キールは本当に、死んでしまったのだろうか? 心のどこかでそれを信じきれていない自分がいる。キールが死ぬはずがないと思っている自分がいる。 大切な人間が死んだことを、認められない弱さがある。 シンは真珠のような白い歯で唇をかみ、脳裏にキールの死に顔と冷えた餅のような皮膚の感触を蘇らせた。 ……キールの言葉が、今になって、ようやくわかる。 愛する人間が死んで、その事実を覆す方法を持っていたとしたら、どれだけの人間がその誘惑に勝てるだろう。 シンは、信じられない、のではなく、信じたくないだけなのだ。昨日まで平気で会い、会話をかわしていた最愛の人間と、もう、二度と、会うことはないという現実を。 手中に残る、冷えた皮膚の感触。 それを、おそらく一生、シンは忘れられないだろう。 シンは神など信じていない。緑の座であるという立場から、一応は信じたふりをして祭祀をとりおこなうが、実際に信じたことなど一度もない。 望むものは自分の手で手に入れ、未来を自分の力で切り開いてきたのであって、神などという空想に頼り、神頼みをしたことは一度もなかった。 しかしシンは初めて、神に祈った。愛する人間を、生き返らしてほしい、と。 もしそれが叶うなら、シンは一生神の従順なしもべでありつづけるだろう。 神でも、それに敵対する者でもいい。自分の望みを叶えてくれるなら、一生その存在を信奉しつづけてかまわない。 しかし、返ってきたのは静寂だった。 ……キール・スティンは死んだのだ。 死んだ、のだ。 現世から退場した。それも恐らくは自分の意志で。 ……もう、終わりなのだ。 死者は生き返らない。 キールは死んだ。 シンは拳を机に渾身の力で叩きつけた。 柔らかな皮膚がやぶけ、一筋の赤い血が流れた。 そのままじっと目をとじて、微動だにせずに事実を受け入れることにつとめた。 音は鈍く大きく、拳の痛みが、自分が生きていることを思い知らせた。……キールは二度と、痛みを感じることもない。 シンは腕をあげ、手のふくらはぎから腕をつたう血に唇をよせた。血の、にがみと甘みと温かさ……。 キールは死んだ。それは確定した事実だ。 そして、それでも、シンは生きていかなければいけない。それも確定している。 その口元を、形容しがたい笑みが彩った。 「……今頃は、地獄かな……」 あの幼なじみは、間違えても、天国に行けるような人間ではなかった。 シンは目を閉じた。 彼は、狂人となることも廃人となることも許されない。それができるような立場ではない。投げ出すことは許されない立場に、彼はいるのだから。 物語の悲恋物では、恋人が死んだ挙げ句発狂するのが定番だが、よくもまあできるものだとシンは思う。狂おうと思い、狂えれば、どれほど楽なことか。 普通の人間は、そんなことは許されない。生きていれば空腹になるし眠くもなる。食事と寝台の対価には、労働を支払わなければならない。そして労働をすれば、空腹が食事を求める。そしてその繰り返しが、悲しみを消化していく。 シンもまたそうだった。 ようやくキールの死を受け入れたその夜、彼は涙を流した。誰にも知られることのない、その涙は、眠りという名の慰めをもたらした。 そして、日常に戻っていった。 翌日に、持ち込まれた仕事を全て処理すると、シンは召使いに花を用意させた。 レイオスでも、死者に捧げる花の形式は決まっているが、シンはあえてその形式から足を踏み出し、生者に贈るような……例えるならば求婚や求愛の際に贈られるような、咲き誇る花々を集めた花束を作った。 そのためそれを用意した召使いから噂は瞬く間に広がり、麗しの緑の座が一体誰に贈るのかと一触即発の空気が満ちたが、それは死者に贈られる弔いの花だった。 それはどうしても必要な行為だった。 幼少から連綿とつづく記憶のなかで、唯一空白の一日。 もはや永遠に埋まらないそれに見切りをつけて、明日へ一歩、踏み出すために。 シンは緑の座になると同時に、いくつかの能力も得た。 その内の一つに、精霊を見る力がある。 シンは精霊の領域にはいる前に、こちらをにらんでいる精霊に微笑した。 とたんにゆるむ敵意は、相手が人間の時と変わりない反応だ。キールがいつか言っていた言葉を、シンは活用していた。お前の容姿は、精霊ですら無視しえない、と。 