成人式〜萌黄色の囲碁小町〜

 

 

 

花の色はうつりにけりな いたずらに
わが身世にふる ながめせしまに




 一月十五日。

 この日は全国的に、呉服産業の一大稼ぎどきだ。
 美容院も着つけ屋さんも呉服屋さんも大忙し。
 成人式の会場へとつながる道筋には色鮮やかな着物があふれ、繚乱の花咲き誇る眺めと化す。
 この日が生まれてはじめて着物を着る日だという子も多いだろう。
 そんな女の子にとって着物を着れる一大イベント日に、ヒカルも無縁ではなかった。


「やっぱりヒカルさんには、華やかで明るい色の着物が似合うわね。萌黄に桃色、この桜色もよく似合うわ」
 ヒカルは塔矢家で着つけを受けながら、うきうきしている将来の義母に、げっそりやつれた笑顔をむけた。

 進藤ヒカル、二十歳。
 プロ棋士八段、三年前、女性初のリーグ入りを果たし、以後リーグ経験五回、女性初のタイトル挑戦者にして女性初の公式タイトルホルダー。
 現在十段タイトル保持者。女流三冠を独占し、女流賞過去三回受賞。
 誰もが認める女流棋士の第一人者にして、塔矢アキラ名人の婚約者は、現在窒息死の危機に見舞われていた(笑。いや、笑い事ではない)。

(く……くるしい……)

 着物がこんなに苦しいものだったとわ。
 裾分け、足袋、はだじゅばん。
 それらを着たときにはまだよかった。どれも薄手の綿の仕立てで、「これが着物の下着なのよ」といわれたときも、素直に頷けた。「下着だから、私のは使えないわね、おばさんヒカルさんのために買ってきたのよ。サイズ、あうかしら」と、下ろしたてのものを目の前でビニール袋を破って差し出されたら尚更だ。

 「ブラジャーはとってね。つけててもいいけど……苦しくなるわよ。それに綺麗じゃないし」という言葉にもヒカルは頷いた。着物に無知なヒカルはそんなものかと思ったのだ。
 囲碁のタイトル戦で和服がすたれて久しいし(理由は袖である。将棋とちがって碁は盤面が広い。打つときに袖がジャマになるのだ)、ヒカルもタイトル戦は、女性用カジュアルスーツでこなした。(ちなみに、女性用スーツが公式七大タイトル戦に現れたのは、それが史上、初めてのことである)。
 アキラとの初詣も着物ではなく普通のボーイッシュな私服だった、ということで、ヒカルは正真正銘、これが初めての着物の着付けだった。

 「ブラジャーとってね」の意味はそのあと、すぐに思い知ることとなった。
 胸に巻かれるさらし! それを固定する紐! 更にお腹やら背中やらになにやら布だの脱脂綿だのが置かれ、その上を更に昆布巻きのようにぐるぐるときつーく帯状の紐で締められたのだ。

 ―――時代劇やドラマで、着物姿の女の人が「あーれー」とか言う場面で、体の中から脱脂綿やらタオルやらがぼろぼろ出て来ないのは絶対サギだ、陰謀だ、脚本家のご都合主義だ。
 ヒカルはそんなことを確信してしまう。
 着物なんて着物なんて着物なんて、詰め物だらけだっ!

「着物はねー、できるだけ直線的な体型がいいのよ。でも、女の子はでこぼこしてるでしょ。胸とかお尻だとか。だからいろいろタオルとか巻いて、段差を無くすの」
 何重にもきつく絞められた胸紐と腰紐でヒカルはもういつもどおりの呼吸ができない。
 はあはあぜいぜいと浅く回数多く呼吸を繰り返し、なんとか窒息死の危険を回避していた。

 明子夫人はそんなヒカルをわき目に、自分のかつての着物をいろいろ並べては「どれが似合うかしら」と悩んでいる。
 ヒカルは失神寸前だった。


      § § §  


 別室でとっくに和服の着付けを自力で(ここらへんがヒカルとは違うところだ)こなし、支度に時間のかかる恋人を待っていたアキラは、出てきたヒカルの姿に待たされた不満も何も吹っ飛んでしまった。

