儀式 杉浦明日美 |
広い空間に、声が朗々と響く。 「我は我が調停者たることを宣言する。調停者たる資格を所持していることを宣言する。我はここに調停者たる資格を示す」 まだ小さな、大人の胸ほどの子供が口上をのべあげ、右手をかざす。 手の前に、人の頭大の緑色の光球が現れた。 「我は我が緑の座たることを宣言する。緑の座たる資格を所持していることを宣言する。我はここに緑の座たる資格を示す」 同様の仕草を、壮年の堂々とした男ぶりの相手が行なう。 手の前に、人の頭大の緑色の光球が現れた。 「我汝が緑の座たることを認めたり。我は精霊の代表なり。全ての精霊は我と汝の定めた事項に従うことを宣する。これは誓約にして契約なりき」 凛、とした澄んだ声。 子供の声変わり前の涼やかな声が、広い空間に幾重にも反響し、この場を満たす。 「我汝が調停者たることを認めたり。我は人の代表なり。我に従う全ての人は、我と汝の定めた事項に従うことを宣する。これは誓約にして契約なりき」 重低音の落ち着いた声。 大人の男の耳に残る低い声が、広い空間に溶け込むように余韻を残し消える。 子供はふぅっと頭をふり、堅苦しい定型文句の残滓を払い落とすと、この場にいるもう一人を見、笑った。 「五年ごとの契約更新も、中々手間がかかる」 「……ならば十年ごとにしたらいかがだ。こちらはそれでも一向に構わぬが」 子供はかぶりをふる。 「五年が最高の譲歩だ。そちらが誓約をやぶり、暴虐の限りをつくしても、五年で終わるならまだ回復できる。十年となると、誓約が切れる前に、回復不可能なまでにこの星が壊される可能性がある。我ら精霊は、あなたがた人間を、これっぽっちも信頼していないのでね」 お前も人間だろう、という言葉を、緑の座は口のなかで飲み込む。たとえ人間として生まれてきたのであっても、この子供は今や精霊側の陣営に属していた。 皇宮の中で最も格式高く、故にほとんど使われる事のない場所それが、謁見の間であり、彼らがいまいる場所である。 人間と精霊との神話の時代の契約。 それが真実であり、今だに代々続いている事だと知る者は少ない。 子供は屹立する確固たる口調で言う。 「精霊は決して誓約を破らない。なぜなら破った瞬間、その身は消滅するからだ。過去の違反はすべて人間側から行なわれたことをお忘れか? 精霊は全ての精霊が誓約を守ると誓っている。―――けれど、人間はそうではない」 宣誓においても、対象となるのは「我に従う全ての人は」である。緑の座に従わない人間は、対象ではない。 そして緑の座に従わぬ一部の者が誓約に違反しても、精霊側はまだ誓約に縛られている。故に、人に敵対行為はできない。五年がたち、誓約が無効になるまでは。 五年の有効期限が経てば、誓約は無効になる。その度に、こうして調停者と緑の座は出会い再度の誓約を結ぶのだ。 これまでに何度、いや何千となく繰り返された、それは神聖な儀式である。 緑の座は正直こうして顔を合わせるまで、このたびの調停者がこの相手だということを疑っていた。 数か月前同じ場所で、彼らはあまり友好的ではない出会いを果たしていた。 そしてこの少年は、自分が事欠いて調停者であると名乗ったのだ。 年を経た者は、若者に高い地位を与えるのに否定的な者が多い。ましてや、相手は十をいくつも越えてはいない子どもだった。 それが緑の座である彼と同格、いや、属している組織の力関係から言えば、この子どもの方が上なのである。 「我汝に問う。精霊の権益を破る腹積りがあるか否か」 「我汝に問う。精霊側の譲歩を求む。精霊の所有する土地を求む」 土地問題。これが精霊と人間との最大の懸案である。人間は、精霊が所有しているこの星のほとんどの土地を、一部でもいい、譲ってほしいのだ。 少年は平易に返す。 「我汝に問う。我らが委ねた土地の行く末を問う。そこに住まう精霊が幸せであるかを問う」 お前らに委ねた土地がどうなっているのか見てみやがれ、というのが大意である。そして、これには沈黙するしかないのが人間であった。 「―――よって我その要求を拒絶せしむ。重ねて問う。精霊の権益を破る腹積りの如何を問う」 「我、精霊に敵対の意志なし」 調停者…交渉役の少年はうなずき、右手をかざす。 緑の座も同じ動作を行い、二つの声が重なった。 『ここに古の契約の新たなるを誓約する』 これで儀式は終了だが、緑の座は調停者を引き止めた。 精霊の代表が調停者なら、人の代表は緑の座である。そして、人は饗応が得意技だ。 「別室にて、食事も寝台も最上のものを用意した。しばらくはくつろがれるが良かろう。