愛情の価値
起きたら目が見えなくなっていた。
シンが朝目を醒ますと、辺りはまだ暗かった。もう一度眠ろうかと思ったが、その気になれずに起き上がった。
さすがに材料と細工と広さと値段は特別製だが、何の変哲もない寝台に手をついて起き、枕元にある照明のスイッチに手をのばした。。
「電気」という力が発見されたのはもう随分と古い。二百年は遡るだろう。けれども、電気の使用される用途は非常に限定されていた。その理由を一言でいえば、使い勝手が悪いのである。
最も使用される用途である明かりにしたところで、多少腕のたつ者なら術で代用できる。その明かりにしたところで、高価な機械を買いそろえ、発電機を買い、回線を通さなければ使えない。
人が一人いれば使える術に比べて、様々な意味で使い勝手が劣ることはなはだしかった。
そのため電気を使って動く機械というものは「貴族の道楽」として、非常に高価な値段でごくわずか、作られているにすぎない。
あるいは、皇宮のように、術を廃棄したために電気という非常に高価な手段に頼らざるを得ない場所か。
皇宮ではほとんどの術の使用が制限される。そのため、無論明かりの術も使用できず、その代替手段として照明が設置されているのだ。
術が使えないという不便をおしてでも警備を優先させなければならない場所で、かつ、豊富な財力を持つ。そのような場所でのみ、電気の力でつくられる光は実用品として用いられていた。
皇宮は、その数少ない場所の一つである。
その照明のスイッチを入れたシンは表情をかげらせた。
―――明るくならない。
故障か停電したのかと、仕方ない、蝋燭に火をともす。ともして愕然とした。
人間暗所にいるときは、色など見えない。けれどそれは光によってすぐさま色彩を取り戻す、そういう種類の色盲である。
片手の火を見つめる。じりじりと燃える音と、蝋燭の燃える匂いと、熱がある。
―――なのに、色がない。すべての物が暗色にしずみ、輪郭しかわからない。
シンは息をのみ、左手の蝋燭に手をのばした。火傷する痛みが、そこに炎があることを教える。
―――目が、見えなくなっていた。
動揺を僅かな時間で鎮め、シンは目を閉じてしばらく待ち、開けた。
視界の不明瞭さは、変わらなかった。
再び襲ってきた動揺。
シンは黙考し、最善の道を考えだす。
「影。周囲の者に悟られぬよう兄上に伝えよ。私の目が見えなくなったと」
寝台に入って目をとじ、待つこと少しで医師がきた。
医師は寝台の隣に椅子をもってきて腰掛け、その脇に荷物をおろす。白の座に触れようとして、手を止めた。
「白様失礼を…」
「許す。…影、動くな」
目を閉じた白の座の顔にふれながら、医者はいくつか質問をした。
「……いつからですか?」
「今日の朝、目が覚めたらこうだった」
兄の寝所に潜り込んでいる時でなくて良かったと、シンは考えた。迷惑をかけたくない。
「どのように見えます?」
「とても暗い。大きな物の輪郭はなんとか見える。字はまったく見えない。ちょうど――とても暗い所へ行ったような感じだ」
昼までかけていろいろ検査し、…診断結果は異常なしだった。
「どうしてこのような事になったのか…わかりません。毒を盛られた形跡もございませんし、目の神経、眼球ともに異常ありません。どうしてこれで見えないのか…。見えるはずなのです」
……心因性のものではないか?