精霊の土地にふみこむと、空気の匂いが一変した。 清涼感ただよう、爽やかな風の匂い。 地面は石と雑草がまばらに生えている荒地だった。小川がすぐ側にあり、川面から流れる水の匂いがそれに混じった。 シンの手には花束があった。服に付着する危険のある花粉は取りのぞかれて、横抱きにかかえている。侍女に見繕わせた花は、白がほとんどで、その中にいくつか黄色の小さな花が混じり、引き立てていた。 キールが死んだ……訂正、キールが自分はそこで死ぬはずだと手紙の中で言っていた場所は、ここから十分ほどの距離にある。 小川にそって、東へ。 転移をすれば一瞬だが、シンは歩いていくことに決めた。 人がいずれは死ぬ生き物であるかぎり、人の死への関心は必然であり、止めようもない。また、人が、死にたくないと思うのも、全ての生き物の本能だった。 その両者が結合したとき、人は不死を求めることは、運命であったと言える。 この地上で、唯一、その方法を知っていた人間は、その方法を知っていることを知られることなく、静かにこの世を去った。 太陽に向け、一心に緑の腕をのばす木々と、その背後にのびる黒々とした影。 きらめく太陽の日差しが、この世に影と光を作る。太陽がなければ、両者が分かれることもまたあるまいに……。 生があるからこそ、死がある。 死という終わりがあるからこそ、生が引き立つのだろう。 不死を人が手に入れたなら、そこにあるのはきっと、ひどく味気ない世界に、違いない。 そして人が生き返ることも、また、ない。 唯一その方法を知っていた人物は、秘密を己一人の胸にしまったまま、別の世界へ行ってしまった。 たぶん、それは正しいことだったのだろう。少なくとも、その逆よりは……。 シンは川をたどり、野原を抜けると、一つの穴の前で足を止めた。 身長ほどの穴が地面と壁面との区別なしに、とば口を開けている。 以前、キールとここへ来たことがある。 内部が鍾乳洞とつながっていて、入り口の見かけと違ってひどく広かった。 入り口で花を置いてもよかったのだが、中に興味が湧いた。 キールが言い残した、真意はどこにあるのかと、シンは洞窟に体をかがませて入った。 そして、その目を見開かせた。 『―――まさか、本当に来るとは』 「……死の精霊…!」 入った瞬間、目に入ったのは、既知の高位の精霊の姿だった。 しかしシンは動揺を一瞬で立て直し、悠然と微笑を返した。 「ここで、一体何の御用でしょうか、ファルフィア?」 ファルフィアとは、直訳すると「人外の高貴なる者」の意味である。 人一人入るのが精一杯の細い道いっぱいに、死の精霊の姿があった。外見は人間と酷似しているが、影はない。 その裾だの長い髪の先端だのが、どうも岩壁にめりこんでいる様に見えるのだが、気にするのも馬鹿馬鹿しい。 彼らは物質体ではないのだから。 『それはあなたの方だとおもいますが? ……先日、私にキールが相談を持ち掛けました。調停者を抜けたい、と。我々は、否と答えました』 シンは、そのよくできた顔の皮一枚はいささかも動かさなかったが、やや動揺した。 キールの死が、自殺ではなく他殺であった可能性がでてきた。 「――それで?」 冷えた眼差し、冷静という言葉を具現化したような声。 これで、内面が灼熱の溶岩だとは、彼を知らない人間には、とても信じられないだろう。 『私が処分しました』 「―――なるほど」 シンはくすりと微笑み、腕を組んでみせた。 ……彼はいま、キールを殺した相手と対峙していた。 その認識が殺意へと化学変化を起こすまでには一瞬の半分もかからなかった。背筋の終着点から頭の登頂まで、無形の何かが走り抜ける。 高揚感は、恐怖に、かぎりなくよく似ている。 けれど、シンはその表情にはひるむ色も、衝撃を受ける様も見せなかった。これは、戦場なのだ。 精霊ですら顔色なからしめる美貌。その唇が、世にも辛辣な言葉を吐き出した。 「つまりあなたは、友人だ親友だと言いながら、キールを処刑したのですね。実に素敵な友情です。あなたにとっての友人とは、殺す仲だという訳ですか。キールはあなたのことを友人だと思っていましたよ。ただひとりの、とね。私にすら、話すほどに」 『……キールは、あなたと出会わなければ、辞めることなどなかったでしょう。