裏話

 

 

 クリクというゲームがある。十五×十五の盤上で、七種の駒を使って王の駒の取り合いをやる知的遊戯だ。
 ナギ家ではシンが盤と駒を持ち込み、現在全戦全勝である。

 ある日シンがナギ家を訪ねると、キールが食卓についていて、手招きされた。テーブルの上には既に盤と駒が用意されている。
「…今十九連敗だっけ。二十連敗したいのか」
「今日はお前に一敗つけてやる」
 現在連勝中のシンは肩をすくめ、向かいに座った。
「無理だと思うけど?」

 このゲーム、ある程度までは頭ではなく記憶力がものをいう。あるいは経験か。定石をどれほど憶えるか、それがものを言うのだ。
「青の座就任、オメデトウ」
 駒を運びながら、キールが言う。

「…いつも思うけど、お前その手の情報どこから仕入れるんだ?」
「いろいろと。でも…ま、ばかだなーとは思った。最下位白から第二位青?」

「狸と狐の化かしあい。ま、お前の言う通り、ばかだな。だって僕が望んだ訳じゃない」
「…――カルラーンか」

 キールが当然のように父の名を呼び捨てにするたび、シンは不思議な気持ちになる。父が機嫌を取りおもねる相手がいて、それがこの良くも悪くもよく知っている少年だという事に、違和感を感じるのだ。

「あたり。父上からの悪意こもる贈り物さ。僕としては黄の座あたりがよかった。白から青じゃ、いくら何でも極端すぎる。誰がみても、僕が不正をやって得たに違いないと思うだろう。お陰さまで、皇宮における僕の評判と人気はガタ落ちだ」
 それでも進める駒の動きは揺るぎない。

「黄の座あたりなら、まあよしというところだったが、緑様は青という返答をつきつけた。あいにくこれを幸いと見ることができるほど、僕は短絡じゃない」
「……ためしか」

「その通り。贈り物はするけれど、ただではやらない。それが緑様の回答さ。
結果として僕は他の兄姉から一躍抜け出した。ただし、他の兄姉から軽蔑と敵意の雨霰が降り注ぐことになった訳だ。白からいきなり青に上がるのは、事実上まともな手段では不可能だからな。…と同時に、僕の敵対者には『不正をして白から青に上がった卑怯者を罰さなければならない』という大義名分も与えられる。
更に困ったことに、それが事実であると皇宮のほとんどの人々は認識している。おかげで僕は、兄上から即座に絶縁され、暗殺騒ぎはこれまでに三十回を越えた」

 キールは難しい顔で盤面を見た。劣勢だ。
 動揺する話をふったのに、シンの駒の運びは非の打ち所がない。
「…なキール。あれ、本当か? 緑の座には不思議な力が神から与えられるという神話」

 キールはためらった。
 腕組みをし、うーんと悩み…愁眉をといた。
「ま、いっか。お前皇族だしな。―――本当。
神様からかはともかく、少なくとも、緑の座になると力が与えられる」
「…どんな能力がある?」

 これはキールは首を横にふる。
「そこまでは言えない。―――それは、緑の座のみが許される秘密だ」
 シンは口をつぐむ。キールは続けた。
「間違っても暗殺を企むなよ。お前が、一対一で、俺に勝てるのならいいけど。一つは知ってるだろ? 精霊を見る力」
 喧嘩のとき、彼らはいろいろ制約しているのだ。術使わない、精霊の助力求めない、シミナーの能力使わない。純粋な殴りあい。

「青の座か。緑の座の次の位。お前、五年じゃ無理だって言ってたけど、可能性でてきたじゃん」
「…今後一年生き延びればな。五年で緑の座になる事も夢ではなくなるさ。でも、それは生き延びたらの話だ。……今の状況でも、ここだけは安全だ。ここにはまずお前がいる。次に僕が影を裂いて守っている。何よりここの事を知っているのは兄上と、緑様だけだ」

「緑はともかく、兄上のほうは危険だと思うけど」
「…兄上が僕に危害を加えるものか」
 あまりにも淡々と言われたので、キールは言おうとした言葉を口にだすのをやめた。

 シンの中には、たった一つ盲目的な絶対の信頼がある。
「…、お前の方は、兄を殺せるけど、兄上の方はお前を殺せないって?」
 シンは顔に浮べていた一切の表情を消す。
「……お前は、嫌な質問ばかりするな」

「だってそういう事だろ? お前は殺せる。なのに、兄の方は殺せないという。はっきり言って、馬鹿めと言うな。あの兄貴はお前が思っているほど甘くないぞ」
「……一度も会ったことのないくせに、よく言う。兄の事は僕の方がよく知ってる」

「会ったけど? 一度。お前と初めて会った日に。じゃ、質問を変える。おまえ、兄貴を殺せるわけ?」
 舌打ち。
「お前、ナギを殺せるか? 僕にとってそれは、そういう質問だ」
「それで? 殺すの?」
 シンはため息をつく。
「……わからない。僕にとって、兄は…命の恩人で、育ての親で、僕を唯一、何の見返りもなしに愛してくれた人で……」
「でも? 殺すんだ?」
「―――お前はほんっとに腹がたつ!!」
 キールは肩をすくめる。
 …見返りなく?

