白霧の朝に 2
「キール。キール・スティン。この辺で、人であろうと精霊であろうと、おれの名前を知らない奴はいないよ。聞けば、すぐにわかる。おれがどういう忌み子なのかね」
そう告げた子供は、まだ幼かった。
血。赤い血ばかりではない。水溜りと化し、または酸化して黒ずみ、淀み、塊になりかけている血。
この場には、それこそ風呂桶をいっぱいにするほどの血が流れているにちがいなかった。
体内の血が流れ出てしまったがために、窓からの光に青白くぬめる死者たちの肌。
石の床は、元の乳白色の部分の方が少ないほどに血でぬれて、臓物をてかる血の中に浮かべている死体も多い。
大の大人でも悲鳴を上げ、失神するような凄惨な修羅場で、子供は黙々と動いていた。
細い首だ。
背など、背伸びしなければ窓の外を見れないほどだろう。
手のひらなど、指の一本一本が小枝と同じほどの脆さだ。
肌は子ども特有の、餅のような肌で、その瑞々しい質感が、この子どもがまだ生まれてまもない存在であると告げている。
どこから見ても、大人の腰ほどまでの背丈しかない、華奢で弱く庇護されねばならぬか弱き存在――のはずだった。
―――この辺で、おれの名前を知らない奴はいないよ。
彼女には移動という概念が、そもそもない。
必要ないのだ。
彼女は精霊のなかでも高次の存在であり、この星のどこにでも瞬時に移動することができた。普通の精霊のように、その地域に縛られることはない。
だから、逆にこの地域で知らぬものはない、と言う子どもの情報を知らなかったのだ。
彼女はこの土地の精霊ではないために。
そして、この土地の精霊と情報をもらうのにも、わざわざそちらまで出向き、願う必要がない。彼女の方が、はるかに高位なためだ。
精霊間の情報伝達は、ものの一秒たらずで終わる。
『キール、キール・スティン。史上はじめて精神治療者の能力と、瘴気浄化能力者の能力とを兼ね備えたために、自由を謳歌している唯一の存在……』
自分よりはるかに大きい体の死体たちを一つ所に集める作業をしていた子供は手をやすめずに言う。
「そうだよ」
『そして、これは人間には知られていないことですが……、殺戮をくりかえしている』
「そうだよ」
『けれど、その殺戮の理由は正当防衛であるため、また人の世界に関わりあうのは原則としてしないために、精霊はそれを人間に伝えていない』
「そう」
『13名もの人間を、よく貴方一人で殺せましたね』
「別に。慣れだよ。殺人も含めて何でも、繰り返せば手際がよくなる」
―――嘘ではない。
精霊は嘘がつけないが、そのかわり、彼女ほど高次のものは、嘘を敏感に見抜く。
『これまでに、何人殺しました?』
「憶えてないよ」
……嘘ではない。
『初めて人を殺したのは、いつです?』
「憶えてない」
……嘘では、ない―――……!
この子供は、本当に、「憶えていない」のだ。
自分が初めて人を殺したのがいつなのか。
初めての体験すら、まぎれ、時間の波にさらわれ色褪せ風化してしまうほどに、この子供にとって殺人は日常であるのだ。
彼女の心に、何か名状しがたい震えが走り抜けた。
それを人間の言葉で形容するのならば、戦慄、が最も近いものだろう。
先ほどから、彼女はこの子供に対して、珍しい……人の世の歴史よりも長く生きてきた彼女にとって、抱く事がごくまれな、珍しい感情を抱いていた。
興味、である。
子供は振り返る。
「精霊の貴人。あなたはさっきから質問してばかりだけど……、あなたは死の精霊?」
『先ほどもそう言いましたね。なぜ私がそれだと思いました?』
「死の場に現れたから。それに、貴方はおれのことを知らなかった。この辺で、おれの事を知らない奴なんて、ほんとにいないんだ。だから問われて、思わずわらっちゃった。新鮮なもんだね、人からあなたは誰かと質問されるのって。……そして、それはつまり、貴方は、この地域の精霊ではないってことだ。
そしてどこへでも行けるほどの力ある精霊が、わざわざこの建物の中に、現れたのは、なぜ? ここには死が満ちている。それに引きよせられたからとしか、思えない」
それは大人の……、明晰な大人の言葉だった。