あなたのせいで――』 「あー……死の精霊。失礼ですが、あなたは、実に、馬鹿ですね。あなたが言っているのは、キールへの侮辱でもありますが? キールには自分で考える能力がなく、私に引きずられて決断することしかできない人間だ、と言っているも同然なのですよ? それは」 実に直截で一言一言が突きささる鋭い剣だった。 それも当然である。シンはもう緑の座であり、どれほど高位の精霊であうが、礼儀を要求される立場にはなく、同時に、シンはキールを殺した相手を傷つける目的で言葉を使用していたのである。 「キールはよく、言っていました。この世でただひとり死の精霊のみが、キールより強い、と。キールは、調停者を辞めたいと言ったのですね? そして、あなたに、制裁を受けた……。友人だと思っていた、あなたに!」 射竦めるように瞳は見据え、口元には微笑を張りつけたままで、言葉は弾劾。 たしかにシンは、絹と宝石で飾り立てられ黙して座っているよりも、そんな様の方が遥かに美しかった。 「キールは再三再四、精霊は清廉潔白でもなければ人畜無害でもないと言いつづけていましたが、なるほど。本当に、そうですね」 徹底的に傷つけてやる。再起不能なほどに。 相手の性格、志向はだいたい予測がついている。 シンは口元に優雅な微笑をうかべ、一転して機嫌よくたずねた。 「死の精霊。一つお尋ねします。調停者は、誰かと恋仲になってはならない……?」 『そうです』 「どういう理由でそういう慣例ができたのか、想像にたやすいですが……なるほど。それで、キールは辞めたい、と言ったのですね。それが、どういう結果を生むかは、承知の上で、勝負に出た……」 シンはふっと間をあけ、最高のタイミングで、言葉を吐いた。 「私を、えるために」 空気が帯電した。 その言葉が相手にどれほどの衝撃を与え、打ちのめしたか、想像にたやすかった。 キールの特別になりたいと願う者は多い。けれどキールは、その中の誰よりもシンを選んだのだ。 「けれどその計画は、友人だと思っていた相手の裏切りによって、失敗したわけですね? なるほど。キールもさぞ無念でしょう。友人だと思っていた相手が、ただ保身に汲々とし、友を討つことも辞さないような者だったとは」 『噛みつくならば相手を選びなさい。私は最強の死の女王。キールですら私には敵わないのに、あなたごときが!』 怒りはそのまま刃となってシンに押し寄せ、それを彼は無造作に払いのけた。 『……!』 衝撃を受ける精霊に、シンは、優雅にほほえんだ。 「ファルフィア? 私は、緑の座なのですが? 丁度よくあなたから攻撃をしてくださったことだし、殺しても理はこちらにある。愛する人間を奪われた私に、殺した相手のあなたが現れてくれ、たやすく挑発にひっかかってくださった。感謝いたします。ああ、ご心配なく。本当に死ぬわけではないのでしょう? 高位の精霊は。ただ、積み重ねてきた記憶が白紙になるだけで。あ、それと。精霊に対する戦闘の教授は、父と、キールから受けていますから」 シン自身、言ってはじめてわかったのだが、自分はどうやらそうとう本気で、怒っているようだった。 ……それも当然か。 キールを殺した相手が、目の前にいるのだ。 『あなたに、一体何がわかるというのです……!』 「それでも、殺したのでしょう? 己の行動の理由を他者に帰するのは、三流です。己が考え己が決め己が責任をとる。その自負あって初めて人は尊い。……ですが、まあ、貴方は人ではありませんから」 シンはにこ、と笑った。 それは表面上は単純に見えて、背筋を寒くするような酷薄さに満ちた微笑だった。 「死んでください」 § § § かなり存在が希薄になった死の精霊をシンはいい気分で観賞した。 しかしいきなり相手が体を翻して駆け出したので、シンは舌打ちしつつ追う。 言葉の戒めをかけておかなかったのは、ミスだった。 逃げない、と相手に言わせておけば、精霊はうそがつけない。逃げられなくすることができたというのに。 奥は複雑に道が交差していた。右、左、一つ右……。シンは記憶しながら後を追う。 やがてついた空間で、シンは立ちつくした。胸の前に上げておいた腕を両脇に下ろし、無防備になったことも記憶になかった。 