リクエスト

 

 

 キールは朝、寝台から起きだして、隣で眠るシンをながめた。

 すーっと寝入っているシンの頬の線は、いつもとちがって柔らかで、丸い。
 ふだん蛍烈な眼差しに彩られた鋭気に満ちあふれた美貌は、今はあどけなさと無防備さにあふれていた。

 それは犯罪的なまでの可愛らしさで、大人が見ればそのつきたての餅のようなほっぺに頬ずりしたいと思うだろう。
 普段常日頃、神経を尖らせている目の輝きがその容姿の印象をいかに左右していたのか、キールはしみじみとつぶやいた。

「寝てればかーいいのに」
「キール、それは言わないお約束」
 同じく起きだしたイールがいう。ただし、ことばの内容には同感である。

「キールが悪いんだよ。シンに皮肉の総連射を浴びせて。シンは普段も可愛いのに」
「……かわいい……、いや、美人だとは思うけど、かわいい……うーん」
 イールは大物だ、とキールはつくづく思った。

 キールはカーテンをあけ、朝の光を室内にとりこんで、朝食の準備をしに出ていった。
 シンは起こすだけ、無駄。

 起こしたらまた寝るだけで、体が必要な睡眠時間をとるまで起きない。ましてや草の民の起床時間は夜明けとともにで、町の人間の通常の起床時間とはかなりの差があった。もっとも、就寝時刻も早いが。

 シンは電源が切れるように目ざめると食卓に出てくるので、その間一家はそれぞれの仕事をこなしている。
 最近とみにシンがよく訪ねてきてよく眠るようになってきて、それに比例して、食事の質は飛躍的に向上した。

 ナギには貴族がくるからといって、献立を変えるような媚びへつらいの根性はなく、シンが何かと手土産に持ってくる珍味だの魚介類だの干物だの酒だのの仕業だった。

 時折、ナギはしみじみと戸棚にずらりと並べられた酒をながめ、その質と量に喜んでいいのやらという気分になるのだった。
 酒が出るのは夕食と決まっていて、一家は全員酒が嫌いではない。ないのだが。

「……ぷはーっ。頭の芯がとろける……。キール、イールも。酒っていうのはもっと、苦くてえぐくて、にごった味で……。これは格別にいい酒で……だから口をなれさせたらいけないぞー」
 という事情である。

 シンが持ってくる手土産は、酒にしても何にしても、その身分に応じたランクのもので、ナギはいいのだが、まだ子供のイールやキールが口をなれさせたら問題だ、と思っているのだった。

 その日シンが下りてきたのは、朝の労働が終わり朝食ができようかという時刻で、食事のあとイールはシンに話し掛けた。
「なんか占おうか?」

 キールの占い的中率は、まさしく「当たるか外れるかの二分の一の確率さ」とほざく類のものだが、イールの占い的中率は、兄とは天と地ほどの差があった。

「ん……よろしく」
 シンは占いや未来予知を、まったくといっていいほど信じていなかったが、口に出してはそう言った。

 イールに占者としての才能があるのは明白で、シンとしては遊び道具として占い札を持ち込んだのは自分だという事情から、できるかぎり磨いてやりたいと思っていたので。

 しかし、シンはすぐさまそれを後悔することになった。
 シンの前に並べられた札はどれもこれも悪いものばかりで、イールの才能を確信するほどだった。

「一番。親しい人との決裂、仲たがい。十四番、裏切り。十五番、陰謀、知的犯罪、企み事。七番はこの順序だと意味が逆にひっくりかえって、惨敗、喪失、敗北。三十番、……犯罪。最終結果、……死」

 怒涛のように紡ぎだされる悪い結果にイールは顔をしかめ、申し訳なさそうな顔をしたが、シンは苦笑した。
「合ってるよ。キールとはえらい違いだ」

 同じ室内の、少し離れたところにいるキールには十分とどく声量だった。
「お前だって才能ないくせに」

「僕は占いはこれっぽっちも信じてないからな。あったとしても摩滅したのさ。でもキール、お前は、占いやら運命論やら信じてるんだろ?」
 またいつもの皮肉合戦に入りかけたところで、シンはイールに向き直り、にっこりと笑いかけた。

「気にしないで。占いはイールのせいじゃなくて、事実だし。イールの才能を見せつけられたような気がしたよ。最終結果も信じてないから当たらない。何より、僕は占いの未来なんて、いくらでも変えてみせると信じている」

