植物にはそういう伝心能力があるっていうよね。いつも来てるの? ―――ああ、立たないでいい。仕事つづけて」
 滑らかな発音。音楽的な響き。心地よい抑揚。
「ありがとうございます。十日に一度の休養日と雨の日はお暇をいただいておりますが、それ以外は毎日来させていただいています」
「そっか。―――あのさ、言葉づかい丁寧でなくていいよ」
 反射的に。
 口をついて出そうになった反駁の言葉を、なんとか飲み込んだ。
 身分の高い相手には、逆らわないのが得策だった。
「はい。わかりました……ではなくわかった、でいいでしょうか?」
「いいでしょうか、も駄目。僕は君と友達になりたい」
 返す言葉に、窮した。

 その次の日も来た子どもは、昼の休憩の時間にあわせて来た。
「焼き菓子持ってきたよ。食べよう」
「ですが、でも……」
 子どもは僕の手をとる。
「ほら、ここに皿。この中に焼き菓子。……おいしい?」
「はい……あ、いえ。うん」
 素っ気無かったかな、と思って付け加える。
「すごく……おいしい」
 焼き菓子は円形で小麦粉を練った板の上に生の果物がカットされたものが載っていた。そしてその上からくるむようにチョコレートの薄い膜がかかってる。
 カリッとしてて、甘酸っぱい果汁が口いっぱいにひろがって、とても美味しい。
「よかった。いっぱいあるから全部あげるよ」
「でも……これは」
「いいよ。甘いの好きなら、これからもいろいろ持ってくるし。……あ、やば」
 離れる気配がした直後、足音が聞こえてきた。

 ドスドスという足音に聞き覚えがあって、僕は顔をしかめる。
 一年に二三回あったうちの一人だ。
 足音は僕の背後まで来ると止まった。
「おい! それはなんだ!」
 皇宮の建物のなかと庭をつなぐ上がり口には、大理石の板がある。僕はいつもそこに腰かけてお弁当を広げていた。

 いきなりの罵声に僕は慌てて立ち上がろうとするが、膝の上に置かれた菓子皿を片付けなければならない。皿を両手でつかんで隣に置こうとしたら、手をひねりあげられた。
「お前らがこんな贅沢をするなど百年早い!」
「あ……っ!」
 皿がバランスを崩す。皿の感触からして陶器製。落ちたら割れる! 右手をとらえられたまま膝をおり、とっさに伸ばした左手で、抱えるように抱きとめた。
「まったく……お前らみたいな金食い虫がいるから金ばかりかかる。余計な人員を抱え込んで、皇家の財政は破綻直前だ。ええ? 養ってもらっているという自覚をもって、謙虚に身をつつしめ!」
 頬をなぐられ、皿を抱えたまま地面に倒れた。左の肩から地面に接して痛みがはしる。
 生かしてやっている。養ってやっている。だから、人として最低の生活をし、謙虚にそれ以上は望まずにいなければならない。人としての楽しみも何もかも、欲しがるのは許さない。
 ……この貴族のいう「贅沢」とは菓子のことだろう。
 たかだか菓子一つすら、許さないのだ。

「お前らなど、不備がわかった時点で即座に処分していればよかったのだ。なまじ生かすから面倒なことになる」
 それから二三罵られたが、胸元に陶器の皿を抱えたまま、僕は、耐えた。
 それに正直なところ、珍しいことでもない。
 口に出して言う人間こそ少ないが、まともな健常者の間には障害者を「欠格品」として、社会の成長をはばむ足かせとして、邪魔者扱いする人間は少なくない。……いや、そういった気持ちのまるでない人間の方が少ないぐらいだ。
 子どもを作るな。
 当然のような顔をして街を歩くな。
 同じ人間のように振舞うな。

