愛情の価値 2

 

 

 親が子供に性的暴行を加えるのは、世の人間が思っているほど珍しいことではない。年に持ち込まれる児童虐待数百万件のうち、一割は性的虐待だ。しかもこれは、氷山の一角でしかない。
 シンは児童虐待の本を、百冊でも読んだ。

 そして親を殺すという反応を示す子供はとても少ない事を知った。
 なぜなら、子供は親を愛しているからだ。むしろ、虐待されていることを隠そうとする傾向にある。シンは愛していない。ついでに人殺しが平気な環境にいる。が、…愛憎相半ばする境地では、ある。

 あの人間のために、シンは人生を、これからの一生を決めた。決めたことに、後悔も何もしていなかった。…それほど大きな感情を、心の大部分を、シンは自分の半分の由来に向けていた。
 シンは拳を目にあてて、目をとじた。

 ―――愛しているよ、シン。
 そう言ったのは、育ての兄。
 他にも山ほどの有象無象が同様の愛の言葉を吐いたが、それは消去。…性分化もしてない子供に欲情する変態が、何が愛だ?
 ……父はそういえば、愛を言った事はない……。
 虐待をする親は、何かを子供に転嫁している場合が多い。父の場合、さしずめ公務のストレスだろうか。
 …理由なんてどうでもいいか。どんな理由があったにせよ、シンは許す気はないし、父も許されたいなどと思っていまい。

 いま現在生き残っている皇族は十指で足りる。
 上から緑の座が一人。青の座がなし。赤の座が一人。橙の座が二人。茶の座がなし。黄の座が一人。紺の座が二人。そして、白の座が一人。更にその下、紫の座が一人いる。

 皇族の競争において、最も重大な要素は経験でも人脈でもない。何番目に生まれたか、である。なぜならどんな天才も、赤子の時には泣くしか能がないからだ。
 よって、遅くに生まれた皇族は赤子の内に、先に生まれた兄弟の手により他界する。
 境界線は、十番目と言われている。皇宮の厳重な警備をかいくぐり、赤子を殺せるぐらいの力を年長の兄弟がつけるのがその頃なのだ。十番目以降に生まれた者が生き残るには、よほどの運と器量がいる。
 もっとも、十番目までに生まれたとしても、その後の競争に生き残るのは、至難の業である。毎回二十人以上いた皇族は、最後にはたった一人にまで減る。それに怖気づいた者は―――紫に落ち、命を買うのだ。

 シンは末子。二十三番目である。その彼がなぜこれまで生き延びたかといえば、一重に兄…橙の座の庇護下にいたからに他ならない。
 ちなみに兄は、第三子である。第一子は現在最も上位の赤の座。二番目の姉は紫へとおちた。
 おそらくシンが最後の皇族だろう。今、新たな皇族が生まれたとしても、シンを含む皇族全員が殺害を計画し、果たすからだ。 それでは意味がない。
 先日シンも一人、黄の座を手にかけていた。
 皇族は毒味なしでは何も口にしない。影の数もあちらが多い。常時警戒している。
 ――が、その警戒をとく時もある。
 閨房の中である。

 シンがこれまで一番何の授業に時間を割いてきたかといえば、社交術の授業だった。
 初めての授業で、シンの勉強を統括する教師は言った。
「白様。あなたはご自分の武器は何だとお考えですか?」
 シンは考えた。自分の武器は何か。知性でも教養でもない。シンと兄との年齢差は優に百歳をこえる。つまり他の兄姉には、百年の長があるのだ。

 どれほどシンが寝る間を惜しんで勉強したところで、一日の時間は同じである。努力には限界はある。努力すれば何でもできると言うのは、まったく愚か者のいうことだ。あいにくシンは、努力して一日の長さをのばすことに成功した偉人の話など聞いたこともない。
 シンの持ち物のなかで、年長の兄姉に通用するものといったら一つだけだった。

 シンは答えた。―――容姿。
「私も同じ意見です。では、今後、白様のその長所をのばし、活用する術を身につけることに重点をおく方針でまいりましょう」
 シンは、相手に誘われている自覚を与えず誘う。誘われている自覚を与えたら、人は当然罠を考えるからだ。そしてシンは性交に関していまさら何の感情も抱いてない。必要だった。それだけだった。
 我を忘れて自分の上で動いている実の兄の首を掻き切るのは、まったく簡単だった。
 ついでに、こうも簡単に罠にはまる相手を軽蔑しきってもいた。顔がなんだ。自分をいったいいくつだと思っているのだ。子供に欲情するような変態は死んだ方がいい。
 育ての兄とはよく一緒の寝台に寝たが、手を出されたことは一度たりともなかった。……兄を見習え! 下衆どもが!