 この辺りがシンの精神の健全さや成熟度を示すもので、不愉快な占いをしたイールを責めることなく、イールの正答率を評価して励まし、慰めすらした。
 シンが現在置かれている状況は、そう気楽なものではないのだが。

 二年前、育ての兄のもとを出奔して、裏切りと親しい人との決別の二つを実行し、今では宮中での地歩をかためているが、予断をゆるさない情勢だった。

「気にしないでいいよ、気にしないから」
 それはおそらく、事実なのだろう。忘却可の印をはんこで捺して、シンはそれをしまうに違いない。



 シンの指は白く長いが荒れている。
 それは訓練で爪が割れたり剥がれたりするためや、長時間文字を書いていたりするためや、あとは……ナギ家で皿を洗ったり水仕事に従事しているためだろう。

 水道などというものはないので、汲み置きした水で皿を洗う。
「お前の侍従あたりがそれを見たら、卒倒するだろうな」

 こういう底意地の悪い声の主は、この家では一人しかいない。宮中にはうじゃうじゃと、大気中の塵芥より多く棲息している人種だが。
 シンは顔も上げずに洗いつづける。

 答えの無いことにめげる様子もなく、キールは言った。
「シン。それ終わったら少し、部屋に。話がある」

 めずらしい、と思ったのは、キールがわざわざ話をしようとお膳立てしたからだ。
 ……家族のことかな。
 キールの唯一の行動原理を知っているシンはそう考えた。

 とりあえず、キールの自発的行動=家族に関連、と考えておけば、九割がたは、間違いない。
 引っ繰り返すと、キールの自発的行動でそれ以外のものはほとんどない、ということだが。
「わかった」

 シンはそう答えた。

       § § §

「話って?」
 キールの部屋はイールの部屋でもある。三つ並んだ寝台と、二人掛けの机だけで、他にあるのは窓ぐらいだ。

 キールは机に座っていて、向かいの席をシンに指で示した。

「ん……」
 キールは言葉をさがしたように一瞬沈黙し、言った。

「お前、十歳そこそこの子供が就職するとしたら、どの辺りなら話つけられる?」
 シンは椅子に座りながら問い返す。
「……お前が、就職するのか?」

「たとえ話」
「そうだな、……徒弟という形式になるな。通常の賃金労働はできない。未成年だろう? つかまるからな。職人としてその手の職場でなら、幼年から技術指導という形で雇ってもらえるから、その辺になるな。話をつけるといっても、……」

 シンは首をかしげた。
「わたしの権力でごり押しは可能だ。でも、その後の反発は相当きびしくなるぞ。人脈といっても、これまでにほとんど何のつながりもないからな、当然人脈と呼べるものはない。お前の方が、わたしよりも広いぐらいだ」
「俺の人脈は、できるだけ、使いたくない。なるほどね、それぐらいか……」

「一体どういう話だ? ぜんぜん姿が見えないぞ」
 キールは首を傾げ、数秒して、頷いた。
「ま、いーか。イールがたぶん、草の民から抜けるから。就職口のあっせんぐらいは……」

「―――イールが!?」
 シンは心から驚いた。
「なぜ? 何か不満でもあるのか?」

「別に……。イールには合わないってだけ。たぶん、成人する前には家を出るな」

「……つまり、お前の勝手な一人合点の可能性もあるんだな?」
「どんなことでも可能性はあるさ。でも、じゃ、賭けるか? イールはたぶん、出ていくよ。それもそう遠くなく。そのとき、俺の人脈でやったらイールが可哀相だろ。俺とイールは、顔は同じなんだぜ?」

「だから、イールが出ていくその理由は? もう少し明確な理由がなければ、わかるものか」

「シミナーの観察眼は、神の領域です」
 シンがキールを殴ってやろうかと思ったのも当然の、人をくった回答だった。

「なんだ? 要するにお前の観察は全て正しいと?」
 キールは吹き出した。
「まっさかー。でも、ま、正しい場合がほとんどだね。だいたい、シミナーはお前みたいに、人の心を予測するんじゃない。人の心を見る、んだ。人の心の襞を知り、その人間の行動形式と照らし合わせれば、行動の予測はかなりの精度でできる。お前がさっき、俺に呼ばれた用件は家族に関するものじゃないかと思ったように」

