白霧の朝に 4
きみには、拒絶する権利はない。
この場でただ頷く行動しか、許されていない。
また、頷き、応諾の返事をした瞬間から、君には精霊の眷属としての身分が与えられる。しかも第三位。我ら三人を除くほとんどの精霊が、君に無条件で従い、その命令に服するだろう。
君は、選ばれたのだ。
くだらない人間ばかりの人間の間にも、たまには君のような宝珠が生まれることがある。そして我々は、そういう人間に、調停者の位をゆだねることにしている。
調停者。精霊世界では第三位の高位。
また同時に、人間世界では第一位の緑の座と対等以上の力関係にある地位。
うなずくだけで、その力は君のものとなるだろう。精霊が嘘を言えぬのは、君とて知っている通りだ。
どうか、受け取ってはくれまいか?
早朝、薄く霧のかかった名もなき森の一隅に、豪華な顔ぶれが集まっていた。
ひとりは光の精霊。精霊の階級第二位にある極めて高位の精霊。
ひとりは闇の精霊。彼女も精霊の階級第二位の、高位の精霊だ。
そしてひとりは人間のこども。
史上類を見ない能力を持った、稀少価値は生命生存可能な惑星にも等しい存在。
そして彼女―――死の精霊もまた、この場に居た。
光と闇の精霊に頼まれたから、ということも無論あるが、それ以上に、興味がわいたのだ。
脅しと、えさ。
人間風には、飴と鞭、とでも言うのだろうか。
それらを巧妙によりあわせた精霊の申し出に、キールは、この風変わりな子どもは、一体どう答えるのであろうかと――、興味がわいたのだ。
死の精霊は、キールがどう答えるのか慎重に見守る。
しかし、光の精霊と闇の精霊は、この子どもは他愛もなく頷くだろうと考えていた。
精霊は嘘が言えない。それはまったくその通りだ。
だからいま言ったことに、嘘は含まれていない。
ただ、事実をできるだけ美しく見えるよう装飾しただけだ。
虚飾そのものの言葉だった。
果たして、彼らはキール・スティンという名の子どもを知らなかった。
ここに、キールの幼なじみであり、シンという愛称で呼ばれる人間がいたならば、この出来の悪い三文劇を鑑賞しつつその美貌を皮肉にゆがめてこう言ったことだろう。
キールが、脅しや美味しいえさに心動かされるような人間なら、苦労はしない、と。
果たして、キールは―――七歳の幼児、やせたほっそりとした体に子ども特有の絹より滑らかで張りのある肌とはっきりとした目鼻立ちの、質素な厚手の素材に身を包んだ子どもは、右足を半歩、前に出した。
三人の高位の精霊の視線を一身にあつめたまま、ゆっくりと腕をくむ。
そして最後、首を左に傾けて、にっこりと笑った。
「……拒絶する権利はないって、どういう意味ですか? ファルフィア?」
ファルフィア―――人外の高貴なる御方という意味だ。
『きみが拒絶すれば、君の家族に災いがふりそそぐだろう』
さきほどから、率先して話している闇の精霊が答えた。
子どもは、顔色一つかえずに、確認をとる。
「それは、あなたが、おれの家族に危害を加えるという意味にとっていいですか?」
―――おろかな事を。
その場にいた精霊すべてがそう思った。
闇の精霊は、「危害を加える」とは言わなかった。
精霊は嘘をつけない。
もし明言すれば、絶対に、その様にしなければならない。
なのに、この子どもは明言を求めた。
明晰といっても、自分の行動がどういう結果を引き起こすか、先を読めない子どもだったか――彼女がそう思いかけた瞬間、思い出した。
家族をネタに、おれを脅迫した人間は、死ぬ覚悟ができたと解釈してる
……まさか―――?