 衣擦れの音とともに、最初に目に飛び込んできたのは周囲からくっきり浮き出る色鮮やかな黄色。長くたなびく振袖のそでとすそ。
 黄色とは、なんて黒と美しく映えるのだろう。
 あでやかな和服。快活で躍動ないつもの足取りとはちがう、しずしずとした歩き方。
 いつもの活動的でボーイッシュな服装ばかりを好んで着用しているヒカルとほとほとちがう、しとやかで女性らしいヒカルがそこにいた。

 一月なので着ている着物は袷(あわせ)。裏地つきの、冬場の着物だ。
 黄色地に菊・梅・もみじ・桜・萩などの四季花が描かれ、袖や裾の方は雲取りで黄色が黒に移り変わる。境目には絢爛な花々が刺繍で縫い取られ、見るからに高そうだった。
 帯の種類は代表的な袋帯(色は臙脂に近い赤)、帯の結び方は「ふくら雀」、帯揚げは濃緑色、帯締めの紐は明るい赤、帯締めの紐についている帯留めは琥珀の細工、と、文句のつけようもない一式フルセットだった。
 ヒカルの頭はショートカットなので丁寧にとかされ、花飾りをいくつかつけている。

 反物に刺繍された花はまるで本物のようにヒカルを引き立て、不安げにかぼそくこちらを見つめるヒカルの表情もあわさって、アキラは今すぐ恋人をさらってホテルに連れ込みたい衝動にかられた(オイ)。

「ヒカル……すごく綺麗だよ」

 ヒカルは弱々しい笑顔でそれに応える。
 アキラの言葉はもちろん嬉しい。嬉しいし、この苦しみが報われた! とも思ったのだけれど……。

 明子夫人はヒカルの肩に手をおいて、出来栄えを息子に自慢する。
「うふふ。ヒカルさんはやっぱり黄色が似合うわね。綺麗な桜色の紬もあったのだけど。どう? アキラさん」
「うん、似合ってる。……すごく」
 最後のひとことにお世辞じゃない真実を感じ取ってヒカルは多少気分が楽になったが、とにかくきつい。胸が苦しい。胃も苦しい。胃の真上でしっかり絞められた。
「それじゃ、私はこれで失礼するわね。ヒカルさん、アキラをよろしく」

 明子夫人が退出すると、ヒカルはアキラに泣きついた。
「とーやー。疲れたよーっ」
 着付けになんと、一時間半もかかったのだ。
 泣きつく可愛い恋人の頭をよしよしと撫で、アキラは「転びそう」と顔をゆがめる恋人の手をとって広い屋敷内を先導する。
 玄関先でアキラはヒカルの前に小さな草履をそろえて出した。
「ヒカル。草履はいて。……はける?」

「段差が怖いー」
 綺麗に着付けられたヒカルはまるでパフェのようで、少しバランスをくずせば転びそうだ。
 本人もそれを自覚しているのか、そろそろと膝を折って体からかがめていき、足を草履の上に下ろす。
 つるっ。
「わっ!」
 案の定バランスを崩した相手を、準備していたアキラは危なげなく受け止めた。
 腕の中の重みと着物の帯の固い感触をしばらく味わう。
 目を落とせば、ヒカルの首が目にはいった。着物の衿は拳一つぶんあいている。ヒカルの真っ白いうなじが見えた。
「だいじょうぶ?」
「う、うん……」
 髪を数回なでて目で楽しんでから、アキラはヒカルの、自分よりずっと細い体を解放する。一度完全に足を浮かせる形で、草履の上に下ろした。
 ヒカルは真っ赤になっていた。

「ぞうり、痛くない?」
 そう聞くアキラこそ、羽織つき紋付袴という姿だが、なんといっても和服は女物と男物とでは値段も着心地も、ついでに派手っぷりも目に映る美しさもまるっきり違う。
 和服での女物が絢爛豪華な主演女優ならば、男物は地味な裏方である。

 なによりアキラは日常生活から和服姿の塔矢名人の一人息子として、和服に普段から接していた。草履も平気だ。
「……少し。でも明子さんの使い慣れた草履だから、あんまり痛くない……」
「歩ける?」
「うん」