原因不明、となると人はまずそれを疑う。
シンは、昨日「心の負担」になるようなことは無かったかと、一人になった部屋であれこれ考えた。
…あっただろうか、そんなもの…。
シンの目には、今、包帯が巻かれている。
暗く、わずかに見える。その、わずかに見える所が問題なのだ。つい目を凝らして見ようとし、目をいたずらに疲労させる。だから包帯が巻かれた。
兄は仕事がびっしりで、夜まで時間が取れない。やらなければならない事は山積みだが、そのどれも目を使わなければできない。例えば授業、例えば密談、例えばナギ家の訪問。
常に忙しかったシンは余暇の使い方が上手ではない。時間をもてあまし、何をしようか考えた。目が使えずにできるもの、というと少ない。
音楽でもやろうかと考えた。
目を閉じていても手が憶えている。暇潰しなのだから多少間違えても、どうという事はない。
皇族の教養として、楽器を一つか二つ。シンは声楽と弦楽器を選んだ。しかし歌うにしても、女官や侍従の印象が悪い。急に具合を悪くし、ふせっている人間が大声で歌を歌うなど。
皇族の行動はその本人だけの事ではない。常に、多くの人間が見ている事を忘れてはならない。
シンは床にあぐらをかいて座り込んだ。
「影。馬弦琴を」
と持ってこさせた琴を足の間に据える。
馬弦琴は、シンが教師に習っている楽器ではない。いわば、趣味。道楽のたぐいだった。
これは草の民の楽器。ナギが時々弾き、シンは自然と興味を抱いた。
とはいえ、皇族の「教養」にするには、野趣がありすぎる。それで、趣味にやっていた。元々弦楽器をやっている身なので、こつもつかんでいるし、専門的に磨き上げられた音感も確かだ。
譜の記憶は、確かだ。別に記憶が間違っていても構いやしない。
一番稚拙な練習曲から始めた。ラストで終わらず即興で付け加える。それを手がかりに別の曲へ。
長い間夢中で弾いて、シンは首を傾げた。
…どうもちがう。
ナギが弾いてくれた、力強くて素朴で…まあ上手いとは言えなかったが力にあふれた音とはどうも違う。
シンは楽器を影にあずけ、立ち上がった。
拍手が聞こえたのはその時だった。
ばっと振り返り、影に攻撃命令を出そうとして、寸前でとまる。声がかけられたのだ。
「それを職業にしても、充分通じるな」
皇族の住居に許可なく立ち入る相手など、刺客に決まっている。反射的に攻撃するところだった。
「この程度の腕で? …いえそれ以前に、私が大衆に姿を見せる職業についたなら、腕など関係なしに客席は大入りになるでしょうよ」
視界のふさがれた少年は、声の発生方向を慎重にさぐって、そちらを向く。
美しいことが普通の皇宮においても、彼の美貌は白眉の美しさで目をひいた。
長い白銀の髪。びっしり生え揃った睫毛の奥の強い意志を宿した瞳が、彼の美貌を強烈に相手に印象づける。生半な美貌ではない。たとえ、雑踏の中ですれ違っただけであっても目を奪われる、美神もかくやという至高の美貌がここにあった。
皇宮内は、転移をはじめ、ほとんどの術の使用が制限される。だから(街でもそうだが)電気で動く機械が重宝されている。 どこから入ってきたのか、という疑問は捨てた。考えるだけ無駄だ。どうせ隠し通路か何かがあるのだろう。
緑の座のみが知る通路か何かが。
「…で、あろうな。それで、お前はそれを侮辱と感じているか?」
「勿論!」
シンは見えない相手を見つめた。
ですが、と唇にのせた。
「その前に、その仮定自体に意味がない。私が紫となる事は決してない。…私は決して、皇籍を抜けないからです。緑様」
この世に生を受けた皇族がたどる道は、三つ。
殺されるか、緑の座になるか、皇族の義務を捨て紫の座になるか。
紫の座は、皇族とは認められない元、皇族である。蔑まれ、軽蔑の目で追われるが、皇族の殺し合いの運命からは逃れられる。
皇族は手に職はたくさんついているので、その道を選び、音楽家や芸術家、学者として生を終えた者も多い。
「…何故だ? お前が皇族の身分に未練があるとは見えないが」
「私に、生きる道はそれしかない為です。 ……兄上は私がいずれ紫となるとお思いでしょうが、紫となったあと、私が私でいられるとは思わない。私でいることを許してくれないだろうからです、貴方がたが」
斬りつけるような口調だった。
「私が皇族として生まれたのはこの世の最後の幸運か? 今ですら、この容姿につられてくる不埒者は掃いて捨てるほどいる。紫となった後で、彼らが私をどう扱うのか、想像はとても容易いことです」
シンはそこで言葉をきり、間をあけた。
―――その筆頭が目の前にいた。
「そして……現在、紫の座は一人いる。自分の身に置き換えてみて、彼女が受けている仕打ちは、私には耐えられないでしょう。私は、侮辱されるのには慣れているが、それに対し報復できぬ立場には、慣れていない」
「……緑の座を目指すか?」
言葉は笑みを含んでいた。…今代の緑の座。兄弟間の殺戮をくぐり抜けた相手。
「ええ」
「…緑の座は、その時代の皇族全てを殺し尽くした者に与えられる。兄を手にかける覚悟はあるか?」
「私は、すでに、兄を一人手にかけている。血のつながっている兄弟だからといって、躊躇う趣味はありません。ですから、この場合は、育ての親をと言うべきでしょう」
緑の座を目指す皇族が二人。そのどちらかは死ななければならない。