 ―――街には無言の声が満ちている。

 やがて僕を罵って気が晴れたのか、男が僕を乱暴に突き飛ばし、足音も荒く去っていく。
 僕はほっとして、手の中の皿を地面の上においた。その手をおさえた相手がいる。
 僕はびくりとして顔をあげた。目が見えない僕にとって、こういう不意打ちは一番恐ろしいものなのだ。
「大丈夫?」
 水晶の鈴を転がすような、妙なる美声。僕はほっとして過度に緊張した体を緩める。
「どこに……いたの?」
「ん……近くに。ちょっとじっとしてて」
 濡れた布で、顔を拭われる。
 ―――今、何の気配もしなかった。近づく気配も側にいる気配も。
 この子が近づいたのが、僕はわからなかった。

 レイオスの住民は誰もが魔力をもち、恒常的に術をつかう。だから皇宮外なら転移ということもあるかもしれない。転移は転移で気配がするものだけれども。でも皇宮ではほとんどの術の使用が制限されている。
 どうやって近づいたのか、考えていると声がした。
 とても心配そうな、同時に怒りの滞流を感じさせる声音だった。
「……いつもあんなこと言われるの?」
「―――言うのと、言わないのとの違いだけだよ」
 僕は低く答えた。
 目が見えない僕をからかって、すれ違いざまこづいたり足をひっかけたりする人間は少なくない。
 目が見えない僕にとって、ただ手をふれる、それだけでもどんなに恐ろしいか。
 そして、そうしない人々も、それをやった人間を走って追いかけて糾弾したりはしない。ただ、他人事のような顔で見ているだけだ。
「……そうだね」
 悲しげな、と言っていいほどの声だった。

 僕は驚いてそちらを向く。
「ねぇ。君のその目からみて、僕はどう見える?」
「……どう……って、そもそも、見えない」
「いや、そういう意味じゃなく……僕をどういう人間だと思う?」
 僕は少し考えた。
 言葉を選び選び、考えながら、言う。
「……貴族の子だね」

「まあ、皇宮だしね」
「それもあるけど……衣に焚きしめた香の香り」
「へぇ……」
「金木犀の花を燻して椿の香油につけ、天日にあてたような……甘いけど乾いていて、太陽の匂いもする香り。肌ならともかく衣にまで香をたきしめるのは、上流の人だ。あと―――ことば」
「言葉?」
「声の調子からして十二、三。十五の境は越えていないのに、輝くような発音だ。冬の朝、朝日をあびて輝く霜の枝のよう。機械的な一本調子でない耳に快い抑揚があるのに、発音はゆるぎない。教養と……高貴な生まれを感じさせる」
「声、か。それはさすがにどうしようもないな」
 その声はぎょっとするほど近かった。
 体を離そうとする前に、唇が暖かい感触に触れていた。

 頭がまっしろになる。
 呆然。
 その子は唇を啄ばんで、身体を離す。
 硬直している耳に、声が聞こえた。
「じゃ、また今度」

 高貴な人間の気まぐれって…………わからない。


     § § §


 それからの数日、僕はあの子の訪問を待っているような待っていないような、複雑な気持ちで仕事に向かった。
 往路は来たらどうしようかと不安におののき、帰路は今日は来なかったと落胆する。
 自分のその身勝手ぶりには我ながら呆れたが、訪問がなく十日をすぎると、あれは一時の気まぐれにすぎなかったんじゃないかと思えてきた。

「こんにちは」
 ほとんどそう思いこんだ十一日目、彼はやってきた。

 ちょうどお昼の時間で、たぶん狙ってきたのだろうが、おべんとうを膝にのせ、さあ開けようというところだった僕は思わず体をねじってそちらを振り向いてしまい、膝から弁当を落っことすところだった。
 そんな僕にかまわず、かれは隣に座る。
「お菓子持ってきたけど、食べる?」
「あ……うん」
 今度の手土産も焼き菓子で、最高に美味しかった。

