これは君がつむぐ物語 1

 もし―――あのとき自分の気持ちと逃げずに向き合っていたら、あそこにいるのは自分だったろうか?




 わざとだ。
 背を翻し、足早にその場から立ち去りながら歩は胸のむかつきをその言葉に凝縮させた。
 ぜったい、わざとだ。
 ひよのの肩越し、こちらを見た目。
 歩の反応を観察してた瞳の冷静さが教える。
 ―――わざとだ。

 歩がいたことに気づいていて、見せつけるために、カノンはひよのを抱き寄せ唇をかわしたのだ。
 ―――お前がほんとうにショックなのは、そのことじゃないだろう?
 気に食わない、歩自身より歩を良く知る歩が囁く。
 ひよのは拒む様子もなく、受け入れていた。
 とんでもなく長く感じられたキスのあと、離れたひよのからもれたのは罵声でも平手でもなく、吐息。それと、わざととわかる怒った素振り。笑いながら、謝るカノンの声。
 他愛ない親しみのにじんだ会話は、誰が聞いても恋人同士としか思えない。

 もし―――あのとき自分の気持ちに逃げずに向き合う強さがあったら。
 あそこにいたのは自分だったろうか?




 卒業生総代。卒業式で答辞を読む少女を、その他大勢のひとりとして歩は見つめつづけた。
 涙の気配をにじませ、感情豊かに、彼女は答辞を読み終え去っていった。
 十代。
 若さは愚かさと読むのか。
 彼女のいない学校は、これほど広くこれほど時間が経ちがたいものだったか。
 後悔は、打ち寄せる波のようにとめどなく繰り返す。
 亜麻色のお下げの少女が自分のものであったときに、どうして手をのばさなかったのだろう?
 考えるたび打ち消し、手の中の少女にすまなさを思う。

 忘れるために打ち込んだピアノ。
 ピアノ以上に夢中になれるものなどなかったのに、ピアノを弾いていてもちらつく面影にいらだちはつのり、ますます巨大な鍵盤楽器に寝食を傾けた。
 硝子越しにみる映画のように、時間は瞬く間に去っていく。

 失われてから、初めて彼女の名を憶えた。
 彼女が手中から去ってから、ようやく名を記憶するのは、ひかえめにいっても薄情だろう。
 考えるまいと意識する事がなおさら意識する事になる。では、普通にしていても意識にのぼってしまうものを一体どうすればいいというのか。
 忘れようとしても忘れられず、忘れようとしなければいつまでも付きまとい続ける。
 歩がピアノを弾くかたわらで、常に付き添っている少女に、意識のありったけを振り向けようと努力した。

 理緒がつくる食事は歩の熱心な指導の甲斐あって、努力が結果に反映する味になっていたし、理緒の作ってくるお昼を食べると単純に幸せを感じる。……それでも歩は、手作り弁当をつくるどころか横取りする少女を思い出してしまうのだけれども。
 理緒は歩の気持ちを知っていて、それでいいと待ってくれているが、歩は先の見えない絶望的な戦いに時々自暴自棄になってしまう。
 理緒とかわすどんなキスも、ひよのとカノンの口づけを見たときのような痛みをもたらすことはない。

 心が鋭いナイフで切り裂かれるような、明確すぎる痛み。目の奥に焼けた火かき棒を突っ込まれたように、網膜が熱くはれあがった。
 ―――好きだよ。でも……恋はできないんだ。
 そういったかつての自分に、憎くなる。唾を吐きかけたくて、殴りつけたくてたまらなくなる。
 結局すべてはそこに行き着く。
 後悔を感じる事自体が理緒への裏切りとわかっていても、だ。

 諦めるのなんて、簡単なはずだった。
 しょせんは高校生の一時の恋愛で、時間とともにさめる熱病のようなものだ。
 ……では、一体いつの恋なら本物だというのだろう?
 高校生だから偽物で、大人の恋は本物だというのだろうか?