「殺せるか?」
重ねて問われ、シンは初めて黙った。
沈黙が広がる。
長い沈黙の果て、シンは口を開いた。
「―――わかりません。ですが、私は私の心を止められない…」
殺せる、と嘘をつくのは簡単だが、見破られるだろう。だから正直にそう答えた。
シンは、はっきりいって他の兄弟などどうでもいい。平気で殺せる。血族に対し、愛情薄いのが皇族の特徴である。けれど、兄だけは、殺せるかどうかという前に、敵対できるのかという事すら判らなかった。
シンは兄を愛していた。兄がどれほどの犠牲を払って育てていてくれるかを知るほどにその思いは深くなった。
自分に余裕があるとき、その余裕をさいて他者を助けるのはたやすい。けれど己に余裕がないとき、そのない身を更に二つに割いて他者に与えるのは、とても難しいものだろう。
それを為さしめる感情を、人は愛というのだ。
「けれど、目が見えなくては緑の座になることは出来まいな。不具者は、けっして緑の座につけない…。その目、まこと見えぬのか? 一生見えなんだら、そなたはどうする? 諦め、紫におりるか?」
試されていると感じた。
そして、シンにとってその問いは何度も何度も己に繰り返したものだった。
とっくに、答えは出ている。
「―――自害します」
シン自身気づかぬうちに、彼は薄い笑みを浮かべていた。
「玩具として生きる私など、私ではありません。まして、生きる目的が断たれたのでは…生きる意味すら、ありません」
「緑の座になることが生きる目的か?」
「いいえ。貴方を殺すのが目的です。――父上」
はっきりと言い切った。
つよく輝く瞳をしていた。
暗い渇望である事は間違いない。道徳論を振りかざす人間は、どんな事情があれ実の父親を殺すなんてと言うだろう。けれどシンにとって親とは育ての親のみで、遺伝子上の親でしかない存在に、愛情など抱けない。
―――ましてや、シンはそのためだけに今まで生き、その為にこれからの一生を捧げようとしているのだ。
一体誰が、そこまでの覚悟を固めた人間を非難することができるだろう。
緑の座は、何も答えなかった。ただ、笑みを深くしたのみである。彼にとって、皇族でも末席、指先一本で殺せる白の座の殺意など笑止のかぎり――だからではない。
ただ、殺意を、緑の座に面と向かって言い放てる相手がいることを喜んだのだ。
彼は白の座が自分をそれだけ深く憎んでいる事を知っていたし、殺意を抱いている事も知っていた。
「緑の座を殺せるのは、次代の緑の座のみ。…もし、万が一、この目がこのまま見えなければ、私は自害します」
「心因性のものか?」
「…その可能性は高いです。ですが、…正直、思い当りません」
先程から考えていたが、どうにも思い当る事がないのだ。
昨日ナギの家に行った。相変わらず喧嘩仲間と罵詈雑言をやりとりした中に、こんな言葉があったぐらいだ。
『お前の目は腐ってる。これが、どうして、100イェンに見えるんだ!』
と、言われた。
シンの目は肥えている。いい物を見続けて来ただけに、確かだ。…が、その分普通のものも、悪く見える。
極上のものを日常的に見ているだけに、普通の物が普通に見えず、思いっきり安く見積もってしまったのだ。
それで前の台詞を吐かれたのだが、この程度の事で、なるのだろうか。いくら何でも…。
「……目が腐っているのかと言われたぐらいで、まさかなりますか」
「―――謎掛けには大前提がある。問題文が間違っていないということ。正解があるということ。問題から、答えに辿り着けるということだ」
シンはいぶかしんだ。
「…どういう事です?」
その時、シンはやっと、緑の座の訪問の目的が「粋狂」以外の事ではなかったかと思いついた。
―――まさか…?
この目は、目の前にいる人間の仕業か?
しかし、聞いたところで正直に答える筈もない。皇宮は大嘘つきの集まりだ(シン含む)。
別の話に切り替えた。
「…ずっと聞きたかった事があります。答えていただけますか?」
シンは、後頭部に手を回して包帯をといた。ぱらりと解け、絡みつく布をぐいと引き下ろす。
シンは見えぬ目を見開いて相手を見た。
「私は母と、似ていますか?」
シンの母については、皇宮でも取り沙汰されていた。―――その子供の美貌と、正体不明ゆえに。
シンは父親にカケラも似ていない。代々の緑の座の中にも、似ている者など一人もいない。だから、母に似たのだろうと言われている。
緑の座が強引に見そめ、子を作った。それはもう、極秘の上に厳重に。そしてこのレイオスで、緑の座に従わぬ人はいない。
子を作る施設…子宮(センター)の職員は、誰もが揃って口を閉ざす。
そしてシンを見た誰もが納得して頷いた。
これならば、緑の座が血迷っても無理はないと……。
だからシンの卵子提供者を知るのは、緑の座のみである。シンは自分の半分について、ある疑惑を抱いていた。
「……私が、母の望まぬ出産であったことは聞きました。私は、母に、似てますか?」
緑の座は、ふっと笑って、背を向けた。
彼がいなくなると、シンはほっとして寝台に倒れこんだ。
…疲れる。父と互角に対峙しようとすると、精一杯気をはって体を張らなければならない。びくつかないようにするだけでも、大層気力をつかう。
が、萎縮するだけではなくなったのは進歩だった。
物心ついた頃から心と体に刻みつけられた傷跡は深い。