 口いっぱいに頬張って幸せをかみ締めていると、相変わらずの美声がした。
「考えたんだけどね」
「んん?」
「なんで君は働かなきゃいけないんだろう? 職につけない障害者に仕事を与えるのはいい。虐待にあう子どもを保護するのもいい。でもなんで、その子どもに仕事をさせないといけないんだろう?」
 一生懸命口の中のものを噛み砕いて飲み下す。
「ほぐふぁ……、僕は、別に自分が不幸だと思ってないし、仕事が嫌だとも思ってないよ?」
「うん、それは見ればわかる。でも、普通は子どもは働かない」
「貧しい家の子どもは働くよ」
「……そうだけどね。つきつめてみれば……人の意識と児童収容所の数だよなあ……」
「? なにそれ」
「表向きの名前は児童福祉施設。しかし内実は収容所。これの数が足りないから、さっさと子どもを徒弟に出して手に職つけさせて自立させよう、厄介払いしよう。その一人が君ってわけだ」
「……―――優生論?」
「そうだね。残念だけれども、君たちを差別する人間はいない、というのは綺麗事以上のなんの重みも持たない言葉だ」
 僕はなんでか不快だった。
「冷静だね。まあ、他人事なら、いくらでもそうなれるか……」
「負を否定しても、何にもならない」
 その子はきっぱりと言い放つ。

「嫌なことを嫌だからと存在ごと否定しても、何にもならない。だってそれは実際にあるんだから。否定するというのは嫌なことに目隠しするのと同意義だ。まず現実を見つめて、それから改革するのが正しい」
 堂々とした声に、僕は苦笑する。
 そうしていると、質問された。
「それより、僕は君の方が興味あるな。――目が見えないってどういう気分?」
「……無神経とか残酷だとか言われたこと、ないかな?」
「こう見えても人を労わる術は知ってるほうだよ。―――僕のご兄弟の間じゃね。でも、知的好奇心の方が先にたつ。人は外界を認識するとき、視覚に著しく偏る。その視覚を生まれつき、持っていない人は、人とは違ったやり方でちがったふうに物体を認識している」
「……いや、断定口調で言われても……」
 僕は果たして他の、目の見える人とは違うようにニンシキしてるのだろうか?
 かわらない……と、思うんだけどなあ……。
「いいや。それは断定されてるんだ。たとえば君は、手でふれるだけでその物体がどんな形状なのか、驚くほど素早く言い当てられる。視覚に頼っている僕らは、手でふれただけじゃそれが正方形なのか長方形なのかそれとも五角形なのかも言い当てるのが難しい。―――そしてね。ごくごく稀に、先天的に視力がなく、後から視力を獲得した人は、自分がこれまで「こう」と認識していたものがそれだとは、わからないそうだよ。君たちが脳内で結んでいる像と、視覚の像とはまるでちがうんだ」
「へえ……そうなんだ……。―――で、それが本当だとしても僕にどうしろと?」

 声に苦笑が混じった。
「だからそれを聞いてるんだよ。君は、目が見えないということをどういうふうに感じてる?」
「損したなあとは思うけど……思わないことにしてる」
「なんで? なんでそう思えるの?」
「上には上がいて、下には下がいるもんだよ。羨むのも、見下すのも、きりがない。どう生まれるかは選べないけど……そのなかでどちらを選ぶかは自分で決められることだ。僕は恵まれてるよ。そう決めた」
 身体障害者は、重複障害者も多い。
 目だけでなく体が動かない人、耳が聞こえないひと、口がきけないひと……。
 ―――僕は、恵まれている。

 しばし、くつくつと笑い声。
「なるほど。―――幸いなことに、目が見えないだけだから、か」
 首をかしげていると、額に唇が当てられた。
 そんなことをされるのは初めてで(いやそれをいうならこの間の接吻だって初めてだったのだけれど)びっくりしていると、とても心地よい声が聞こえた。

「僕は君が気に入った。また来るよ」
 ……ふわりと体に舞いおりる、花の匂い。


     § § §


 僕は見るということを知らない。
 だからあの子のいったように、僕の脳内の想像図は現実とは似も似つかないひどくいびつな、歪んだものなんだろう。
 それでも僕はあの子を頭の中で空想する。
 どんな顔をしているのだろう。どんな姿をしているのだろう。
 手がかりは銀の鈴をはじいたような、澄んだ声、あの気配。あの匂い。あの喋り方。言葉の韻の踏み方。抑揚のつけ方……。