 キールが明るく軽く言ったが、受ける側のシンは一歩離れた心地で眺めた。
「……ナギは、すさまじいな。私は結界をまとっているから、お前に心を読まれない。読まれないと知っているからこそ、私はお前の傍に寄れる。イールはお前が家族の心をのぞき見ている事を知らない。知らないのは幸せだということだ。でもナギは、シミナーの養育者であるナギは知っている。それなのにお前を育てている。その心の奥まで覗かれていると知りながら…」

「ま、な。だからこそシミナーは家族に憎まれ忌まれることも多く、家族を嫌っているシミナーは数多い。ナギは例外中の例外だよ。ナギはもちろん、シミナーを育てるうえでの注意事項を説明されているよ。でも、気にしていないんだ。俺が彼らを大事にしたいと思うのは、当然だと思わない?」

「……ああ、当然だ」
 短く重い沈黙をはさんだあと、シンは頷き、椅子を立った。

「シン。おにーさまとはどうなった?」
 一旦背をむけた体が動きをとめ、振り返る。
 白珠のようにうつくしい顔が、キールを見据えた。

「……何が言いたい?」
「べっつにー。この間お前の兄貴と出会ったけど、あいかわらず、変態ですこと。ま、幼いお前を引き取って手元で育てていたあたり、今更だけど。一緒に寝てたんだろ?」
 シンの瞳が燃え上がった。

 キールは肩に一撃をくらうまで、相手の攻撃動作に気付かなかった。
 間髪入れず、両の掌に激痛が走る。
 シンはキールの前髪をつかみ、顔をあげさせた。

「……私への悪口はある程度までは許容してやる。だが、兄に対する暴言はゆるさん」
 シンは手を引いた――拳は握ったままで。

 頭皮ごと髪が引き抜かれ、肉が弾けるいびつな音とともに、床に赤く染まる髪が落ちた。
「だてに長い間、付き合ってきた訳じゃない。お前のやり口は、知り抜いてる。お前は術の使用に手を使う。つまり、お前を黙らせたければ手をつぶすのが最良だ。 ……私を、本気で怒らせるな」

 キールの手には深々と刃物が食い込んでいた。
 あの一瞬、シンは肩に一撃を加え、同時に手を射抜いたのだ。
 シンはキールの手をとると、机の上にのせる。そして、ナイフの柄に手をかけ、体重をのせた。

 鉄の感触がキールの手のひらの肉にねじりこみ、潰しながら進み、貫いて木に食い込む。その感触を直接感じながら、シンはいささかの容赦も持たなかった。

「私はあの方の元を離れたが、それは兄の落ち度ではなく、あの方を恨んだからでもない。お前のような勘繰りをする人間はいくらでもいたが、兄は清廉な方だ。ダニはダニの低さのでしか物事を見れぬものだな。兄を貴様と一緒にするな!」

 いつもの怒りは「じゃれあい」。
 本気で相手を怒らせてはいけない。どちらもただでは済まないのだから。
 それが二人の間の、暗黙の協定だった。

 しかし怜悧にそう言い放つ相手の、なんとまあ美しいことか。
 怒りに瞳は凝縮された刃のような鋭さを放ち、その周囲をくせ一つない直毛が囲んで、まるでそれ自体が衣のようだ。
「いいか? お前はその気になれば私を殺せるだろうが――私もそうである事を忘れるな」

 キールは背を向け、出ようとする相手に声をかけて引き止める。
「おーい。血、どうするんだ?」
 これだけの重傷を負いながら、痛みを度外視した声と口調だった。

 しかしシンはさして驚きもみせず、言い放つ。
「……私を怒らせたお前が悪い。貴様が片付けろ」

 血痕をナギかイールが発見し、二人の間でいざこざがあったのだとばれた場合、信用されるのは勿論、シンの方である。
 シンに関わることでのキールの信用度は地を這っている。

 それきりぱたんという音がして、キールはやれやれと眉をしかめつつ、腕を中心にてこの原理で、右の掌を机から引き剥がした。
 頭のなかで痛みが火花をちらした。
 食いしばった歯から、言葉にならない空気が漏れる音がした。
 キールだとて痛みがないわけではない。ただ単に、シンの前でそれを表現するのはしゃくだっただけである。