やや大きめの空間……縦に細長いのは鍾乳洞である以上仕方ない……に、人間用の家具が一式揃っていた。 本棚、机、寝台。 そこまではいい。死の精霊が寝台の上に浮かんでいるのもいいとしよう。 でも、あれは、いったい、誰だ? 「ほら。シンは、来ただろう…?」 誇るように、そして少し寂しげに、その空間に声が響いた。 転がり落ちてしまうのではないか、というところまで、目を、見開いて。シンは突然現れた第三者を見つめていた。 本当に驚きを感じたとき、人は問い掛けることすらできなくなるのだろう。 声を発することもできず、白い脳裏には何の言語も浮かばない。 「リルレーン、ありがと。シンつれてきてくれて」 寝台に腰掛け、死の精霊をねぎらっている相手を、シンはよく知っていた。 「……、キール?」 「そう。あれ? リルレーンから聞いてないわけ?」 『言ってませんから知るはずもないですね』 「リ、ル、レーン! で、それで、ずたぼろにされたわけ? ったく……。緑の座を甘く見るなっていってんのに」 「……キール?」 神などいない。 どれほど神に祈っても、死者は戻らない。 だからこれはキールの偽物だ。 理性はそうささやくのに、なんてこの偽物はキールによく似ていることだろう。 喋り方も発音も、キールそのものだ。 「シン……? 大丈夫か? 俺、生きてるよ。大丈夫か? シン?」 キールによく似た他人が立ち上がって、シンに近づいてきた。 シンの頬に手をふれ、覗き込む。 「シン。おれ。わかる? キール」 「本当に……?」 「うん」 「本当に?」 「そう」 「絶対に?」 「そうです」 「―――じゃあ、半殺しにしても自業自得だな!?」 キールの顔が引きつった。 「ちょ……まっ……」 待たなかった。 シンは足を振り上げ、キールの足を思いきり踏んだ。足の甲の骨が折れるか少なくともひびが入る勢いで。 ……足から伝わった感触は、折れた方だった。 「だーれが待つか。わたしが、どれだけ、どんな想いでっ……」 あの苦しみ、あの塗炭をなめる葛藤。 キールの死を受け入れることができずに、自分に何度となく言い聞かせた。 悲しみで胸がはりさけそうで、だからそこから逃げて、でもそうしていても始まらないと無理矢理に自分を叱咤して――あの、想いが。 それ以上は言葉にならず、右手をあげて顔を覆った。 目蓋の裏が熱かった。 「……シン。ごめん。泣くな」 「……だれがっ」 キールが足を癒し、シンの肩を抱き寄せて囁くと、シンはそう強がりを言った。 「ごめん――…」 長い髪に手を梳き入れて囁く声はキールのもので、永遠に失われたと思ったもので……、シンは今初めて、神を信じてもいいと思った。 「殺されかけたよ、確かに」 キールは水をシンに手渡しながら言った。 味もそっけもない飲み物だが、ここにはこれしか飲み物はない。シンも素直に受け取った。 二人揃って寝台に腰掛け、シンがキールに事情を聞いていた。 死の精霊は、シンをひっかけて満足したのか、もういない。 「精霊に?」 「精霊に。シン、彼らを善良、だなんて間違っても! 思っちゃいけない」 シンは渋面になった。 「いや、間違っても思わないが。死の精霊は見事に騙してくれたしな。嘘は言わないって言ってたのに……」 「嘘は言えないよ。ただし、俺とご同類。間違われやすい表現を好んで多用する」 ……処分した、キールですら敵わない……。 「確かに、殺したとは、ひとっことも言ってないな。で? 調停者をやめるって言って?」 「殺されかけて、で、リルレーンが妥協案。人間として、殺そうってことになった」 死の精霊……キールの友人は、本当に友人だったらしい。 「人間として?」 キールは肩をすくめてみせた。 「俺はもう、調停者じゃない。でも、人間でもない。俺の名前も身分も地位も何もかも、死者の列だ」 「そうだ! あの死体は……!?」 「俺が、殺した、ひと」 シンは視線を右に変えた。 ……予想はしていた。キールが姿を見せたときから。 しかし、キールの死体をみたときそれを想定していなかったのには、理由がある。 「姿変えの術で俺に変えた。ただし、姿変えは最高難度の大技のうえ、対象は自分ひとり。誰かにかけて、俺と同じ顔にするってわけにはいかないから、学院から一人さらった」 困難すぎるのだ。 