  ああ、とシンは考えた。着実に、自分は人嫌いになっていく。皇族として、あまりいい傾向ではない。
 シンは目をあけた。
 視界は闇のままで、ほどいた包帯を巻きなおす。ふと気づくと、手が震えていた。
「………。なんで、僕ばかり…っ!」
 皇族は泣かない。
 哀、だけでなく、喜怒哀楽の感情がない生き物と、皇宮で働く人々からは思われていた。人形のようにととのった容姿と、ない表情。冷静で沈着な振る舞いから。
 けれど、シンにだって感情はある。兄にもある。ただ、それを滅多なことでは見せないだけだ。皇族は、ごく一握りの大切な人間を定め、その人々にだけ喜怒哀楽を覗かせる。
 …もしくは、一人でいるときに。
 しばらく自分の感情のままに感情を爆発させた後、シンは八つ当りの被害者(まくら)を叩いて整えた。
 ―――自分に、別の道を選ぶ自由がないことを、彼は痛いほどよく知っていた。

『……なんでお前、そんなに強いんだ?』
  殴りあいの喧嘩のときは、暗黙の了解でキールが負わせた怪我はキールが癒すことになっていた。暗黙の了解、の元は父親と弟がキールを叱るから、という情けない理由だが。
 その暗黙の了解に基づき、加害者が癒しを骨折した指にかけている時、シンはそう尋ねた。キールが気軽に使う(主にシンに)治癒は、普通は大人でもなかなか出来ない上級技だった。
『三択。1俺は本当はとても長く生きている。2俺が調停者だから。3シミナーだから。さあどれがいい?』
『…2』
 自分が同じぐらい強ければ。

 その願いは必然の欲求だったが、キールが実は緑の座の落胤だったとかいう荒唐無稽よりも実現の可能性は薄そうだった。
 …あの喧嘩友達ほどに強ければ、シンも別の道を選べただろう。はっきり言って自力で父を暗殺できる。あるいは兄ほどに早く生まれれば、もっと堅実に進めれただろう。
 力もなく、遅くに生まれ、シンはこんなにも心弱い。そして、神が与えたただ一つの武器すら満足に使いこなせぬ者に、生を与えておくほど皇族の身分は軽くない。爪を研げ、牙をみがけ。誰よりも美しくあでやかに、その裏に牙を隠して咲き誇れ。その手を血に染めても動じない心の強さを得よ。
 ―――さもなくば、生きている資格もないのだから!

 そのとき、部屋をノックする音が聞こえた。
「シン? 入るよ」
 兄の声である。
 シンはあわてて飛び起きた。早い。
 反射的に父のいた痕跡がないかと床に顔をむけた時、兄が入ってきた。
「…お早かったですね」

「頑張って早く終わらせた。目は大丈夫か?」
「……まだ、見えません。どうしたのか…」
「医師から報告は聞いた。異常はないと。ま、何かの変調かもしれない。明日になれば、ひょっこり治っていたりしてな」
「ええ。そうなっていてくれれば、…いいんですが……」
 楽観的な予測である。

 兄はシンの頭をぽんと叩いた。
「どんな時でも物事のいい面を見る癖をつけておき。…たまには休めていいだろう。お前も忙しいし」
「……兄上にはいつもご迷惑をおかけして…」
 ぼそぼそ、と呟く。
 シン絡みのゴタゴタ(売買交渉・賃貸交渉)および、その手の輩からシンの身を守るために、兄は影の半分をシンにつけていた。

「馬鹿だな。いいんだよ。私たちは家族だろう? …信頼できる片腕がほしいと、ずっと思っていたんだ。悪いと思うのなら、成長して早く私を助けてくれ」
 と、言う兄のほほ笑みは、生爪十指剥がされた時より痛かった。
 ……なぜ、変えようとする?  いいじゃないか。このまま兄の庇護下でいれば、裏切らずに、すむ。兄を殺さずにすむ。他の奴らからも守ってくれる――代償に、父に踏みにじられつづける事で。
 ―――――それは嫌だ。
 シンは心のなかで謝った。
 その状況を甘受し、諦めてしまえばそれはもう、自分じゃない。自分が自分である部分が、壊れて永遠に失われる。
 だから、受け入れる事はできない。

(すみません、兄上。僕は、僕以外の何者にもなれない。貴方もそうでしょう。だから、貴方も、言ってくださるはずだと信じます)
 嫌なら、逆らえと。
 シンは兄とその他ごく少数の人間にしか向けない笑顔を浮かべた。
 兄も応えて笑顔を浮かべる。