 歩がピアニストとしての声望を日に日に高めていく一方、社会は大きな変貌を迎えた。
 彼女が卒業を迎えた年。
 多少縁のある会社から、家庭用人型ロボットの、『量産型』が発売されたのである。およそ、誰も予想だにしなかった商品だった。
 ロボットの製品名は、『キリコ』。
 ロボット漫画の巨匠の作品から男女共通の名をかりて、キリコは発売された。
 技術者たちが十年はかかると見ていた、人と見分けのつかないロボットの、誕生である。

 顔は注文者の好みどおり、体格もあるていど融通がきき、二足歩行可、表情にも不自然さはまるでなく、当意即妙のおしゃべりまでもが楽しめる。
 初期型、もっとも早く発売された『キリコ』の性能は人とのコミュニケーション程度だったが、爆発的に売れた『キリコ』はそれから二月後には、バージョンアップしたモデルを発売していた。

 キリコシリーズは、人とのコミュニケーション能力に特化したロボットである。
 まず数分では人との区別などつかない。人との会話は、四角四面のマニュアルではできない。融通の利く、ことを最低条件とするが、顔をあわせ、数分程度会話しただけではぼろがでないほどに、会話を成立させる高性能の知能をもっていた。
 このためロボット法が大急ぎで制定され、外に出すロボットはかならず人の見えるところにロボット標章をつけなくてはならないとされたが、そのニュースでさえも、宣伝となった。
 つまりはそれほど、『人と見分けがつかない』ロボットなのだと。
 ひよのが技術協力をしていた関係で聞き覚えがあったという程度の『多少の縁』だったが、会社名を知っていた歩は調べてみた。―――そして、十年はかかるとみられていた人型ロボットの製作者が、ひよのであることを知る。

 キリコシリーズの人型ロボットの性能は常識を超えていた。
 人型ロボットで、実際に立ち働けるものを作るだけでも不可能とされていた頃に、実用にたえ、家庭内での使用を考慮に入れた安全性と耐久性をそなえ、人との見分けがつかないほどのロボットが、出てくるとは誰も思わなかったろう。
 価格も恐ろしく安い。いや、25万というのは金額的には高いが、人型ロボットの相場としては、常識外れに安かった。
 それがひよのの作り出したものと知ったとき、歩は自分がよろめくのを感じた。

 そして、そのロボットは数度のバージョンアップを繰り返し、いまや町のあちこちで見かける存在となっていた。

 ウエイトレスに、受付の案内嬢。エレベーター嬢。ロボットの彼女らは隙のない笑みで、人間では滅多に見れない美貌で客を案内し、もてなす。
 一方、背徳の欲望のはけ口となった面も存在している。
 キリコシリーズは血こそ流れないが、体温まで備えている。そして、『損傷箇所を持ち主に伝える』ことを目的として、異常が出た場所を『痛い』と形容するのだ。
 キリコシリーズの表情は、基本の五つの表情および、他律される瞬きや目じりの組み合わせで決まる。その五つの表情のうち四つまでは、笑顔や喜びのバリエーションだ。大口あけてのわらい、ひっそりとした笑い、嬉しそうなはにかみ、ニコニコ笑い。
 残る一つ―――涙だけが例外で、つまりこのロボットは、傷付けられると、痛い、と言って泣くのである。
 そして、ロボットを殺す行為は、壊す、といわれる。
 ロボットを壊して、殺人罪になることは決してない。

 無惨に破壊されたキリコシリーズは、ちらほらと都市部のゴミ捨て場に現れるようになった。
 産業革命に匹敵する技術刷新。ついにロボットが人力にとってかわる時代の到来だとマスコミをはじめとする世間は騒ぎ、歩もその変化を肌で感じていた。

 そんなものの製作責任者である。ネットで情報を少し集めただけで、ひよのの情報はいともたやすく手に入った。
 公式の場で、彼女は常にカノンとともにあった。
 『女』よりも、『少女』を強調させた装い。美しくも初々しく着飾った少女に傍らには、いつもカノンがいた。
 それに気づいた瞬間、歩は接続を切断した。

 歩の傍らで、ひよのへの想いを断ち切れずにいる歩を待ってくれている少女。
 彼女に応えたいと思うのに、気持ちはふくらむばかりで。だめだ、という確信ばかりが強まっていく。
 忘れられればいいのに。
 諦められればいいのに。

 失われてこれほど苦しむぐらいなら、最初から手を伸ばしていればよかった。
 あのころの無知で、若かった自分を、どうしようもなく愚かと思う。
 時間を巻き戻し、すべてをやり直せるなら、歩は悪魔にでも魂を売る。

 





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