「……」 「体の組成を一から組み立てなおす技だし、もう死んでる。ナギでも見破れないね」 「入れ代わりは無理だけど……と?」 「そう。入れ代わりをやろうと思ったら、情熱と頭と時間がなきゃ駄目だ。生まれたときから一緒にいるイールにはできても、姿変えで姿だけ同じになった人間にはできないね。人は人を、顔だけで認識しているわけじゃない。ましてやナギは、イールのおかげで同じ顔の人間を見分ける術は達人並みだ」 「……つまり、お前は、自分のために、罪もない人間をさらって強制して殺したんだな?」 冷えた声だった。 そしてキールは、キールの特徴である悠然さを崩さず、うなずいた。 「そう。……俺が、自分のために、私利私欲のためにした初めての犯罪。……俺を殺す?」 「………」 正直なところ、シンは迷った。 キールの顔を見ているうち、短時間だが深刻な葛藤は幕を下ろした。 「……殺せれば、楽だ。わたしはお前が生きていてくれて、嬉しい。お前とこうして言葉をかわせることが、こんなにも喜ばしい。わかった。何とかする。一生に一度のわがままだ。わたしには、お前は殺せない……」 顔の半面を手でおおい、苦鳴のようにつぶやく相手の手を、キールはつかんだ。 シンがはっとして目を上げると、キールはゆっくりとシンの顔を隠す手をずらして、目と目があった。 「あ、その……ナギやイールにはいつ言うんだ?」 なぜかシンは焦ってしまった。 キールはしずかに言う。 「言わないし、会わない」 「えっ!?」 「復唱。もう一生、会わない。だから、言わない」 シンが衝撃を表に出す事があるとしたら、この時がそうだった。 それでも即座に立ち直ったのはさすがで、問い返した。 「―――なぜ?」 「だって俺、死人だもん。せっかく手間暇かけて「死者」になったのに、家族に会いに行ったらいっぺんでばれる」 「でも! ナギもイールも泣いて、苦しんで……!」 キールはすっと目を細めた。目線はまだからんだままで、シンは辺りの温度が何度か下がった気がした。 「俺が殺した相手の家族も、泣いて悲しんだよ」 言葉をなくした。 ナギやイールを特別扱いするのは、シンの一方的な差別にすぎない、と。 キールは真摯な表情で告げた。 「俺はお前だけでいい。何かを得るために何かを捨てなければならないんだとしたら、俺はお前を最優先で選ぶ。お前が得られるなら、名前も家族もいらない」 激しい口調ではなかった。激しさも含んでいたけれども、それは奥に秘められていた。 なんと残酷な言葉だろう、切り捨てられる側にとったら。 そして、選ばれる側にとったら、なんと心地よく人を酔わせる言葉だろうか。 キールとの相対距離が縮んで額に唇があてられたとき、シンは目をつむった。 目蓋に、頬に、鼻梁に、唇に。 「…っ、キール…!」 シンはキールの首をかきいだいた。 失われたと思っていたはずのものがここにある。 いとしさが胸に満ちて、息もできなかった。 「シン……」 つぶやきは、そのまま睦言だ。 放り出された手に、キールの温度の高い指がからんだ。 肩から首にたどる線を手でなぞり上げられて、腰が浮いた。 平衡感覚が一回転して、気がつけば寝台の上に横たえられていた。長い銀色の髪が白い敷き布の上に広がった。 「き、ちょ……!」 キール、ちょっとまて。 その抗議は唇でふさがれた。 唇を唇で割って、熱の塊が侵入してくる。奥歯をなぞりあげられ、口腔内が満たされる。 「ん……!」 口付けゆえではない息苦しさに、シンはキールの背に回した右の手に力を入れた。 握りしめた服は粗い手触りで、どこか遠い記憶を思わせた。 服がしわになる。 熱っぽい口づけを受けながら、ぼんやりとどこか平和にそんなことを思って、シンはゆっくりと指を一本一本開いていった。 ようやく唇が離れたとき、シンは息を荒くして頬を紅潮させていた。 「……キール。逃げないから。だから、ちょっと、待て…」 「シン」 キールは寝台の上に組み敷いていた左手を取って、唇をふれあわせた。 「ごめん。それと、……愛してる」 心臓がはねた。 「愛して……?」 「俺はこの世で誰も好きじゃなかった。でも、お前だけは愛してる。リルレーンと賭けをして、もしもお前がここに来たら俺の勝ち。もしもお前が来なかったら、俺の負け。