 僕には特技がある。
 大抵の人間は、声をきけば、どんな性格なのかわかるのだ。
 つらつらとつのる想像をもとに、僕は脳内で粘土をこねる。百通りもの像を作っては壊す。
 相当高い教育をうけていて、教養を身につけ、はっきりした自意識を持っている。
 そんな子どもがどうして僕のような平民の上に目の見えない馬鹿にされる人間を構うのか、たぶん気まぐれだろうと思うけれど、僕は次にその子に会うのを待ち遠しく感じている自分に気がついていた。

 僕らは十五歳になるまで、体に性別はない。どちらでもある、両性なのだ。十五歳を迎えると、自分でどちらかの性を選択し、片方の特徴が体から欠落する。
 だから僕らは十五歳以下と十五歳以上を同じ子どもでもはっきり言葉で区別している。僕もあの子も、十五歳以下だ。レイオス人の性別は身体的特徴がうすく、見ただけでは絶対わからない。同じように十五歳前後の子どもはもう性分化したのかわからないけれど、僕にはわかる。体臭が微妙にちがうのだ。
 子どもの匂いと、男の匂いと、女の匂い。
 香を焚きしめても鼻先にかぐうのだから、僕の鼻もなかなかどうしてたいしたものだ。

 その日いつものとおりに庭仕事をしていると、声がかかった。
「おやつ持ってきたよー」
 僕は笑顔で振り返った。

 ドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキ、というおやつをぱくぱく食べていると、声がした。
「親のこと、憎い?」
 突然の質問だったけれど、それはいつものことだ。僕は平坦な声で、真面目に答えた。
「……よくわからない」
 短くかぶりを振る。
「そうか。―――やっぱり、君は何をされても親が好き?」
「……よく、わからない。でも―――」
 そのことを考えると、心がぐちゃぐちゃになる。子どものころ、絵の具のすべてのいろを混ぜ合わせた。色などわからぬままに、指でかき回した。冷えて、指にねちゃりとからみつく、あの感触のように、心の一部にへばりついている。
「……でも―――他人なら絶対に憎んでいるだけのことをされてもわからないんだから……好きなんだろうね」
「そうか。……僕はよくわからないや。その感覚が」
 僕は黙っていた。
 この子が僕の予想通りなら、わからない、というのもわかる。
 澄んだ声が降ってくる。
「殴られた?」
「……こともあるし、蹴られたこともある」
「痛かった?」
「……とても。泣いちゃったよ」
「痛くてやめてほしくてわあわあ泣いたら、もっとひどくなった?」
「―――うん」
 僕の泣き声で、何が起こっているのか近所にわかってしまった。
 道端でなされるひそひそ声。家に帰ったあと、尚更ひどく腕を振り上げた。
 ……悪い人だったんじゃない。怪我をしてうずくまった僕を見て、悔いる顔になった。ごめんねと泣きながら謝って―――それでも暴力はつづく。
「……親のこと、それでも好きなんだ……。僕は、大嫌いだけどね」
 声にも表情がある。その声はさびしげで……表層は穏やかだけれども、深層では悲しみが地脈のように脈打っていた。
 生皮を剥いだように生々しい、胸をしめつけられ圧倒される悲しみ―――。僕の心の深いところには、その悲しみと同質のものがある。影響されて、震え出す。この快感がないまぜになった痛みを。
 人は、共感と呼ぶんだろう。
 ―――ああ……いけないなあ。
 制止しようとする手綱を振り切って、心が急速に接近しているのがわかる。
 ああもう。
 わかっているはずじゃないか。
 この子がどういう人間なのか。