 表に出ると、緒方が目立つ赤い車で待っていた。
「ほお。これは……見違えたな。アキラくんの和服姿は何度か見ているが、進藤のは初めてだ」
「母が、ヒカルを誘ったんです。着物も貸すし、着付けもしてあげるから、振袖着てみない?って」
「ほお……仲がいいんだな」
 ヒカルは赤くなった。
「母は、娘が欲しかったようですから。僕よりずっと大事にして、ヒカルのことを娘のように扱ってますよ。一生に一度の成人式ですし、ヒカルはもうすぐ振袖着れなくなりますし。母はこれだけは! って譲りませんでした」
「ほおーお……」
 ヒカルは増々赤くなってうつむいた。

 となりのアキラをこづく。
 なんて事言うんだよ。
 アキラは体をかがめて耳元にささやく。
 別にいいだろ、ほんとの事じゃないか。

 ヒカルの返答は「ついうっかり」アキラの足を全体重こめて踏みつけることだった。
 ……草履を履いているときに、コレは、痛い。

 緒方に送られ、成人式の会場につくまで、ヒカルは一言もアキラと話さなかった。





 会場につくと、アキラは最初におりて、ヒカルの手をとって車から降ろした。
 緒方が冷やかす。
「仲がいいことで。レディファーストの精神、かくあるべきかな、かな?」

「ヒカル以外の女性にレディファーストなんてしませんよ、ぼくは。囲碁界では男女平等が特徴でしょう?」
 くすり、とアキラが涼やかに返す。
 間にはさまれた形のヒカルはまたも赤くなったが、悪い気分ではない。

 成人式の会場では同じ二十歳の若者がたくさんいたが、その中のどんな青年よりも塔矢アキラは目をひいた。スーツだらけのなか、珍しい紋付袴というだけではない。きりっとした姿勢の良さと、顔立ちの秀麗さからだ。
 そんなアキラに目をやるきらびやかな着物を着た女の子たちもたくさんいる中で、アキラにこんな扱いをされるのはヒカルだけなのだ。

「あ、いたいた、ヒカル―――っ!」
「あ、あかり」
 手を振って、幼なじみの女の子がヒカルを見つけて近づいてくる。
 藤崎あかり。ヒカルの数少ない女友達だ。彼女は長い髪を頭の上で結って、白地に赤の矢羽柄の着物を着ていた。

 あかりはヒカルの前までくると、感心しきったようにつぶやいた。
「わあ、ヒカル、きれい……」
 今もまだ胸のあたりが苦しいけれど、大分慣れてきた。
 それに、やっぱり綺麗と言われれば嬉しい。これだけ苦しい思いをしているのだから、綺麗でなかったら割にあわない。
「あかりもよく似合ってる」
「塔矢くんも、やっぱり和服なんだ。カッコイイよ。会場の女の子たちの、注目の的だもん。ヒカルもね」
「おれも?」
 見渡すかぎり男性軍からのそんな視線はない……ように見えるのに。

「塔矢くんがニラミきかせてるからね。びびっちゃうよ」
「こら、塔矢。お前の目つきが悪いから誤解されるだろっ」
 軽く上目遣いに睨んでやると、塔矢はしれっと、
「恋人に悪い虫がつかないようにするのは、当然だろう」
 ……まったくこいつはっ。

「でも、ほんと、ヒカルすっごく綺麗だよー。ヒカル、成人式のあと、みんなでどこか行かない?」
「……あかり、元気だなー。おれはだめ……。とっととこの服脱ぎたい」
「ヒカル、振袖着る前、なにか食べた?」
 ヒカルは首を横にふる。
「なーんも」
 あかりはぱしんっと小気味よく背中の帯を叩いて、
「もう! だからだよ。着物着る前は何か食べておかなきゃ」
「そ、そーなんだ……」
 知らなかった―――。ヒカルはしみじみ後悔した。
 着物をきるから、とわざわざ朝食を抜いてきたのは逆効果だったということか。

「しっかりした着付けのところだと、何時間ももつかわりにしっかり絞められるから。下手くそな人だと、一時間ぐらいで緩んでくるかわりに絞めは楽だよ。ヒカルはどう?」
「わかんない……。明子さん……塔矢のお母さんにやってもらったんだけど、これが初めてだから下手なのか上手なのか……」
「でもそんなに苦しいってことはしっかり絞められたってことだから、きっと上手だと思うよ」