そう思った瞬間、闇の精霊が返答した。
『ああ、そう受け取っても、かまわな――』
『やめ…!』
彼女の制止は間に合わなかった。
彼女にも、いつの間にキールがそこまで接近していたのか、判らなかった。
ただ、闇の精霊の半透明の体から、生身の肉を持った腕が突き出ているのだけが、見えた。
……精霊には、消滅はない。
けれども、死は、あった。
ちいさなちいさな子ども―――。
人間の成人とほぼ同じ大きさの彼女たちの、腰までぐらいの背丈しかない、子ども。
その子どもが貫いたままの手を振ると、闇の精霊は、チリとなって砕けた。
闇の精霊は、「死んだ」のだ。
数千年にもわたる積み上げてきた叡智と記憶―――そのすべてを、一瞬にして砕かれた。
『な……』
信じられない、といった顔で光の精霊は立ち尽くした。
無理もない。死の精霊である彼女自身、信じられないのだから。闇の精霊を死に追いやる―――、そんなことができるのは、死の精霊である彼女と、精霊の第一位と、緑の座ぐらいなもののはずだった。
森の一隅に、澄んだ音が響く。
呆然としている隙を見逃すほどこの物騒な子どもは悠長ではなく、闇の精霊を葬ったあと、間髪いれず光の精霊に攻撃を加えようとしたのだ。
一撃目に致命的な遅れをとった死の精霊は、その第二撃には間に合った。
死の精霊は、キールの攻撃を受け止め、その小さな体をふっとばした。
子どもは枯葉のつもる土の上に落ち、枯葉を砕く音ともに鞠のように転がる。
しかし立ち木に当たって止まると同時に跳ね起きた。
『よくも……』
光の精霊は右手をかざした。光を呼ぶ。
キールも、応えて指を動かし―――彼女は叫んだ。
『やめなさい!』
一瞬で、辺りが静まり返る。
双方の視線が一身に集まるのを感じながら、死の精霊は一歩進み出た。
『キール。あなたは家族に危害を加えようとするものは全員殺す、という。ですが質問します。私にあなたは勝てますか?』
「……死の精霊に敵う人間は、緑の座ぐらいだ」
『あなたは、光の精霊を殺すことならばできるでしょう。ですが私には勝てません。そして、はっきりと明言しましょう。私は、あなたが調停者を受け入れなければ、あなたの家族を殺します。
……どうしますか?』
この期に及んでなおも、彼女は調停者にこだわった。
人間を調停者に選ぶとき、精霊側にはいくつもの思惑があった。
一つは、それほどの力の持ち主を人間側においておいては物騒極まりないということ。しかしそれだけなら、始末してしまえばいい。精霊はけっして、人畜無害の存在ではないのだ。自然界が、雪崩や噴火の際、無慈悲そのものの顔を見せるように。
始末できないのには、それ以外にも理由があるためだ。
精霊は嘘がつけない。それは、嘘のつける人間との交渉時には、致命的ともいえるほどの、欠点だった。いずれ……、この子どもの存在は、数十年後、必ず精霊にとって役に立つだろう。
……なにより、彼女はこの子どもを殺したくなかった。
キールは即答をさけて顔をふせ、体中に付着した枯葉や土を手で払った。
ぱたぱたという平和で乾いた音がしばらく連続したあと、最初にその沈黙に耐え切れず、口火を切ったのは、光の精霊だった。
『死の精霊……。その子どもは闇を殺したのだ!』
『口を閉ざしなさい、ゼ・ラ。今しがたあなたが殺されそうになったとき、あなたを助けたのは誰ですか?』
『……』
不服そうに、だが逆らえずに光の精霊は口を閉ざす。
その様子を冷静な目で観察しつつ、子どもは言った。
「……保証がほしいな。約束して。おれが調停者を受ければ、おれの家族にはどんな精霊も手を出さないと」
どんな精霊も、とは難しい話だ。
死の精霊である彼女は、彼女自身のことならば約束できるが、それ以外は約束などできない。
『私は私のことだけしか約束できません。私のことであれば約束できますが』
「じゃあ、それでいいから。……光の精霊、だっけ?」
自分の半分ほどの大きさの子どもに話し掛けられた光の精霊は、怒りのこもる眼差しを向ける。
「あなたも、約束して。おれが調停者になることを承諾すれば、おれと、家族に危害はくわえないと」
死の精霊の眼差しに、光の精霊は屈した。
『……わかった。いいだろう、おまえが承諾すれば、おまえと家族に危害は加えない』
「じゃ、あとは、闇の精霊か。死の精霊、約束してくれる? もしおれが調停者を承諾すれば、今ごろ新しく生まれてる闇の精霊に今の条件を飲むよう説得してくれると」
『……いいでしょう。説得の末、どうなるかまでは保証できませんが』
「そうだね。
……死の精霊。あなたがいなければ、おれはこんなの呑まなくとも済んだのにな。ここにいる光の精霊を殺して、それで終わりにできたのに。
おれ、誰かの命令きくの、だいっきらいなんだ。おれに命令できて、おれがそれを許すのは、ナギとイールだけだよ。でもまあ……、ナギとイールの命には、代えられないから。しょうがないね」
子どもは頭をふる。
その仕草で、やわらかな髪についていた枯葉がいくつかとんだ。
「―――調停者になるよ」
闇の女王に嫌われている、と水の彩の上でキールが言っていたのは、こういう理由です。……そりゃ嫌われるっつーの。自分の前身を殺した相手だもんなあ……。蘇った闇の精霊には殺された記憶はありませんが、周りの精霊がキールの事を教えたんでしょう。
予定通り、順調に話が進んで嬉しいかぎり。もう一つ同時進行しているヒカ碁小説の散らない花は、予定通り、順調に、長くなってますから。プロット立てた時点で長いとはわかっていたものの……。
この話はそんなことなく、次で終わりです。2002 1/23 up