蒼ざめた蝶の死骸 3

 

 

 蒼ざめた蝶の死骸。

 私はその時、それがクラウドの足元にあるのに気づいた。
 ただのありふれた白い蝶のものだった死骸は、大地に接吻することで、青みがかって見えた。青と、緑は、近しい色だから。死と憎悪のように。

 何か、象徴的に思えてそれから私はしばらく目を離せなかった。
 蝶の燐粉と、日光の加減で青く見えているのだろう、その蝶から。

 視線を上げたときには、言葉がはっきりと明確な形を取っていた。
 ……憶えている。
 前髪が額にかかり、その髪の間から突き刺すような視線を送るやり方を。
 相手を見透かし、見下し、言葉で串刺しにするような物言いも。
 
 この上なくかつての私らしい視線で見据えられて、クラウドの眉が少し動いた。……それだけだった。
 以前、私にこの眼で見つめられた人間は、ほとんどが処刑場に引き据えられるように怯え、体を固くしたものだが、さすがだった。
 私は言った。
「半端な罪悪感ほど、甘いものはないな」

「なっ……」
「愛する人間を殺されたことを心底悔いるのなら、さっさと死ね。お前はすでに恋人の仇を討った。それで貴様の罪悪感は帳消しになってしかるるべきだ。なにしろ―――、落ちこぼれの代名詞、最下級のソルジャーにもなれなかった使い捨ての消耗品である一般兵士だったお前が、あのセフィロスを殺すことに成功したんだからな」

「ルーファウス、お前……記憶が……」
「とっくに戻っていた。そして、お前に感謝もしている。お前が助けてくれなければ、私は死んでいたはずだ。ティファとかいう仲間も、お前に何度も私を捨てろと言っていた」

 そのとき、クラウドがどう答えたかも、知っている。
 『そういうの、もうやめよう。連鎖が連鎖を呼んで、いつまでも憎しみの縄が途切れない。俺達だって、決して綺麗な手じゃない。……人を断罪できるほどの資格があるとは思えない』

「クラウド。……お前には義務があった。大切な人間を殺された者が等しく負う、炎のような渇望が。お前はその義務を果たした。お前は、仇をとった。いまだに罪悪感の鎖につながれているのは、お前がつながれていたいからだ。お前自身が、そうしたいからだ。助けを求める数多の手をふりきって、お前は何をしている?
 ……お前の言う罪悪は、単なる甘えでしかない」

「ルーファ……っ!」
 うめくような声。
 けれども私は容赦しなかった。

「私を救ったのは、傷を舐めあいたかったのか? いやにいろいろと話したのも、可哀想だなと言ってほしかったためか? いいや、私はそんな言葉は言ってやらない。ただし、私を助けてくれてありがとうとは、言っておく。それはお前が為した行為だからだ」

「ルーファウス……!」
「緑の光は、揺り籠か。そうだな。私は地球の裏側で、死にかけた。いや、死んだのかもしれない。ライフストームとやらのなかで、緑色の光に母のかいなのように抱かれて、まどろんでいた。二月もたって、ここに漂着したのは奇跡だな……」
 物憂げにつぶやき、一転して氷雨のような眼差しを向ける。

「クラウド。おまえ、年はいくつだ? いつまでも母のおっぱいに執着している年でもあるまい」

 頭の中に、火花が散った。
 それから先のことは、覚えていない。

      § § §  

 目が覚めるとそこはお馴染みの寝台の上で、覚醒と同時に顎の骨に痺れるような痛みが広がっていった。
 私は前後の事情を思い出す。

 クラウドが殴りかかってきたのだ。
 殴られることは覚悟していたものの、さすがに星を救った英雄だ。見極めることすらできなかった。
 一発の重さやスピードは、最上級ソルジャーのものと比べても上をいっているだろう。

 視線を横に転じると、深く何かを考えている表情の、クラウドが私の覚醒を待っていた。
 いつかのように、ベッドの脇に椅子を置いて。
 私は、不意に、いつになく強力な既視感が蘇るのを感じて、せりあがってきたものに息をつめた。
 初めて会った日に、こんな風にこの顔を見た。

