胡桃の森のものがたり 五
―――碁をはじめられたのは、いつ頃ですか?
―――二歳のときです。
―――二歳! それは早いですねぇ。やはりお父さんの影響ですか?
―――はい。
―――さて、塔矢アキラ先生はすでに名人戦のリーグに進出し、勝率一位で挑戦者の有力候補ですが、なんとまだ高校三年生の18歳! また塔矢先生と一緒に勝率一位になっている進藤ヒカル先生も18歳ということで、どちらが勝っても史上最年少での挑戦者となります。対局にあたってのなにか気負いや意気込みなど、おありでしたら教えてください。
―――気負いはあんまりないですね。良くも悪くもよく知っている相手ですから(笑)。意気込みは……それなりにあります。ですが彼と打つのは楽しいので、勝ち負けより、いい碁を打ちたいと思っています。
―――そういえば、進藤先生と塔矢アキラ先生とはご友人だとか。やっぱり話していて同じ棋界の同い年の人間だということで、話があいますか?
―――いいえ、ちっとも(笑)。彼とボクの好みというか趣味というか、全部反対方向へベクトルが向かっていて、僕が興味のあることは彼の興味と合わないし、その逆もまたしかりって感じです。ほんと、ここまでまあ違う人間が一緒の職業やっているとは、って驚きます。必然的に、するのは囲碁の話ばっかりです。これだけはさすがに共通の趣味ですから(笑)。ずぼらに見えて、進藤棋士は物凄く研究熱心で、先週の誰々の対局の右辺の攻めが、と言うと、すぐさまあああれか、と話を合わせてきます。
―――進藤先生とはどんなところへ行かれますか?
―――二人でですか? ほとんど棋院と、囲碁の碁会所ですね。これが映画見ようなんて言ったら大変ですよ。好みがまったく違いますから。ほとんど囲碁だけのつながりです(笑)。
―――塔矢アキラ先生も、進藤先生も、よく対局でぶつかるときが多いですが、何かそういうとき、付き合いに支障がありますか?
―――そうですね……、対局の二日前ぐらいは、さすがにぴりぴりしてます。ですが基本的に、終わったあとはケロリとしてますね。ボクも彼も、感想戦を念入りにやるタイプなんで。
―――進藤先生に何かひとこと。
―――ひとこと……ですか? うーん、言いたいことが多すぎてとても一言ではおさまりません、というのがひとことです(笑)。
―――それではちょっとわき道にそれるのですが、塔矢アキラ先生に恋焦がれている全国の数千のご婦人がたのために。ずばり、付き合いをしている女性はいらっしゃいますか?
―――ははは。現在はいません。でも、好きな人はいます。
―――うおっ、これは驚き!(ショック! がーん) と、いうことは片思いですか?
―――はい。ずいぶん長い間、片思いをしています。
―――(なんていう果報者の女性だろう……)差し支えなければ、どういう方かをお教えいただきたいのですが……。
―――とても優しい人です。でも優しいだけじゃなく、強い人でもあります。対局で負けたときとか、学校で嫌なことがあったりしたとき、いつも明るい笑顔で挨拶をしてくれる彼女の顔を見るとすうっと気分が楽になります。彼女だってつらいときはあるでしょうに、いつも笑顔でいてくれるんです。そういうところが強いな、と思います。一方通行の片思いですけど。
―――(あてられてしまった……)。で、では囲碁を打つ上で、何か踏まえている点などはおありですか?
―――形勢判断は、あんまりしません。しないようにしています。棋士も人間ですから、こっちが優勢だって思うと、どうしても打つ手に緩みがでちゃうんです。
―――それではどうも、ありがとうございました!
囲碁界普及の一環として、若手のルックスもよく実力もある棋士をクローズアップして囲碁ファンを作りだそう、という趣旨のキャラクター作戦の第一弾として、塔矢アキラが取り上げられた。
私は定期購読している月刊碁ワールドの特集記事であるそのインタビューを読んで、その日一日、赤くなるやらのたうちまわるやらだった。
お客さんの中にも「これ、いっちゃんのことじゃないかー?」なんて笑って聞いてくる人が三人。そのたびに笑って誤魔化したけど、……あーあ。
アキラくんが私のこと真剣に想ってくれてるのは知ってるわよ。
いつからかは知らないけれど。
いつからかは知らないうちに、私がアキラくんのことを好きになっていたみたいに。
このインタビュー記事は、アキラくんがアメリカ行く前のインタビューだ。
アキラくんに会ったら言わなきゃいけないことがあるのに、あの告白から三日たった今もまだアキラくんは来ない。
アキラくん、早くこないかな。
私がやきもきしている一方で、別のお客はきた。
カウンターに月刊碁ワールドを叩きつけて、
「アキラくんのこの女! あんたなら知ってるでしょ、誰?」
という女の子たちが。
私は目をすがめる。
―――こういう言い方をする子は、好きじゃない。断じて断じて、好きになんてなれない。
私は腕組みした厳しい顔で言った。
「―――あなた、いくつなの? 年は」
制服姿の少女。アキラくんの学校の制服だから、高校生だろう。
「あんた、何様? そんなこと今関係あるっての? 聞いてることに答えなよ。ばっかじゃない!?」
「人にものを頼むときの言葉づかいをまず勉強してから、出直してきなさい」
「あんた、いったい何の権利があって……」
「出ていきなさい」
凄みをこめて高圧的にもう一度言うと、散々汚い言葉をこぼしながらも、彼女たちは出て行った。
私を援護しようと集まってくれた碁会所のおじさんたちの影響もあったんだろうけど。
広瀬さんが、女の子たちがカウンターに置き忘れた月刊碁を手に取り、ため息まじりに言った。
「若先生も、罪作りだねぇ……。いっちゃんもたいへんだ」
「あら。私は大変じゃないわよ。それよりアキラくんの方がずっと心配。今ごろ盛大に泣きつかれてるんじゃないかしら。いろんな子たちに」
私の予言は当たっていて、アキラくんはその日、疲れきった面立ちでやってきた。
「いらっしゃい。おつかれさま。お待ちしておりました」
私はアキラくんの前に、お茶を出した。
「市河さん……? 待ってたって……」
「アキラくん。今週の金曜日は、ひま? 碁会所の定休日の」
一瞬の空白。
その後にアキラくんの端正な顔に広がっていった表情は、彼が想いを抑えつづけてきた年月を私に教え、胸が痛くなった。
「開けます! 何があっても!」
「じゃ、映画、見にいこっか」
「あ……それって……つまり」
私は苦笑して雑誌をとりあげる。
「アキラくん。一つ言っておくとね。全国誌でノロケないでほしいなあ。たいへんだったんだから。この女誰!? って」
「すみません……。反省してます」
「アキラくんの方も、大変だったんじゃない?」
「……はい、実は」
「私、アキラくんより八つも年上だけど、ほんとにいいのね?」
念押しすると、アキラくんははっきり頷いてくれた。小声で、「市河さんがいいんです……」と言ってくれる。
私はにっこり笑う。
「私も、アキラくんのこと好きよ。じゃ、今度、デートしよ」
2002 4/14 up