「これを」
 差し出された薬を、シンはためらった。
 なぜなら、皇族間の暗殺で医師による薬殺はよく使われる手段だからである。兄の事は信頼しているが、この薬を兄に渡した薬師まで信頼していない。
「…これは…」
「ああ。効くかどうかはわからないが、毒が入ってない事は確かだ。調合した薬師に半分のませた」

 その辺のことは、彼も当然承知していた。シンは兄を信じきっている。安心し、薬を飲み下す。
 その時は何も効果がなかったが、翌日、起きたシンの目は回復していた。




「…自害する、か」
 その夜。橙の座と呼ばれる彼は、窓際で酒瓶を傾けながらほろ苦い笑みを浮かべた。
 極上の酒だが、最初の一杯は毒味役が受けるのもいつもの事だ。
 異常が無かったので毒味を下がらせ、彼は一人で飲んでいた。
 緑の座の訪問も、その後の会話も、彼は知っていた。

 彼の棟で、彼に見聞きされる事なく何かが出来ると思っている点、弟はまだまだ未熟である。
 シンに視覚を喪失させる薬を盛ったのは、彼だった。彼の庇護下にある弟に、何をするのも容易いことだ。
 彼は皇族。それも弟という弱点を抱えながら十年以上生き続けているほど、有力な皇族である。
 生憎、薬を盛ったことを気づかれるほど彼は間抜けではないので、幸いなことにシンはこの事件の真相を一生知らずに単なる体の不調と判断した。兄が、自分に危害を加えるなどシンの中ではありえない事だったので。

 橙の座は、シンの本心にはとうに気づいていた。…シンは気づかれている事にまるで気づいてない点で、彼の方が役者が上であると言うべきだろう。
 皇族でありながら百年生き延びたという事実は、まったく過小評価できないのだ。

 自分の片腕にならないのなら、状況を「ならざるを得ない」ようにしてやろう。目が見えなければ、緑の座への道は自動的に閉ざされる。そう考えたのだが、弟の苛烈な気性を甘く見ていた。

 そしてまた、その言葉が嘘ではないという事も、弟を育てた彼には分かってしまった。
 そしてそこでシンを自害させる事ができないほど、彼は弟を愛していた。
 だから解毒剤を飲ませたのである。

 父がいった謎掛けの意味も、彼には分かっていた。謎掛けが成立する条件のひとつは、「問題が間違っていない」こと。
 逆に言えば、謎掛けが成立しない時は、問題を間違えてないかを検討した方が良い。
 そう。―――何も異常がない、何も毒を盛られた様子がない、という問題を。
 皇族は、暗殺防止にそれぞれ個別に医師を抱えている。医師は、シンに仕えているのではない。橙の座に仕えているのだ。
 雇い主である彼の命令に、医師は従った。

 橙の座の気分は重かった。
 弟といずれ必ず敵となる事が、今日決定した。そして、弟を殺す事は、彼にはできない。

 ……いつか、私は、自分で育てた弟に殺されるだろう。
 その予感が、飲む酒をひどく苦いものにしていた。

 

 九ヵ月後、シンは年に一度の位定めの新年の儀において、白から一気に青の衣をまとう。
 そして、同日、兄と決裂。その棟を辞去した。
 十三歳の誕生日を間近に控えた冬のことだった。

 

作者のことば

 シンはにっこり笑って寝台に行き、平然と喉を掻き切るタイプですね。しかしシンより恐いのは兄上か? さすが皇族。
 今回性的虐待についてちょっと書きました。親が子供を犯すのは、世間の人たちが思っているよりずっとよくあります。けっして物語のなかだけの話ではないのです。…悲しいことですが。あ、シンの本名でてないや…。 

 


 この作品の意図は、この次に発表した作品の補助でした。
 つまり、「水の彩(みずのいろ)」のです。

 シン、本名はまだ秘密のキャラクターを完全に立てたい、というのが目的でしたが、ややあっさり風味に仕上がっております。
 なぜ立てたかったというと、まあ、水の彩を見ればわかります。

 シンは、よくある美形キャラ(顔はいいけど冷淡)として当初立てましたが、いろいろいろいろいろいろ生育歴を付け加えた結果、今じゃーすっかり泣きもすれば笑いもする、怒りもするし人を愛することもできる一人前のキャラになりました。

 まだまだ未熟ですが当然です。まだ十二歳なんですから、それで兄上に太刀打ちできようはずもありません。が、彼は強いです。
 キールなんぞより、よっぽど強いです。キールの強さは、うちのめされたことがない(正確には一度だけ)からこその強さですが、彼は何度打ちのめされても、這い上がってくる強さです。

 しかし、その真価を一番よく知っているのは、矛盾と劣等感を抱える本人ではなく、キールであったりするのですが。

 

 

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