キールは死んでいた。
「頭いたい……」
キールを憎んでいる星の数ほどの人間が聞けば手を叩いて大喜びするだろう台詞とともに、額に乗っている氷嚢を手で押さえる。
なんたる不覚。
今この瞬間事件でもあったら間違いなく役立たずだ。この自分が。
「それは仕方ない。キールが体が弱いんじゃなくて、地球人たちの世界が異常なんだよ」
「……よくお前は平気だな……」
低い位置から見上げると、イールは同情をこめて微笑んだ。
「僕も来た当初は同様の状態になったよ。キールは僕と体は同じだから、一週間ほどでおさまると思う―――にしても金髪ね」
「……地球人の間で一番人気が高い色だろ……」
「それはいいけど、僕も金髪だから。―――しょうがない、僕の方であとで色染め替えるか」
「染料はどうやって調達するつもりだ……?」
「キールの体調がよくなったらしばらく僕の……行動力が多少低下しても問題ないだろ。今は不測の事態に備えなきゃいけないからそれはできないけど」
「俺の血使え」
そこだけきっぱりという。
「俺の今の戦闘力はゼロだ。ゼロからマイナスになったところで大したことないだろ。お前に染め変えさせるんだからそれぐらいは……」
「了解、あとでシンに血を抜いてもらおう」
ぐったりと指一本動かす力もなく伏しているキールに微笑を送ると、イールは部屋(といっていいものか)を出て行く。
室内に人がいなくなり、キールは目を真上にあげる。むき出しの建材、建材同士をつなぐ役目の鋼材が見えた。
キールが寝かせられているのもベッドというもおこがましいぼろぼろのウレタンである。この廃墟のなかに置き捨てられていたものだ。
目を閉じる―――シンはああいう生まれだが、こういう暮らしに免疫があるので、どんな廃屋でも一向に文句を言わないでいてくれるのは助かった。
が、キールが嫌なのだ。
シンには最上質のものに包まってすごす生活がふさわしい。粗末な化学繊維の服より絹の服が。こんな家ともいえない廃墟で隠れ住む生活よりも、床は大理石、壁は色鮮やかなタイルかフレスコ画で装飾された豪邸が。残飯や蔑むように投げられた食物よりも、テーブルいっぱいに並べられた美食のほうが、彼にはふさわさい。
シン自身はキールのそんな考えを聞いたら笑い飛ばすだろうが、そうしたいのだ。
幸い、今地球人側は政府交代の混乱期だ。混乱は商売のチャンスでもある。他にすることもないことだし、金儲けの方策についてでも考えよう。
◆
どこから入手したのか勘ぐりはじめると怖くなるが、シンは携帯用火器と食材と、まな板をはじめとする調理器具を使って食事を作っていた。
もう十年以上も昔、ぷっつりと切られた髪はようやく切る理由を失い、再びのばされはじめた。今は肩の上で揺れる長さである。
「何で黒髪にしたの?」
そう聞いたのに、理由はさしてない。強いていえばさきほどのキールとの会話が心のどこかに残っていたからだろう。
シンはいつ崩れてもおかしくない廃墟の中で料理なんぞをいたしながら返答した。
「黒は一番地味で、白い肌とよく映えて、カナイとも違う色だからな」
相変わらず計算づくの返答には感心する。
目立ちたくないから黒。
容姿を引き立てる色として黒。そして。
「―――聞いたときから疑問だったんだけどね。どうしてシンはこんなところに来たのかな? ここは決して暮らしやすい場所じゃない―――安全でもない。キールはさぞ反対しただろうに」
「ああ猛烈な反対だったぞ。それを徹底して上から高圧的に押さえつけて逃げ道つぶして認めるしかないように仕向けた。あいつは私に誓いを立てていたから本当に命令されたら逆らえない」
たぶんそんな事だろうとは思っていた。でなければあれだけシンの安全に配慮するキールが認めるはずがないのだ。
わからないのは……
「緑様である御身が何ゆえそのような愚行をなされたのですか? 御身あってこその我ら。いと煌びやかなる星の周囲をめぐる砂粒にも似て我らはお館様あっての者ども。お館様の意に反する無礼極まる行為ではありまするがわが兄の反対は至極当然のものでございましたに」
レイオス人としての尺度では、イールは今すぐ自刃してもおっつかない。イール個人としてみればともかく、「レイオス人として」考えたとき、イールは眩暈に似た感覚に襲われる。
数億の臣民をたばね、法と人の擁護者たる緑様に! こんなあばら家、庶民ですら暮らそうとは思わない不衛生不便きわまりない廃墟で暮らさせ! あまつさえ料理なんて下賎な行為までさせて!
恐れ多いにもほどがある。
それはたとえば人殺しがレイオス人にとって絶対悪であるように、レイオス人の誰もが自然に暮らしのなかで身につける、緑の座への畏敬の念だった。
「そう、キールの反対は至極当然だな。だが、私が一番の適任だったんだ」
「……髪をそめても魔力は使えるし、その顔で篭絡できるし?」
「それもあるが、緑の座だからな、私は。死なないんだ」
「……首切られても死なないの?」
「それは試したことがないからわからないが。だが、滅多なことでは死なないのは、事実だ」
「―――頭痛もしなかった?」
キールと比べてぴんしゃんしているシンは平易に頷く。
「まるでなかった。病気や毒物系はほとんど効果がないな」
「……噂は本当だったのか。緑様が不老長寿というのは、聞いたことがあるけど。―――髪は伸びるの?」
「伸ばそうと思えば伸びるな。どこぞの馬鹿がうるさいから伸ばす」
さらっと言われた言葉をああそうかと頷きかけて、思わず聞き返した。
「伸ばそうと思えば……?」
「私の体内でだけ、時が止まっているようなものなんだろうな」
そういうことをさらっと言うな!