ご自宅へ戻られるのは、明朝でも構いますまい」 「いや、俺今日家の掃除当番」 ……そうじ。 少年はひらひら手を振り、出ていこうとして、扉の前に同年輩の子供が入ってきたのを見た。頭をさげて、銀の長い髪が垂れている。 「……シン」 「いかがかな」 お膳立ては気に食わなかったが、キールは気を変えた。 たまにはこういう状況も悪くない。 「……何をいたしましょうか」 用意された極上の品ばかりで埋め尽くされた、けれど一見質素な部屋で、にっこりと微笑む喧嘩相手を、キールは鑑賞した。 「…機嫌悪そうだなー」 「いい訳ないと思いませんか?」 「うん、だから、俺はいい気分」 「……お前は、まったく…!」 「チッチッチッ。おまえ、じゃない。キールさま。貴方様でもいいけど」 キールは与えられた滅多にない状況を、存分に楽しんでいた。 「お前と俺の仲、知られているもんな、カルラーンに。ま、お前の美貌は一目見ればわかるし? 俺の世話役にまわってきたのはまあ順当だよな。おまえ、俺が十五歳以下で良かったなー」 言葉の意味はこの上もなく明白だ。 「……なんでしたら寝台のお相手もいたしましょうか、キールさま。いつものように、抱き締めて眠ってさしあげますが」 キールには抱きつき癖がある。シンか毛布か弟が、その被害にあっていた。 しかしその反撃も、キールのにやにや笑いで無になる。 「やめとくよ。五年後の楽しみにとっておこう。その時までお前が生きてたら、絶対に寝台のお相手込みで、俺の接待にまわるよな。スッゲー楽しみ」 賓客と接待者。この状況では、どう考えてもシンの不利は明らかだった。 ふるふるふる。シンの拳が震える。 しかもキールの言うことは事実だった。五年後まだ生きていたら、キールの言った通りの事が起きるに違いない。 きつい目で、シンは長年の喧嘩相手をみた。 言葉の暴力も喧嘩の内だ。キールは、相手が最も傷つく言葉を選んで投げつける名人だった。 「五年後のお前は十七か。やりたい盛りのケダモノだな」 「お前が相手なら、三百を越えたじじいもケダモノになると思うけどー? それに、可能性はあるぜ。次の時までに、お前が緑の座になればいい」 「……僕は夢想家だが無謀じゃない。五年で白から緑? 普通じゃない」 沈んだシンに、キールが無意味に明るい声を投げつける。 「お腹すいた。ご飯とってきて」 「わかった、影…」 「影は禁止。自分の手と足で、取ってきて」 シンは一瞬凍るような目でキールを見たが、ため息をついて席をはずした。 一人になって、キールは顔をあげる。 天井に視線をあてて、言った。 「…カルラーンに伝えろ。もう一度盗み聞きしたら、貴様の影全て殺すと」 それは家族には絶対に見せない、見た者の呼吸を滞らせるほどの殺気に溢れた姿だった。 緑の座が調停者に危害を加えることが出来ないのと同様、調停者が緑の座に危害を加えることもまた、できない。盟約がそうなっている。 だからキールはこういった。 「……ほら、持ってきたぞ」 シンが戻ってくる。手中の盆の食事は一人ぶん。 「……お前の分は?」 シンはかぶりをふる。 「僕は毒味なしじゃ、食事をとらない」 「……まあ、そうか」 キールは盆を見た。 …毒は入ってないと思うが。 「毒味するか?」 シンの申し出をやんわり断り、キールは銀の食器を手にとった。 食事に入浴、就寝を経て、シンが部屋の明かりを落とし、キールの寝台の隣に椅子を置いて座った。 「夜半何かありましたらお申し付けください」 棒読みの最たるものである。 ぬれ髪のまま、寝台に入ったキールは薄闇のなか、隣のシンを見やって笑う。 「……うーん、なかなかにいい感じ」 「僕は迷惑だ。さっさと家に帰っていればいいものを…」 「五年に一度だ。それぐらいなら我慢できるだろ」 「お前にいびられるのは四六時中だ!!」 真情こもる言葉に、キールは吹き出した。 何年ぶりかの皮肉でも演技でもない奥底からの笑いに眠ろうとして…飛び起きた。 「外泊の連絡してないっ!」 用意された絹の夜着を脱ぎ捨て、キールは大慌てで着てきた服を手にとる。 「じゃなシン! 俺帰るっ!」 突風のような退場。残されたシンはほとほと呆れたという風につぶやく。 「あいつの家族に対する愛情の、何分の一かでも周囲に分けてくれっていうのは贅沢かね……」 キールの家ではナギとイールが冷めはてた夕飯を前に心配の限りをつくしてキールを待っていたりして、そしてキールは土下座して謝ったりして、そしてそしてナギの雷とイールの怒りが直撃したりして、夜は明けた。 |
小話です。
この後の展開の重大な要素の一つ―――ではあるんですけど。