 あかりと雑談をしている間、ちょっと斜め上を見れば、塔矢が右端の唇をちょっとゆがめた優しい表情でヒカルを見ていた。
 塔矢はこう見えても独占欲が強くて、ヒカルがちょっと院生時代からの仲間の和谷と話しているだけでも不機嫌になるのだけれど、あかりはそんな塔矢が珍しく認めて、気に入っている女の子だった。
 さすがの塔矢も、女の子のあかりには嫉妬は起きないってこともあるんだろうけど。
 そして、時々は口をはさんでくれる。

 大好きな三人で、他愛のないおしゃべりをする時間。
 こういう時間が、とても好きだ。

      § § §  

 退屈な成人式が終わると、ヒカルはもう苦しいやらお腹がすいたやらでふらふらだった。

「とーやー。お腹すいたー……」
 すいたー。
 塔矢は空腹を訴えるヒカルのコテコテのカチカチに着付けられた振袖姿をながめ、
「だいじょうぶ? ごはん、食べられる?」
 と優しく聞いてくれる。
 塔矢は基本的に、ヒカルにべた惚れしているせいで、とても優しい。この基本的、というのが曲者で、ヒカルが別の男と親しげにしてると、アキラは豹変するのだ。

 以前、和谷と二人きりで囲碁談義に花をさかせ、そのあまりの楽しさに塔矢との約束をころりと忘れてしまった時は最悪だった。
 約束の場所に来ないヒカルを長い間待っていたアキラの不安と心配は棋院で和谷と楽しげに碁盤を囲んで語り合うヒカルを見るなり同質量の怒りに変わり、常日頃の落ち着き払った塔矢アキラの印象とはまるでちがった乱暴さに和谷があっけにとられて見守る前でヒカルは強引に腕をつかまれ連れ出された。そのまま最寄りのホテルに連れ込まれ、ヒカルが泣いて謝るまで何度も責め立てられたのだ。

 ヒカルは少しのあいだ回想にひたっていたが、繰り返し尋ねてきたアキラの声で現実にもどった。
「ごはん、食べられる?」

 最初の予定では成人式のあと、塔矢のおごりで高級ホテルのレストランで料理を一緒にする予定だった。そう、和服がこんなにきつくて苦しいと知らなかった頃は、そんな夢のような予定もたてられたのだ。

 明子さんに「ヒカルさん、着物着てみない?」と誘われたときは、ヒカルも口では気のない素振りを見せていたものの、内心嬉しかった。やっぱりヒカルもおてんばとはいえ女の子で、綺麗な格好をしたいという気持ちも、アキラに見てもらいたいという気持ちもあった。

「ごはん……は、食べられそうにない……。おなか空いてるけど、気持ちわるい……」
 塔矢は目をほそめ、優しげにほほえむ。
「じゃ、ホテル行って、脱ごうか」

 ヒカルはぎくりとしたが、塔矢の笑顔をおそるおそる見上げても、その笑みは動かない。
 やがてヒカルはあきらめて、アキラの差し出す腕につかまった。

      § § §  

 昼日中のこんな時刻から、こんな目立つ格好の男女二人がダブルの部屋を一つ、だなんて、ホテルの人には何をしようとしているのかバレバレだろう。

 そして塔矢アキラはそういう下世話な視線を意にも介さずにいることのできる少数派の人間だった。
 多数派の気弱な方に自分は入っている、と確信しているヒカルはひたすら下をむいて視線を避けているばかりだというのに。
 こういうところが、こいつに敵わない理由なのかなぁ、などとヒカルは考えたりもするのだが、それはちがう。断じてちがう。それはただ単に、塔矢アキラが恥と考えないだけである。

 アキラは予約しておいた部屋のキーを受け取ると、手馴れた様子でヒカルの肩に手をまわして歩き出す。
 こういうところは、塔矢アキラの女性への慣れをうかがわせた。

 アキラはヒカルの前に、誰かと付き合っている。
 別にそれが気に食わないわけじゃない……と、思う。
 アキラが現在ヒカルにぞっこん惚れこんでいるのは誰の目から見てもハッキリしてるし、時々その独占欲がうっとうしくなるけれど、かといって独占されるのが嫌かというとそうでもないし、お互いの両親にも公認だ。