そういう賭けをした。お前が来なければ俺は自分の全てを無為に失い、お前が来れば俺は俺の全てを失った以上のものを得る。お前が来てくれて、どれほど嬉しいか、きっとお前にはわからない。……抱いてもいい?」 負かされた子供のような顔で、シンは一気に顔を紅潮させた。視線をそらし、 「……嫌だとは一言も言ってない。ただ……あーもう、ちょっとどけっ!」 キールをおしのけて寝台から起き上がる。 キールはシンの動きにあわせて寝台を降りようとした長い髪の一房をとらえ、口づけるとすぐに離した。 「街中じゃ……新しい緑様の話題がいまだに衰えていないけど。お前の人気、すさまじーったらありゃしない」 「顔だけの人気だ。すぐにさめる」 シンはそっけない。いや、冷静というべきか。 「すぐって言うには、五年は長いと思うけど。皇宮で職を希望する窓口には列ができ、街中の噂を独占している。そのお前と髪に接吻できる仲だと知られたら、即座に殺されるな、きっと」 自嘲のこもったキールの表情を見ながら、シンは服の襟ぐりに手をかけた。 左右が合計六個の組紐で合わさる型の上着の紐をほどく。衣擦れの音は、期待に似ている。 服を脱ぐと、足元に落とした。 「あ……そうか」 見ているキールの顔に、微苦笑が浮かんだ。 「観賞してないでお前も脱げっ」 自力でしか脱げない服というのは、これだから厄介なのだ。否が応にもまったをかけないといけない。 ……あれ? 記憶がない日、シンは起きたとき、全裸だった。憶えている。ならば、あれは自分から脱いだのだ。 ……あとでキールに聞けばいいか。 シンはそれで終わりにした。 張本人に聞けるのだから、何も問題はない。 ……それに、シンもキールが欲しかった。 人肌の感触を心地よいものとして感じることのできる自分が不思議だった。 触れてくる手が、多少の強引さと緊張のこもったものである理由を完全な共感のもとに理解して、キールの手をとり頬にあてた。 「――大丈夫。ここにいる」 愛しさからくる信じられなさに、不安に思うのはお互いに共通した事で。 恐怖も緊張も、おびえすら、愛するがための物だった。 合わせた胸の下で、シンが名前をよぶ。 快感に酔っている蕩けた顔は、普段の犀利な陰謀家の印象を崩してあまりあった。 「キール……」 その唇が白い歯を見せて割れ、自分の名を呼ぶ。 陶器の人形よりなお整った顔立ちの美しい青年にまったく無防備な顔で名を呼ばれたとき、キールはふと、恥も分別も持っているはずの大人が、その全てを捨てて入れ揚げてしまった理由が、わかるような気がした。 もっとも、そんなことを言おうものなら一生許してもらえないだろうから、キールはその考えをひとり、胸の奥にしまったのだけれども。 寝台は、お互いの情熱に疲れ果てた二人が沈んでまだゆとりがあった。 シンは寝台に右半身を下にする半身になって、頬杖をついてキールに話し掛けた。 「……一人ぶんにしては、広いな」 「そりゃまあ、買ったの二日前だし」 「二日前!? となると……お前と五年ぶりに会った日か」 てっきり、五年の放浪生活の間に買ったものと思っていた。 「正確には寝こけていたお前を運んだ後。店行って金貨で顔張り飛ばすようにして起こして、一番大きいのを買った」 「なぜ?」 キールは俯せに、腕を支えに顔を起こしていたが、素直に聞き返されて腕に顔を埋めた。 そのままの姿勢で呻くように言う。 「……シン、お前、俺がお前を好きだってこと、わかってないだろ。過去にしようとして、五年離れた。でも顔をみたら、やっぱり駄目で。過去にできない想いが胸を灼いて……。すべてか、零か。それに賭けようと決めた」 「あ、そーか。わたしと寝るためか」 キールは再び沈没した。 「……つくづく思うけど、お前、どこかに何か置き忘れてないか? 情緒とか、気遣いとか、場の雰囲気を読む力とか」 キールの嫌味を聞き流して、シンはつぶやいた。 「……ああ、そうか。それで、お前、わたしの所に来た直後に死体になったわけか……。あの時は、私のせいかと思った」 「シン」 いきなり、キールが腕をつかんだ。 「いいか、絶対に誰にもこのことは言うな。ナギにも、イールにもだ。俺は、二度と彼らの前に姿を現す気はない。死んだままなのが、一番いいんだ」 「―――キール。