 僕はスポンジをもった手をそのままに、ため息をついた。

「……なに? まずい?」
「ううん。美味しいんだけど……」
「ああそっか。よかった。でどうしてため息?」
「君は僕とどうなりたいの?」
 単刀直入に、僕はたずねた。
「……え?」
「僕と君はまるで身分も立場も違う。身分の高い方の気まぐれで僕を構っているの? そうでないなら、一体何故僕といるの? 僕は頭もよくないし身分だって最下層だ。普通の人からもあざわらわれる僕を、君は一体どういうつもりで遇しているの?」
「僕には君と付き合って得られる利益なんて、これっぽっちもない」
 その子の返答は相変わらず簡潔でわかりやすく、残酷なほどはっきりしていた。

「その点は君のいうとおりだ。だから、利益があるとしたら、それは僕の心に帰結することになる」
「君の……こころ?」
「僕は君と話していて楽しい。だから君を構う。それじゃいけないのか?」
 相変わらずさっぱりした返答だったが、今度は不快じゃなかった。心が鐘をうちならすように明瞭な言葉に震えている。
 考えてみれば、僕が誰かに好きだと言われたことは、これが初めてのことなのだった。
「でも、君が身分の高い輩の気まぐれに振り回されたくないという気持ちもわかる。だから僕は君に約束しよう。君の迷惑になるようなことはしない。僕が来るときは必ず何かお菓子や手土産を持ってこよう」

「その……貴方の名前は?」
「え?」
「君の名前を聞いてもいい?」
「それは……ちょっと困るな」
 本当に困った様子の声だった。
「僕は別に名前を名乗ってもいいんだけど、それをすると君は態度を変えてしまいそうで怖い。だから僕も君の名前を聞かない……ってことでどうかな?」
 僕は少しかんがえた。
 パタパタパタ。脳裏で論理を組み立てる。補強のために、話し掛けた。
「君のことを他人に話してもいい?」
「……絶対にしないでほしい」
 ひとつ、組みあがる。
「ということは君は、他人に見られたら困る?」
「とても困る」
 ふたつ、組みあがる。
 僕は答えを見出して、大きく頷いた。
「ああ、なるほどね。それで僕か……。僕の目が見えないことと、君が僕を構うことには相関関係がある。ちがう?」
「―――お見事」
 心底からの賞賛の響きがある声だった。
「顔に何か傷でもあるの……?」
「そんなところ。人の顔見てひそひそ話されるのは、控えめにいっても神経に障るんだ。だから君といると、ほっとするよ。……その眼、開けられる?」

 僕の親は、僕の瞳を硝子玉にたとえた。
 空虚な、光を宿さない飾りもの。
 ためらいがちに、目蓋をあげると、すっと呼吸が一瞬止まる気配がした。
「……ありがとう。眼を開いているとき、どんな感じ?」
「どうって……口の中をあけっぱなしにして歩くような感じかな。目の表面が乾く気配はわかるけど、口ではものを見えないのと同じで、何もわからない」
「うまい。的確なたとえだ。そして口の中を開けっ放しにして歩くのは疲れるように、目をあけっぱなしにしているのも疲れる、と」
「そう。……ね。ちょっと触っていい?」
 僕は、かなりためらいながらその申し出をした。
 同じように、相手もためらったのが気配でわかった。
「……うんいいよ」
 ほっとする。
「これが僕の肩。……でこれが頬」
 僕の右手を肩に、左手を頬に導いて、かれはじっとしていた。
 僕はぺたぺたと顔にふれる。思っていたよりずっと滑らかな肌をしていた。何度か僕の手をとらえた手は、手の皮がしっかり厚く、ざらついた感触の手だったから。

 ああ……。
 僕は手を引く。
 ふれた掌が熱い。手を拳の形に握りこむ。なんて、ことを……。
 僕は自分の手がさきほど土いじりしたばかりだという事に気づいて、頬がかっとなるのを感じた。
「す、すみませんっ!」
「え?」
「僕の手……土が……」
「え? でもケーキ食べる前に拭いていたのに」
「で、でも……つめの間、とか」
「ああ。そんなの僕は気にしないって」