「……当たっているかもしれない」
 クラウドはまず、そう言葉に出した。

「……いや、たぶん、当たってる。……俺は、罪悪感っていう甘い海で、自分を責めているほうが楽だったんだ。悪いとわかっていながら止めることのできない煙草や、飲酒のようなものかな。
 傷ついていると誇示することで同情を勝ち得て、そうすることで、仲間の励ましや願いを封じ込めてきた」
 クラウドはふっと笑う。
 金色の前髪がその動きに散った。

「……不思議だな。長い間一緒だった仲間にも、こんなこと、言い当てられたことはないのに。あの神羅ビルのときといい、お前は、人の心をどこまで見透かしてるんだ? それが、神羅グループの社長の必須要素なのか?」

 それもある。けれどもそれだけではないと思う。私はそれを率直に口に出した。
「他人だから、気づけるってことはある。あんな容赦のない弾劾を受けたことはないだろう? 仲間だから、お前の傷がわかるから、お前に対して優しくする。けれど、私はそうはしなかった」

「なるほど……」
 私はそう頷いて目をとじるクラウドにそっと手をまわして、引き寄せるように顔を重ねた。

「……なにする」
 そう言ったクラウドの顔は、とんでもない味の珍味を食べたときのように奇妙奇天烈な顔だった。酸っぱいのをこらえている表情、とでも言おうか。

「顎の痛みどめだ」
「痛み止めで、男にキスするのか?」
 クラウドの表情をみて、私は失敗に気づいた。

「……顎が痛いんだ。誰かが側にいてくれれば、痛みも和らぐと思うんだが、誰かいないか?」
 クラウドは吹きだした。
 しかめっ面で懐からマテリアを取り出す。
「回復のマテリアが一つここにある。最高クラスのものだ、もちろん。これを使えば、ホラ簡単。痛みはなくなったな」

 にんまり笑うクラウドを見て、私は降参した。
「……君の中の海の音が聞きたい」

 はじめてここで目覚めた日。
 鼓動の音は、潮騒に似ていると……思った。


      § § §  


 私は翌朝目覚めたとき、優しい潮騒の音を聞いていた。
 ミディールに吹き出たライフ・ストーム。その光とも水ともつかない流れには、一定のリズムがあった。潮騒のような。

 けれど私が聞いていたのは、その音ではなかった。
「……おきたか?」
 声をかけられ、私は頷く。

 私が下敷きにしていた裸の胸は、女性のものとはちがって鼓動の音をそのまま伝える。
 見ていたときは判らなかったが、彼は、触れてみればはっきりと筋肉でできた体をしていた。

 薄もやのように、室内には独特の気配がただよっている。
 満足感と、倦怠感と、疲労とを、混ぜ合わせてかき混ぜたらこんな空気になるだろう。
 ―――情事のあとの、けはい。
「人を助けるのは、人のためじゃない。人を助けることで、自分も救われるんだと。……以前、母さんがそう言っていた」

「ご母堂は、正しいな。お前は私を助けることで、お前自身をも助けた」
「そうだな……。ああまで的確に俺を見抜いて、あそこまで残酷にハッキリ言うのは、お前ぐらいだと、俺も思う」

 いま、私の体にまつわる気だるい空気は、不快じゃない。
 素肌にぴったりとつく、他人の肌の感触も。
 私はその快さをむさぼろうと、再び目を閉じた。

 ―――もう、そういうのは、やめにしよう。
 ―――人を助けるのに、理由がいるのか?

 眩しいほどまっすぐな言葉。
 憶えている。
 昔の私は、そういう言葉に接したことがなかったのだ。
 優しさも、正義も、労わりも、無駄なものとして切り捨てられてきた中で、暮らしていた。

 『助けを求める数多の手を振り切って……』
 助けを求められているのは、私でもあった。


      § § §  


 回復のマテリア。
 私がライフストームで負った傷は、クラウドが持っているそれらでは癒せない種類の傷だった。傷口から緑の光が漏れ出してくる、といったような。

 ミディールでは、私のような「死者」であった者が何名か、漂着していた。
 彼らはゆっくりと時間をかけて、ライフストームの光を自分の中から排出していた。
 とてもとても希有な幸運が、あなたの手の中に転がり込んできたのです。あなたは祈り、生を感謝しなければなりません。
 私を診察した医者は、そう言った。