腕をはなせ」 冷えた声に、キールは素直に手をはなす。 指図、もしくは命令されるのが極端に嫌いなシンはそうさせてから沈思し、うなずいた。 「……わかった。黙っている。ちなみにお前が生きていることがばれたら、どうなる?」 「そりゃもちろん、ナギもイールも殺されるさ。それでもって俺は首輪つけられて牢獄行き。なんせ、そっくり同じ顔の死体がもう万人の目にふれてる。俺が生きているとわかれば、それをしたのは誰なのか、誰の目にも明らかだ」 シンもうなずいた。 「そうだな……。ところで」 「お前の記憶がない日については知らない」 「〜〜〜〜キール。知らないで済むと思っているのか? お前がやったんだろう」 「俺がやったよ」 意外にも素直にキールは首肯した。 「俺、お前と会ったとき、イールと会ってるかって聞いただろ。お前が頷いたとき、ばれてるだろうって予測はついた」 そういえば、酒を酌み交わしたあの夜、確かにそんな話をした。 「なら……」 「でも、いやだ。あ、そうだ。俺が死ねば記憶は戻るよ。どうする?」 キールはシンの手を、鼓動の真上にあてた。 シンはその手を力ずくで引き戻して、キールを眦を吊り上げて睨んだ。 「あんな想い、一度やれば充分だ。それぐらいなら永遠に記憶が白いままで結構。……なぜ教えられない? それも駄目か?」 「それはいい。……平たく言うと、保険」 「ほけん……?」 「そう。精霊にとって、えらく都合の悪いことをやーまほど喋り倒した。もしも俺が殺されれば、緑の座たるお前にその情報が行く。よって精霊はなんとしてでも俺を殺せない。……あれ? シン?」 シンは寝台に頬杖をつくかたちでキールの方を向いていたが、その腕の位置がすべっていて、額をおさえていた。 「じ……事実は想像の上をいくな……。まさかそういう事情だとは……。てっきり」 「てっきり?」 笑みを含む問い返し。 なんということのないやり取りだけれども、その時に浮かべたキールの顔にシンは衝撃をうけた。 キールのその表情はいつになく満ち足りて幸せそうで、シンは言葉を返すことができなかった。 ……キールが幸せでなかったというのをシンが実感したのは、その瞬間だった。 そして、キールの幸せは自分が与えているのだという認識が湧き起こり、それはシン自身も幸せにした。 「……本当にお前としたのかと思った」 「途中まではいった。たしかに」 「……それ以上は言わなくてもいい。想像はつくから」 ナギとイールが口をそろえて言った。 シンがキールに告白……×××。 それに、真実に嘘をまぜるのが一番ばれにくい嘘だということを考えあわせると……、はなはだ、都合の悪い結果が導きだされるのだった。 「……私がお前を押し倒したんだろう? 嬉しかったか? 迷惑だったか?」 「嬉しかったけど、後が地獄。だって俺もお前のことを好きだったから、顔見てるのがつらかった」 「でも、いつから? いつから……?」 キールは笑った。 演技じゃない、はにかむような笑顔だった。 「お前と、おんなじ」 シンは思い出していた。シンがそう告げたとき、キールの瞳にはしったおののきを。 「お前もそうだって聞いた瞬間、もう駄目だって思った。押さえるのも、秘めるのも、もう限界だって。時間で風化させてしまえと思ったのに、顔をみた瞬間に時間が戻った。時間で変わらないものなんてない。そう思っていたけど、風化できない想いも、万のうちに一つぐらいは、本当にあるんだって知った」 「でも……なぜ?」 キールはやわらかく笑った。 「俺は、心配されるのが当然だと思うほど、傲慢じゃないよ」 「あ……」 「自分の行いも、ちゃんと自覚してる。なのにお前は、いつでも変わらず俺を心配して、怒鳴って、毛布をかけた。もちろんその時は何とも感じていなかったけど――夜明け前に、意識が戻って、肩にかけられた毛布に気づく時に、少しずつ想いの嵩が増えていった。 散々、嫌がらせをしたのにお前はしょうこりもなく俺を心配しつづけた。……自分を嫌って憎んでいる人間から、心配されたこと、あるか?」 「……ない。殺されそうになったことは山ほどあるけど」 「俺は、そういう矛盾に囲まれた。でも、自分を嫌っている相手からだからこそ、恥じるような居たたまれないような、それでいてとても嬉しい気持ちになった。