 からからと笑う声に、僕はどうやらたいへんタラされやすい人間らしいと自覚した。
 親の愛情に薄いし、全般的に誰かに好意を向けられることに馴れていないから、誰かに好意を寄せられるとそれだけで嬉しくなってしまうのだ。固い飴が僅かな熱でたやすく曲がるように。
 性格は賢しいのに懐柔されやすいって、なんだ?
 いい言い方をすれば素直。
 悪い言い方をすれば、騙されやすい。
 ―――名前、か……。
 たしかに、名前を言い交わさない方がいいかもしれない。僕はこの子が誰なのか、予想がついている。そしてたぶん、それは当たっているはずだ。
 僕はすでにかれのことを好きになっているのだけれど、それは、内緒にしておこう。
 彼は名無しで僕も名乗らない。いつでもさっぱり跡形もなく切れる、そんな関係が一番いい。
 そんなことを考えていたから、次の言葉にとっさに反応できなかった。
「僕は君が好きだよ」

「…え?」
 彼はまったく同じ抑揚、発音でもう一度いった。
「僕は君が好きだよ」
「……なんで?」
「君にとってはどうってことのない一言。君が、なんの気もなしにいったのだろう一言が、僕にとっては天地がひっくりかえるぐらいの衝撃だった」
「え? 一言って……」
「君は、賢い。ほんとうの意味で、頭がいい。僕は自分の不幸をなめて、自分が一番不幸なんだと自己憐憫にひたっていた。自分がいちばん可哀相だと思うのは、とても気持ちがいい。でもそれは、とても不毛なことだ。でも……、わかっていても、自分が今不幸だったらそんな風に思えない。耐えて、涙をこらえるので精一杯だ。でも君はちがった。幸い目が見えないだけだから―――。自分の不幸をそんなふうに、なんで言える? 僕はそう思えなかった。昔も今も、ずっとね。大金槌で、頭を殴られたようなショックだったよ」
「…………」
 どんな事でも、いいほうにとった方がいいに決まってる。物事にはいい面と悪い面があって、できることならいい面を見ていたい。目が見えなくても、自分より不幸な人はいくらでもいる。目が見えない上に耳が聞こえなかったり、手足が動かなかったりする人もいっぱいいる。
 そして、僕とはちがって後天的に目を失った人も、たくさんいる。そういう人の苦しみは、僕らの比じゃない。無意識にしろ、意識的にしろ、軽蔑していた人々の仲間入りをするのだ。自分の状態を受け入れられなくて、僕らのように感覚が発達していなくて、……自分を、受け入れられずに苦しむ人々に比べれば、僕は幸せだ。
 だから、こう思ってる。目が見えないだけでよかったと。

「あの一言を、聞かせてくれてありがとう。僕が君をすごいなと思った理由は、もう一つある」
「……なに?」
 声がぐっと沈んだ。
「……僕も、君と同じで虐待を受けている」
 僕は眉をひそめた。言い間違いならいい、と願った。
 現在進行形だったのだ。
「でも、僕は親を死ぬほど憎んでいる。そこらへんが君とは違うところだ。僕には憎む権利がある。君にもね。でも、僕はその権利をつかい、君はそれを放棄して許した。それが僕と君のちがい」
「……憎むこともできなかった、という言い方もできるよ」
「いいんだよ。僕はそう思わないってだけだから」
 話していて、わかった。
 彼は流されない。ゆるがない。はっきりと明瞭な意思を持ち、自分の頭で考え、自分で決める。「自分の答え」を持っている人だった。

「僕が無事大人になれたら―――。僕は君の言うとおりに貴族だ。それも結構力のある貴族だ。僕は子どもだけれど、自分の目でみて、自分の頭で考えて、自分で決定を下すことができるぐらいには、大人だよ。わかることも、気づくこともたくさんある。あのとき、助けてやれなくてごめんね」
 どのときだ? 首をひねって、思い至って頷いた。
「僕が出て行けばコトはすむ。あの馬鹿はあっという間にひれ伏して平伏しただろう。でも……その後君はどうなる? 一時の感情だけでは動けないとおもった」
 いっとき、彼にかばわれても、それで引き下がるか? 僕が子どもでもこの質問の答えぐらいわかる。
 ああいう手合いは彼がいない時をねらって、恥をかかされた仕返しにやってくるのだ。