「なぁシン。更に答えにくい事聞くぞ。 …お前、生まれて良かったって思えたこと、あるのか?」
 拳が作られた。
 顔面から血の気が引き、食いしばった唇だけが赤かった。
「……お前は、本当に……、お前は、本当に嫌な事ばかり聞く……!」
 幼い頃から、シンは、自分が皇族だという事を強烈に意識してきた。
 皇族であるから、普通ならば当然の権利として与えられる何もかもを仕方がないと諦めてきた。周囲も皇族らしく皇族だからと強制した。

「…ない!! そんな事思えた事なんてない! ……これで満足か!!」
「なんで怒るわけ? 俺そんな事、生まれてこの方思ったことないけど」
 冷静極まる口調が、シンの怒りを冷ました。
「―――ところでキール。王手だ」
 ぽん、と駒が一歩進んだ。
 キールが盤面をにらむ。
 見苦しく唯一の逃げ道に逃げ込むと、シンは歩兵でもう一度王手をかける。
 キールが王でその歩をとると、最初に王手をかけた騎士が追いついて、御用となった。

「二十連敗、オメデトウ」最初のキールの台詞を真似ていい、シンは椅子を立つ。
「……お前、強いな」
「皇族に要求される教養の程度を甘く見るな」
 言い捨てて、シンは戸棚に向かい、以前彼が持ってきた酒瓶を取出し親指で封を切った。

 杯を空にし、目尻をやや染めてシンは言う。
「……なぁキール。知っているか? 僕がここに来たのは、兄の命令だった」
「…だいたい予想はついてた」
「…あの日―――僕は木のうろで泣いている所をナギに保護され、この家でお前たちと出会った。そこまでは、本当に、疑問の余地なき偶然だ」

「誘拐されたと思ったんだよ。ナギは」
「…だろうな。そうだろうと思っていた。……本当なんだ。あの時、僕は誘拐されていた。解放されて泣きたかった。でも泣き顔を見られるのは嫌だった。だから、木のうろに潜り込んで、一人になって泣いた」
「…初耳だ」

「お前に知らない事があるとは、驚きだ」
 さらりといなして、シンは話を続ける。
「兄が迎えにきて、それで僕はその日の内に帰った訳だが―――問題はそれからだった。再び誘拐される可能性はかなり高く、それを防ぐことは手持ちの影の数ではできなかった。
―――兄は考えた。誰も知らないところに、僕を隠そうと考えた。それで白羽の矢がたったのが、偶然出会ったここだ。その時には出会いが本当に偶然である事は確認されていた。…だから僕は、ここに来たんだ」
「その目論みは、はっきり言って外れたな」

「そうだな…それでも私は、嬉しかった。兄が自分を愛して護ろうとしてくれる意志の表われだったから、…それに兄は、私に友人を与えてくれた。この家には同じ年ごろの子供もいたから……だから…」
「……兄貴に出ていけと言われたのがそんなにショックか?」

「……僕はお前とは違う。大切な人に嫌われたら、身を切られるほどつらい」

 キールはぽりぽりと頭を掻いた。 「おまえさぁ。二つの手に三つの杯は持てないぜ。暗殺は無理だ。ならどうしたって次期緑の座にならなきゃ殺せない。そして次期緑の座になるためには、兄貴を殺さなきゃいけない。
…選べよ。兄貴を殺すか、現状維持か。俺は殺せと言うけど? お前、その兄といても、幸せじゃなかったんだろ?」
 いきなりに思えたあの質問の意味がやっとわかった。
「それは…周囲が悪かったためで」

「カンケーないね。俺は好きな人がいれば周りが溶岩だろうがあと一時間の命だろうが幸せだぜ?」
 シンが少々難しい顔でキールをみた。
「……時々思うけど、お前、…時々すごく夢想家になるな」
「本物っていうのは、そういうものだろう?」

「…崩れても、それは本物だぞ。迷いや妥協や弱さのなかで、人は身を寄り添いあう。お前のようななりふり構わない極端な恋愛などできるものか。そして冷める。…それでも、その時側にいたいという思いが本物だったなら、本物なんだ」
「で、一日目で恋におち、二日目で結ばれ、三日目で別れるわけか。お手軽な本物だな」
 シンはちらっとキールを見た。

 水と油ほどに、キールとシンの意見は対立する。そして、それは決してまとまるまい。
「なんで簡単にころころ変えてしまえるのか、俺は不思議でならない。好きだったんだろう? 愛していたんだろう? なら、守れよ。自分の中のその気持ちを、なぜ簡単に踏み躙って壊してしまえる?」
「……よく分かった。お前、単純だわ」
 意外な欠点を見つけ、シンはうなずく。
 キールは迷いや躊躇いや弱さを認めない。愛情には絶対を求める。…でも、人はキールほど強くないし、割り切る事もできない。複数の大切なもの、それらが時としてからまりあい、取捨選択を迫る。

 キールは弱さを含まない、絶対の愛情。それしか認めず偽物だと決めつける。…シンが兄への愛情に惑い躊躇うのを、一刀両断にしたように。
「……お前に惚れられた相手、可哀想…」
 疲れるったらないだろう。

 シンはそう呟いたが、そのつぶやきが、これまで交わした何万もの罵詈雑言のどれよりも強烈な皮肉になっていることには、気がつかなかった。


 

 皆様も飽きてきたでしょうが(そういう感想がちらほらと)、作者もいいかげん、このシリーズばっかり書くのにもあきました。
 実はこれ、もうラストまで書いてあるんですよね……。ですから、遅延やラストなしで終わることだけはないです。ご安心ください。

 

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