幼児といった方がいいような、七歳児の喋る言葉ではない。
しかし、彼女は別のことを言った。
『……ああ。ここは建物のなかなのですか』
子供は肩をすくめる。
―――血で黒光りする石の床。
窓から差し込む射光。
どうしてこれで、とでも思っているのだろう。
しかし彼女は気づかなかった。
やってきて最初に子供が彼女を「見えている」ことに驚き、その幼さに驚き、そしてその言動に、興味を持った。
その子供にあまりにも強く、興味をひきつけられてしまったので、子供がいまどこにいるのかになど、注意が行かなかったのだ。
「ここは、おれを誘拐監禁しようとした奴らの巣。ま、全員死亡でも、自業自得だよな」
『人を殺すのが楽しいのですか?』
「そこまで悪趣味じゃないってば。というか、たかが殺人に快感だの酩酊感だの抱ける人間の気がしれない。人間を殺す作業なんて、獣とほとんど変わらないのに。肉を貫く感触も、急所を狙わないといつまでも動くところも、きちんと止めを刺しておかないといつ最期の力を振り絞って何をするのかわからないところまで同じなのに」
彼女は思い出す。
彼が、ちょっと待って、と断りをいれ、冷静に一人一人止めを刺していったときのことを。
『人間も獣も、殺す感触はおなじ……ですか』
「両方とも、ただの作業。違うのは……ばれた場合、身の破滅ってことぐらいかな。
だから楽しむもくそもない。手早さと確実さが重要なところまで、流れ作業に似てるよ」
面白い。
彼女は改めて興味を抱いた。
人から眉をひそめられる類の己の行動をいささかも隠さないのは、彼女が嘘を見抜くことを知っているからだとしても、その内容は面白かった。
倫理観がないわけではない。
殺人に快感を感じているわけでもない。
ただ、「面倒だがしなければならない」作業として、こなしているのだ、この子どもは。
そして、殺人に、何の重みも感じていない。
「たかが殺人」なのだ。
『あなたは、人を殺すとき、何を考えています?』
「なにを? ……彼らね」
と、子どもは死体を足でつつく。
「殺さないで。そう言うんだ。おねがいしますなんでもしますどんなことでもあなたのいうことは何でもしますからどうか命だけは助けてください。殺さないで!……って」
子どもが彼女の方を振り返った。
「おれにはわかるんだよ。彼らが本当に心底恐怖を感じていて、なりふり構わずにおれみたいな子どもに土下座してでも何をしてでも逃れたい、そのためらなら何でもする。それほどまでに、死にたくないって思っているのが、わかるんだ」
『……自然なことだと思いますが』
「そうだね。おれみたいなのの方が、ずっと珍しいのは、知ってるよ。でもさあ。おれがわからないのは、それほどまでに死にたくないのなら、どうしてこんなことをするんだろうって、事なんだよ」
子どもは、首をかしげる。
「なんでだろ? 死にたくない、自分は何が何でも死にたくないって思ってる。なのに、どうして、他人に対しては平気で傷つけたりできるんだろう」
『別に、珍しいことではないでしょう』
「そうだね、珍しい人間なんかじゃないよ。掃いて捨てるほどいる。おれもいつもは無視してる。でも、今回は無視しなかったのは、家族に危害を加えようとしたから」
『……家族』
極めて高次の精霊である彼女には、家族はいない。
そもそも精霊は概念が結晶し、意識をも帯びるにいたった生命である。
「家族をネタに、おれを脅迫した人間は、死ぬ覚悟ができたと解釈してる」
『大切なんですね』
「……」
こどもは答えなかった。
作業をまた再開させ、二十を数えるほどの間をあけて、こう言った。
「―――大切だけど、大切じゃないよ」
§ § §
子供は一ヶ所に集めた死体(といっても13人もの死体を一つに積み重ねて山にすることはできなかったので、三つの山ができているが)に目を向けた。
子供の指が空中にすべる。
彼女はもちろんそれを知っている。
レイオスに住む誰もが持つ心の力――魔力の網目が、精霊の彼女にははっきりと見えた。
早い。
そして……非の打ち所がない。
一瞬でここまで編む。一瞬で、こうまでのものを編む。
本当に、これは、子供なのか?