 ……私のやるべき事は、私にしかできないことだ。
 そして、キズもほぼ完全に癒えた。
 これ以上この場にとどまる理はもうない。

 私は眠っているクラウドを起こさないようそっと寝台から降りると、身支度を整え、寝顔を眺めた。
「お前に大言壮語をした以上、わたしも逃げるわけにはいかないからな……」
 クラウドは、もう大丈夫だ。
 このミディールで、ぬるま湯にひたるような生活にもどることは、きっと、ない。
 覆い被さるようにしてつぶやき、最後の名残りにと寝顔を見ていたら、不意に腕をつかまれた。
「―――行くのか?」
「……ああ」

「……どこへ?」
 私は答えた。
「まずはミッドガル神羅ビルへ。私が生きていることを見せ、統帥権を確保する。それから……ニブルヘイムや、各地の魔晄炉へ」

 腕をつかむ力が強くなる。服ごしに、皮膚の下の骨をつかんでいる。
 鍛えられた戦士の握力に、私は苦痛を表情に出さないよう細心の注意をはらった。

「ルーファウス、まさか、また―――」
「ちがう」
 私はゆっくりと頭を横に振った。

「私は、神羅のボスだ。誰もが認める、世界一の企業の……。過去の整理と、贖罪と、未来の為に。やらなければいけない。私の言葉なら聞くという人間も、使える物資も、たくさんあるんだ。―――クラウド、お前にあれだけの事を言った私が、逃げるわけにはいかない」
 判ってくれ。
 言外のおもいを察してくれたのか、腕の力が緩む。

「じゃあ……、俺もいっしょにいく」
 私はそれにもかぶりを振った。
「クラウド。お前には、仲間がいるだろう? ずっと、お前を支えてくれた仲間が。私はただ一時、お前といっしょにいて、たまたまお前を助ける場面に遭遇したにすぎない。なにより、私がやらなければいけないことと、お前が活躍できることとは、一万光年ほども離れている。道が、違うんだ」

「ルーファウス……」
「これが、今生の別れってわけじゃない。会おうと思えば、相手が拒絶しなければ、そして努力すれば、いつでも会えるんだ。……だから、そんな顔をするな」
 語尾が優しく、甘くかすれて消えた。
 クラウドの表情は、置いていかれる子供のようだった。

「クラウド、いつでも会えるんだ」
 私はなだめるように言ったが、それはどうやら要らなかったらしい。
 クラウドは手を離し、ハッキリと、頷いた。引き締まった大人の表情で。
「また、な」
「ああ」
 いつでもまた会える。
 お互いが会おうと思っていれば、また、会える。

「―――ルーファウス。お前と暮らしたこの二月は、一瞬かもしれない。ずっとついていてくれた仲間に、悪いとも思う。でも俺を助けてくれたのは、仲間じゃなくお前なんだ。お前を大事に思うのは、悪いことなんかじゃない。
……俺がやらなければならないことがすべて終わったら」
「私がやらなければならないことがすべて終わったら」
 私も言った。

 顔を見合わせて、手を重ねあう。
「……待っている」
 その言葉をどちらが言ったのか、私にもわからなかった。唇から無意識に零れ落ちたものか、あるいはクラウドのものか。
 どちらでも、そんなことが瑣末事にしかならないほどに、想いは一つだった。

 蝶の死骸が、動きはじめる。
 死は静止。絶対的な、静寂と静止。
 止まっていた時が、動き始める。


 外は、緑色の光と、天から降り注ぐ光が満ちて、まぶしいほどの青空が広がっていた。
「じゃあ、な」
「ああ」
 私はクラウドと手を握り、離した。



 別れの言葉は約束。
 この別れを、優しい思い出に変えるための儀式。


 ひーっ……。
 やっと終わりましたよー。
 すみません、湊戸さま。こんな駄文になってしまいましたーっ。
 「ルーファウス×クラウド」ということでいっしょーけんめー頑張ったんですけどっ。
 杉浦のとぼしい筆力ではこれぐらいが限界であったよーです、なむあみだぶつ。

 ルーファウスもクラウドも、お互いとの出会いによって変わり、お互いを大切に想うようになっていく……、という恋愛の理想論を踏襲してみました。現実は人間、そんなに簡単にかわりゃしないと思うんですけどねぇ。(辛口)。

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