 部屋にはいると、真っ先にどん! とベッドが視界に入ってきて、ヒカルはどっひゃーっとなってしまった。
 背後ではアキラが扉を閉める音がする。
 ……進退きわまった。

「……ヒカル、腕あげて」
 びくりとして振り返ると、そこにあるのはいつもの柔和な微笑みだった。
「そんなに緊張しないで。帯、きついんだろう? 取ってあげるから」
 ……いつもの塔矢だった。
 怖がって緊張していた自分がなんだか自意識過剰に思えて、ヒカルは反省した。

「あ、うん……」
 両腕をあげると、アキラの気配を背中越しに感じて、ヒカルは体を固くした。
 息をすうと、アキラの匂いが胸郭に入り込んできて、ヒカルを満たす。
 アキラの匂い。アキラの温度が、すぐそこにあった。

 アキラは慣れた手つきで着物を解いていく。だれか……母の明子夫人の手伝いでもした事があるのだろう。
 しゅっという衣擦れの音ともに、色鮮やかな正絹の絹地がヒカルの足元に積みあがっていく。それにはタオルや脱脂綿ももれなくついてきたが、そんなものだと判っているアキラの手さばきには戸惑いもなかった。

 アキラが帯の下の、胸と腰に巻いていた布を取ってくれると、ヒカルはやっと息ができるようになった。
「つっかれたー……」
「でも、綺麗だったよ。すごく、綺麗だった」
 うなじに手をさしこまれて髪をかきあげる仕草で顔をあげさせられ、重なってきた唇に目を閉じる。
 体をしめる胸紐とか腰紐は、長じゅばんの上に巻きつけられる。だからヒカルは現在、ガウンのような形の、上からすとんと羽織る裾の長い薄物と下着しかまとっていないわけで……。
「と、とうや、その……」

「好きだよ、ヒカル」
 ……口にしようとした抵抗の言葉は、その一言で粉砕されてしまった。
 
 うーっ、と負かされた悔しさのにじむ無言の表情でアキラを見上げると、アキラは破顔した。
 不意に、すくいあげられる感覚がして、アキラの顔が自分よりも低い位置になる。アキラがヒカルの足をさらって抱き上げたのだ。バランスの悪さにヒカルは腕をまわしてかじりついた。
 二人して倒れこんだ場所は、ダブルのベッド。
 成人式の日。昼間から、振袖姿の女の子と、紋付袴の青年が二人してダブルの部屋をとれば、何をするのかホテルの人には一目瞭然だっただろう。

「ひきょーもの……」
「そう? 僕は、ボクの正直な気持ちを言ってるだけだよ」
 再度言い負かされて、ヒカルは口を結ぶ。

「ヒカル……」
 ベッドの上、そんなヒカルの顔の隣にアキラは手をついて、もう一方の手でヒカルの前髪をせわしなくかきあげながらキスをした。
 唇といわず、額にも鼻梁にも頬にも瞼の上にも。

 倒れたはずみで乱れたじゅばんの合わせ目から白い素肌が見えていて、アキラはその素肌に触れてきた。鎖骨から、乳房の分かれ目を一直線に指でなぞられる。
「と、とうや、ちょ、ちょっと待った。シャワー! シャワーあびた……」
「だめだよ。待てないんだ」

 声の合間に衣の分け目からヒカルの素肌を直に手でまさぐると、それだけで体の熱が上昇する。
「ちょ……、汗かいたから! くさいんだってば!」
「ヒカルはくさくなんてないよ。いい匂いがする」
「大体おまえっ! おれにばっかり脱がせて自分は脱いでないだろっ」

 そういえばそうだとアキラはヒカルの上に乗り上げた姿のまま手をとめて羽織の紐を解いて投げ、馬乗袴(股下からスボンになっているもの)を脱ぎ捨てる。
 そうしてヒカルの顔のとなりに肘をおき、深く口づけると、ヒカルもあきらめたように腕をまわしてきた。

 キスの合間に囁き声がかわされる。
「今日、どきどきした? おれのかっこみて」
 アキラは正直にうなずく。
「うん、した。こんなに綺麗な女の子だったのかって思ったよ」
 成人式の直後にホテルに連れ込むぐらいには、アキラはヒカルの艶姿に悩殺されたし、ヒカルが欲しいと思った。