 キールはしばらく痛みをこらえて、痛みの波がおさまってから、小さな凶器を抜く。
 刃渡りは指一本ほどの長さの、短刀だった。もっともだからこそ、服のあちこちに忍ばせることができたのだろうが。

 兵器術ではシンは達人並みだ。短刀では確実にキールより上だろう。今見せた技倆は矢継ぎ早の電光の鋭さだった。
「……容赦なくやったな……」

 本気でシンを怒らせた代償とはいえ、両手を潰された。

 治癒の術を頭の中で思い浮べ、それを編みはじめる。言葉による省略はやり慣れていないので、手を使った省略より、ずっと長い。
「…我が身に伝わる命の炎よ、燃やし照らせその傷を。傷よ今こそ灰燼とかせ、とこしえに」
「輪廻のかけらよ、我が身に宿る死の刃よ。死によって生は清められる。生よ我が命よ、螺旋となりて、生の証しめす傷口を癒したまえ」

 これだけ言うのに、軽く半刻はかかった。単語のひとつひとつが、構成と対応しているため、間があくのだ。
 シンの狙いは正しかったと言える。
 そしてその間、キールは脈打つたびに発生する肩と手の痛みに耐えていた。

 術が発動し、右の掌の傷が消える。
 その右手を使って、紋印を描くことで術を編む。今度は十秒とかからない。

 肩の痛みが消え、左の掌のナイフを抜き、また癒す。
 引き抜かれた額の傷を癒して、顔に垂れる血をぬぐった。
「……あー…痛かった」

 血は、机を覆い、しみ込み、床へと垂れていた。うんざりしながら、また新しい術を編む。
 血液が遊離して空中に浮かび、キールはその血を捨てた。

 そして複雑な顔で、吐き捨てた。
「―――馬鹿め……」

 わざと挑発していたのは、シンだってわかっていただろう。だからこの程度で済んだのだ。キールの意図がわからない以上、挑発にのって、キールを殺す訳にはいかないから。
 キールが「馬鹿」と言ったのは、自分自身に対してだった。

 もうちょっと、やりようがあるだろう。
 ……シンは兄を敬愛している。それは、ナギやイールに対するものよりも上だ。そしてそれは経過を思えば当然だろう。シンはそもそもあの兄がいなければ今頃生きていないか、あるいは人としての尊厳を微塵も残らぬほどにぼろぼろにされているかのどちらかしかないのだから。
 そしてそれをシン自身知っている。

 人の心には、往々にして聖域があって、人は、その想いを汚されると過剰反応を起こす。シンにとっては兄がそれで、決して、誰にも傷つけさせたくない相手で……。

 したたかな痛撃をこうむる事は、予測していたが、反応の烈しさは予想を越えていた。あの時シンが手の刃物をキールの喉笛にあてて横に滑らせる衝動を理性によって抑制しなければ、……死んでいた。

 イールが部屋に入ってきた。
 入るなり立ち尽くし、叫ぶ。
「き、キールっ!? どうしたの、その服っ!」

 傷はなおしたが、服にしみ込んだ血と血で赤く染まった顔はそのままだ。
「シンにやられた」
「……また、何かやったんだね……?」
 このあたりに、日頃の行いが出るのである。

 イールは肩を落としてため息をついた。
「しかもシンが問答無用で刃物を抜くようなことを。キールさぁ……、もうちょっと大人になんなよ。そうすればシンだって仲良くしてくれるよ?」

「してくれる、ことはわかってるよ。ただ…世の中腹の立つことが多いなーって。気に食わない人間がおおくって……」
 イールは目を丸くした。
「……キールが人の悪口言うの、はじめてきいた」

「そ? ああ、そういえばそっか……。軽蔑はしても、嫌うことってあんまりないもんな……」
 キールはシンの兄が嫌いだった。

 自分と、よく、似ていたので。
 キールは手の甲、指の骨と骨の間にくちびるをあてた。串刺しにされた箇所はもう跡形もなく、キールはむしろ、シンに同情した。

 悪口を言われた程度でここまで激発するほどシンが兄を慕っていることは、弱点にこそなれ、その逆には決してなりえないだろうと、思ったからだった。


 リクエストは、「キールをいじめるシン」でした。

 普段のけんかの時は、当然ですが、武器なしです。
 ……つかったら怖いって……。イマドキの少年の比じゃないですよ。

 二人とも武器の扱いには慣れてますし……なにより、ナギとイールが許しませんから。

 

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