「目先のことを一つ変えても、それじゃあ何も変わらない。社会そのものを変えないと駄目なんだ。僕は大人になれたら―――この世の中をかえる」
「かえる、って……?」
「文字通り。下っ端で草の根運動するよりも、上から号令かけた方がはるかに手っ取り早い。そして僕は、それが可能な地位に生まれた。そう生まれたのは運だけど、そう生まれたからにはつかみとるさ」
 僕は眼を閉じ、顔をふせる。
 輝くような、強靭な意思に満ちた声が、まるで太鼓の音のように一つ一つ心に響いて身体を震わせる。
 その震動に自分を委ねるのは、気持ちよかった。
 喉の奥から、声をしぼりだした。
「……応援するよ。僕も君が好きだ」
「ありがとう。まあでも、その前に生き延びないといけないけどね。ご同輩はそろいもそろって容赦がないし」
 僕は眼を見張る。
 ……それは、あきらかに意図的にもらされた情報だった。
「君は―――」
「待った。……その続きは言わないでほしい。九十九の確信があっても、一の疑いが残っている。そうであればこそ続けられる関係が、あると思う。―――何かあったときのために、名前は聞いていない方がいい。わがご兄弟は、『程度』というものを知らない人間が多いから」
 僕は少し考え、頷いた。立ち上がる気配に聞く。
「また来てくれる?」
「また来るよ。……君といると、ほっとするから」





 僕と彼の親交はそれからも途切れがちに、けれどほんとうに途切れることなく続いた。
 彼は突然お菓子を手にもってやって来ては益体もないことを喋り、そして去っていく。無言でじっと僕の作業をながめていたこともある。相手は僕が気づいているとは思っていなかっただろうが、「なんとなくそこにいる」というのは空気を伝わってわかるものだ。ことに、それが身体に馴染んだ気配なら。
 かれは、時々一方的に来て、一緒におやつをしておしゃべりする。何も会話せずに沈黙していることもある。
 目が見えない人間のつねで、僕は気配に敏感だ。話し掛けられたいとき。そうでないとき。両方よくわかる。だからそういうときは、何も声をかけずにじっと隣に座っていた。
 ……そんな一方的な関係が五年以上も続いたのだから、たいしたものだ。

 結局僕は、その花の名をとうとう知ることなかった。
 九十九の確信と、一の疑い。それを確信へと変化させることを、僕も望まなかったから。
 最後のとき、彼はお別れをいった。もうこれない、というその理由を聞かずに、僕はただ頷いた。彼は名前を名乗ろうとしたけれど、僕はそれを止めた。
 最後まで、名無しのままでいたいと思ったのだ。

 皇宮のなかで子どもの者。
 高い教育を与えられた、貴族以上の身分の子ども。
 ―――そんなのは、皇家の御方でしかありえない。

 ほとんど初対面のときから気づいていたといったら、あの方はどう思うだろうか?
 いや。気づかれていることに気づいていたのではないだろうか。今思えば、そんな素振りがいくつか、たしかにあった。
 けれど、わからない。
 ほんとうにそんな皇族の若君が自分の目の前にいたのかどうかなど、一生わからない。
 皇族の一の君。
 美しく、目を奪われるほど美しく、たとえようもないほどあまりに美しかったために、恐れられた。皇宮の至尊の花とうたわれた、美貌の貴人。
 シヴァース・アエリア・サラディー様。



FIN


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その花の名前は

長さ
分類

  九十九の確信と一の疑い

杉浦明日美

番外編紹介:

 生まれつき目が見えず、親から虐待を受けて育った少年は皇宮で庭師として働いていた。そこに気まぐれな貴族の子どもがやってきて……? 人生を変えた一言。

注意事項:

年齢制限なし

本編は連載終了しています。

女性向けではありません

◇ ◇ ◇

本編:

天の烙印シリーズ

サイト名:

空飛ぶ岩石の創作畑