彼女が見つめるなかで、死体は、服も剣も髪も爪も―――すべてが細かな砂塵になった。
そして子供は、まるで海岸の砂遊びの芸術作品のように、死体の輪郭を保っている砂の像を、足で踏み散らした。
もはや、そこにあるのはただの砂にしか、見えなかった。
『……お見事です』
完璧な後始末だ。
たとえ親兄弟でも、この砂が自分の大切な者だとはわかるまい。
室内にこんなに大量の砂があることに首をかしげはするだろうが、それを死体と関連づけるには、発想の大胆な跳躍が必要だった。
「ところで、おれの質問にまだ答えてもらってないんだけど。あなたは、死の精霊?」
『そうです』
「ふーん……、なに? こいつらの魂を転生させたりとか、するの?」
『その質問に答えるには、あなたが私に偽りをのべた理由について、語らなければいけません。あなたはどうして自分の名前がキール・スティンだと言ったのですか?』
「へ? おれはキールだけど……」
『でも、本名ではない。あなたの名前は、もっとずっとながい……』
「ああ……、あの、ごてごてとくっついた名前ね」
子供は肩をすくめる。
「必要ない、と思ったんだ。おれの名前で大切なのは、母からもらってナギがつけてくれた、その部分だけだもの。あんな、ただ単に能力があるからってもらった名前なんて、どうでもいい」
キール・シミス・タンジナー・スティン。
この世でただ一人、シミスとタンジナーの称号をあわせもつ名前。それを聞いたら、誰でも敬意を示すだろう。
けれど目の前の少年は、どうでもいい、と言い放った。
……嘘ではない。それが彼女にはわかる。
キール・スティンのみが大事で、真ん中の称号は膾に叩いても叩き売ってもまるで頓着しないほど、些少のものだ、と。
自分にとって、大事なのは、家族からもらった名前だけなのだ、と、この七歳児は堂々と言い放っていた。
彼女は久しぶりの感情をいくつも味わっていた。
興味。そしてこの子供はその興味を裏切らなかった。
何百年ぶりか、彼女は愉快だった。
『あなたは、何故、私を見る事ができるのですか?』
「精霊を見る能力だけは、出生時の才能検査ではっきりとしない……」
子どもは彼女の問いに答えず、的外れの言葉を返す。
「それは何故か。精霊が見える人間は、皆、善良だ。……そういうことなんだろう?
精霊を見る能力は、先天性だと思われているけれど、ちがう。後天性なんだ。もっとはっきり言うと、精霊が取捨選択してえらんだ人物だけが、見る事ができるんだ。
……ちがう? 美しい人の姿をまとう精霊」
彼女は人の姿をしている。
人の姿をしているほどの、彼女は高位の精霊だ。
言葉の持つ力。人はそれについて非常に鈍感だが、精霊は非常に敏感だった。
嘘偽りを唇にのせた瞬間に、引き裂かれてしまうほどに。
そして、人の言語を解し、その言語を用いるほどに高次の精霊は、それに引きずられてしまう。つまり、人の姿となるのだ。
『明晰ですね』
彼女はそういう言葉で、子どもの言葉を肯定した。
「言っておくけど、おれも知らないからね。どうしておれが見ることができるのか、なんて。気がついたら、見えてた」
笑っても、笑わない。
人を殺した直後であっても、動揺の気配すら起こらない。
それを他者に見られても、こうして悠然と話ができる。
どういう子どもだろう、これは。
先ほど笑ったときですら、「本当はわらっていなかった」。
彼女は嘘に敏感だ。
あれは嘘だった。
彼女はその子をまっすぐ見つめた。
『あなたにとって、死とはなんです?』
「おれにとっては単なる通過儀礼。他のひとにとっては全ての終わり」
精霊である彼女にも、思考と性格がある以上、喜怒哀楽がある。
彼女はわらった。
止めてもなだめても止めようがないほどに、痛快な気持ちがこみあげてきたのは、永い時間を刻む彼女にとって、初めての事だった。
子どもは彼女の興味をひくために、通過儀礼という言葉を使ったのではない。
本心から彼は「死」をその程度に思い、考え、扱っている。
『まったく子供らしくない子供……。ひさしぶりに、楽しい思いをさせてもらいました。
私は精霊第二位の位にある者。死の女王』
―――子供は驚かなかった。少なくとも、目に見える様子で驚いたりはしなかった。
示した反応は、眉をひそめただけ。
それがまた気に入って、彼女は笑いながら告げた。
『私を楽しませてくれたお礼に、あなたの望むものを一つ、聞いてあげましょう。あなたは一体、何が欲しいのですか?』
子どもはしばらくの間、ためらった。
短いが深刻な葛藤のあと、長い息を小さな体全部を使って吐き出して、子どもは言った。
「……貴方は死の精霊だ。だから、おれの欲しいものを与えられるかもしれない。
だから、言うよ」
2002 1/11 up