「……キミが着飾ってくれたのは、僕のため?」
 問いかけながら長じゅばんの裾を開いて、白い肌に顔をうずめる。
 赤い痕跡をその上に散らしながら、アキラはヒカルの肌の匂いと感触を楽しんだ。
「そう……だよ、と……やっ……」

「アキラだよ。こうしているときはそう呼ぶっていっただろ」
「アキラ……っ」
「いい子だね―――」
 恋人が、自分のためにより美しく装おうとする姿ほど、男に快いものはない。
 もう何度も枕を交わしているのに、いっかな慣れようとしないヒカルも、ヒカルの純情さを表しているようで、アキラは好きだった。
 うなじから首にかけて、唇でたどり歯で甘噛みする。
 白い太腿の合わせ目に手をさしいれ、下着を剥いだ。
 触れた肌から伝わるヒカルの体温はいつもよりずっと高い。
 アキラの体の熱も、もう限界寸前にまで昂ぶっていた。

 内股を指でなぞりあげられて、ヒカルは肌をあわ立たせ、アキラが入ってくる感触にびくん、と頭をはねあげた。
「アキラ、あきら、あきら……っ!」
 ヒカルは自分を責めさいなむ相手の背中に手をまわし、すがりつく。
 アキラはいつも強引で荒々しく、そして優しい。
 奪われて突き上げられ、身を食まれては同じほどに与えられる。
 髪を何度も梳いていく手は、アキラのもの?
 拒絶か喘ぎ声か嬌声か、自分の喉が何を言っているのかも判らない。

 和服でたたでさえ体力を消耗していたところにこれで、ヒカルはもう意識が朦朧としていた。
 揺すりあげられるたび息が乱れ、鼓動がどんどん早くなる。昇りつめた意識が弾けてアキラの動きがとまり、体内に熱い飛沫が広がっていくのを感じて、ヒカルはほっとした。

 しかしアキラの手が胸に触れる感触にぎょっとする。
 白い乳房をまさぐられ、一方ではまだ身の内にアキラの存在を感じている。
 太く張り詰めていく感覚に、ヒカルは泣きそうになった。
「好きだよ、ヒカル」
「……とーや、おれ、もう……」
 潤んだ拒絶の声は唇でふさがれ、唇が離されたあとはもう喘ぎしか出てこない。
 新品だった下着がしわくちゃになってしまうまで、ヒカルはアキラに愛され、アキラはヒカルの白い裸身を堪能したのだった。




 何度も繰り返し愛され、くたくたになって意識を手放したヒカルは翌朝目覚めるなりアキラの鳩尾に見事な一発をいれ、そして途方にくれることとなった。
 振袖姿のヒカルは、脱ぐことはできても着付けることはできなかったのである。
 ヒカルは結局、アキラに服を買いにいってもらうことでこの問題を解決したが、ヒカルのこの叫びは何人たりとも否定できないだろう。
 顔を真っ赤にしてヒカルは叫んだ。

「この、むっつりすけべ!」

 


 ヒカル、女の子バージョン。書いた理由は散らない花の後書きをお読みください。(別名散らない花のうっぷん晴らし小説ぱーと2。笑)。


 ヒカルが今回えらく災難でしたが、作者が着物でおんなじ目にあった報復ということではありません。
 朝食抜きでふらふらになったのも、着物のときはご飯食べなきゃと言われたのも、お腹すいているのに絞められて苦しくて食べられないとなったのも、予定していた料理店でのお食事がキャンセルになったのも全部杉浦の実際の経験ですが、断じて「この苦しみをキャラにも味あわせてやろう」などという肝っ玉の小さい考えからではありません(笑)。

 和服の女物が、ああも苦しいなんてなあ……。
 それではお楽しみくださったら、幸いです。感想、ご要望などいただければ、私としても嬉しいです。

 追伸。和服の袖が邪魔で、囲碁のタイトル戦で着物がすたれた、というのはホントのことです。塔矢行洋先生が希少価値なんです。


追記。ホントに着物の着付けが上手い人は、時間がたっても崩れずにしかも苦しくないよう着付けてくれるそうです。杉浦の着た着物は半日たってもびくともしませんでしたが、とにかく苦しかった……。

あとがき

2002 4/10 up

 

ヒカルの碁のページに戻る

トップへ