それに、知ってるよな? お前、ほとんどかんぺきに俺ごのみ」 「……知ってる。意志が強くて、我が強くて、未来に流されるんじゃなく切り開いていく様な人間が、キール、お前の好みだ」 「大正解。……そういえば、シンの好みは、俺知らないな」 「私も、自分がどういう人間が好みか、よくわからん。お前がお前だから好きになった。それだけでいいだろう?」 「ん……」 隣のキールに、覆いかぶさるキスをして、キールの裸の胸を、指でたどった。 ふと思いついて、赤い跡を残す。 普段シンは、相手にそのような跡を残すことはないのだが……。 体の上から下へその遊びは移動して、キールは苦しげな声をあげた。 「ちょ……シン」 体は自然と反応してしまう。 「……いいよ。しようか」 その反応をながめ、艶めいた顔を作って、シンはキールの顔の脇に、腕をついた。 死者となったキールの未来はお世辞にも明るいとは言えないが、さいわい、シンは金にも権力にも不自由しない身の上である。 キールに死なれたと思ったときは、悲嘆と絶望と逃げと叱咤とが混ざり合って、ただ、苦しかった。 意地の悪い「伝言ゲーム」の果てのキールの遺書には、ここの居場所が書かれていただけだった。 あの時はただ、首をかしげるだけだったけれど、今ならわかる。 死者となって、過去と未来を全て捨てたキールは、ただ1人シンだけを選んで、招待状を送りつけたのだ。シンでなければ気づかず、見つけられない暗喩。万が一間違ってイールやナギに発見されても、意味はわからないだろう。 それは、家族も何もかも捨てて、シンを選んだという意思表示だった。 そうでなければあの「遺書」は、「家族とシンにしか意味がわからない」様に書かれるだろう。 キールが鍾乳洞を探検中、縦穴に落ちて足を折った洞窟、なんていう書き方ではなく。 個人指定の「一緒に歩む未来」への招待状。 キールは、その受取人にシンを指名してくれた。そしてシンだけが、キールの死という不愉快きわまる事実を塗りつぶして、その上に新しい絵を書ける。 ナギやイールは、おそらく、これからもずっと、キールの死を受け止め、耐え、うちひしがれて、その死を受け入れるのに多大な努力を費やし絶望を乗り越えていかなければならないに、違いない。 心が痛む。それは甘い疼痛をともった罪悪感だった。 選ばれた側の。 輝かしい未来や、家族。……まあ、友人は皆無に近い人間だからいいとしても、それらの物と引き換えでしか、キールはシンを選べず、それでもキールはシンを選んでくれた。 それが嬉しく、そして何より。 「お前が生きててくれて、よかった……」 それ以上の言葉は必要なく、長い髪が寝台の上に沈んだ。 |
お、おわ……った。
あーつかれたつかれた。
終盤はともかく、中盤が地獄でした。
どんどん長くなるわ、書いても書いても書かなきゃいけないことは一向に減らないわ。
シンがキールを好きになった理由をほしいなー、キールがシンを……以下略と思ったのが運のつき。
でまたしょうこりもなく例によって、「ふっくせん、ふっくせんっ」と一話で引いちまったから、長くなるのに拍車をかけること。
みなさん、だまされてくださり、ありがとうございます。
キールが死んだとき、友人連から非難ごーごーでした。
タイトルもだましの手口ですよねー。なぜいつものように、小説の末尾に、BACKやNEXTとしなかったか、というと、タイトルって往々にして、見落とされるんですよ。私がそうですから。
でも、遺書2に進む、と書かれていたら、見ずにはいられないでしょう? ふっふっふ。
タイトルのおかげで信憑性も高まりまして。無事、キールくんは惜しまれつつ死ぬことができました。こういうのって、信じてもらわないと、意味がありませんから。ジャンプの「死」なんて、はなから信じてないので、ぜんぜんちっとも悲しくなかったりします……。
久々に、書いては削除、をしました。削除した枚数は、アップされた分とほぼ同数です。
リクエストは、シン(男)とキールのらぶらぶ。
……どーもラブになってないよーな気がしますが、私の基準では、「らぶらぶ」なんです……。
教訓。
喉元すぎれば熱さ忘れる←ぜんぜん教訓をえていません、この女……。