「時がとまる……新陳代謝がなければ傷も治らないし髪も伸びないけど?」
「傷はすぐ治る。いや、傷を負っていない状態に戻るんだろうな。病気も毒も同様だ。イールは大丈夫か? 地球人側の未知の病気にかかったりとかはしないのか?」
「来てすぐになった激しい頭痛が体内での微生物レベルでの激しい抗争じゃないかと思うけど。頭痛だけじゃなく、全身倦怠感のかたまりで何をする気力もなかったから。でもそれ以外は、ないね」
返答し、イールは息を吐き出した。
緑の座―――それはレイオスを統べる者。王であり皇帝であり全ての指針。
「えらいひと」と思っていたわけだが、本当にそこまで自分たちとは変わった特別な存在だとは思っていなかった。生物学的には、同じだと思っていた。
支配者の神秘性は不明性に支えられていることが多いが、不明が知に置き換わってもそこにあるのは大山鳴動ねずみ一匹ではなく、開けてびっくり玉手箱だったわけだ。
ほんとうに、緑の座は「特別」なのだ。
「……緑様、ほんとによろしいのですか? レイオスが今どんな状況か、考えるだに僕は怖い」
その台詞をイールはすんでのところで飲み込んだ。
そんな事を言ったとなればキールはイールを許さないだろう。
そのかわりに、話を元にもどした。
「シンは自分の重要性がはっきりわかっていたのに、どうして来たの? 僕にでも任せていればよかったのに」
「イールに謀略ができるとは思えないな」
まことにごもっとも。
自分の能力を自覚しているイールは苦笑するしかない。
しかし。
「キールは最高に得意だよ」
「おかげで敵対勢力を根絶できてたいへん楽になった。あいつの舌は百枚近いな。善良な人間を舌先三寸で連続殺人犯にできそうだ」
これでもほめてるのである。シンはキールをほめるとき、大抵悪口か皮肉か判別がつかない言い方をする。しかしそれが悪口でも皮肉でもなく褒めているのだとイールにはわかる。キールにもわかるので、それでいいのだろう。
イールは一つ息をはきだす。……誤魔化されてあげる気は、ない。
「シンは自分の重要度がわからない馬鹿殿じゃないだろ。話を聞いたときには馬鹿殿かと思ったけど。シンが死んだら、そこで僕らはおしまいだったんだよ。最高指揮官が最前線に出るなんて下の下の下の大馬鹿者のすることだ。自分の存在の重要性を認識しておらず、自分が死ねばどれだけの人間が死ぬか理解しておらず、青臭い正義感にかられたお馬鹿さんだけがそれをする。僕はシンを緑様として忠誠を捧げるにふさわしい人間だと思っているよ―――今となってもね。なのに、どうして、来たの?」
「……イールの考えは?」
「シンが馬鹿なことをするときはどっかの馬鹿が関わっているときだろ」
吐き捨てるような口調にならないよう、慎重にいった。
「それほど特別な体してるのなら、シンは確かに死なないだろうね。でもどっかの馬鹿はちがう。命令に絶対的に忠実で、決して裏切らず、任務を果たせるだけの能力があり、そして、死ぬ覚悟がなければできない。そして、そう。レイオス人は、地球人の領域では何もできない。魔力はつかえず、慣れない環境と体調の不良にあらゆる能力は削ぎ落とされる。更に首尾よくいっても、用済みとして始末される可能性は、かなり高かった。実際そういう展開になったし。つまり、死ぬ可能性はやたらと高いわけだ。―――シン以外は」
友人の顔に、そのとき苦いものが走った。その表情の意味を、イールは生涯知ることはなかった。数秒でそれは消えてしまったし、イール自身覚えておくこともなかったからだ。
「シンは理解してたんだろ、キールは確かに任務を果たせるかもしれない、裏切りもしないだろう、『ただし―――』って。……でもね、僕はキールの家族だけれども、はっきり言えるよ。それでも、シンは、キールを捨て駒にすべきだったと」
緑様を失うことに比べれば、たかだか側近の命、荒縄で束にくくってでも差し出すべきだった。束にしたところで天秤の比重は緑の座に圧倒的に傾く。……その傾いた天秤を平衡にしたのが、万民に対して公平であり冷静であらねばならないはずの、緑の座の私情だ。
それを思うとき、イールは歯噛みしたくなる。
「あの」シンがだ。
イールにでもわかる初歩の理屈を、私情で捻じ曲げたのだ。
キールを失いたくないがために。
「イールの言葉は正しいな」
頷きは微笑すら含んでいた。シンはイールの言ったことすべてをすでに考えていて、それでも決断したのだと、はっきり悟る。
「結果論で語るのは無責任だが、私は死ななかった、キールも死ななかった、すべては上手くいった―――それでいいだろう?」
オマケにしてはややシリアス、長いものになってしまいました。文中で、意識的に間違っているほうにとられるよう、誘導してるところがあります。事情を知ってから読み返すとまるで違う意味に読めるところが。さてどこのあたりでしょう? え、事情? いつかは書くような、書かないような……。
それにしても馬鹿馬鹿連呼されているキール。まあ愛情のこもる馬鹿ですので……。
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