遺書2

 



イールが久々に家に戻ると、食堂で料理をつまんでいるシンに出くわした。

「あれ、……シン……さま」
「さまは要らないよ」
 シンは苦笑して言う。
 辺りに人はいず、しんと静かな食卓で、一人でシンは食事を摂っていた。

 イールは首をかしげる。
 なぜこんな所にいるのだろう、とはいくら何でも思わないが、なぜ一人で食事をしているのだろうとは思った。

「……キールは?」
「出ていった」
「はあ!?」
 イールは耳を疑う。
 初耳だった。

「ど、どこへ!?」
「さあ。どこへかな。気ままに旅をするって言ってたけど」

「―――緑様。いいえ、シン。何があった?」
 イールは食卓に手をついて、ずいっと身を乗り出す。

 イールの顔を間近で見たシンは、外れた回答をした。
「……つくづく思うけど、ほんとに似てるなぁ」

「耳タコだよ、その台詞」
「入ってきたとき、一瞬、てっきりキールが気を変えて戻ってきたかと思った」

「何なら、キール風に振る舞おうか?」
 あくまで話をはぐらかす相手に、イールは苛立って言った。

 発音、口調、言い回し。
 人のことばには独自の個性がある。
 イールはイールの、キールにはキールの。

 だから人が他人に成り代わるのは、たやすい事ではない。たとえ顔だけ同じ他人でも、話していればすぐに判ってしまう。

 逆にいえば、その個性まで完璧に真似ることができるからこそ、双子は見事な入れ代わりができるのだ。

 単語の微妙な長短。音程の上下。
 言葉にはリズムがあって、キールとイールはお互いの口調と発音、仕草、クセまで、再現することができた。

「声を聞いていると、尚更騙されそうになるから、いい」
「キールと、何があったの?」

「イール。いい加減私も君たちの見分けがつくようになったんだけどね。イール……だよなぁ。ま、平たく言うとだね。ふられた」
 イールは文字通り仰天した。
 天井に向けて言葉を吐き出す。
「ふったあ!? シンを!! キールの贅沢野郎っ!」

「うむうむ。そーだよな。それが普通の反応というものだ。……イール。君の初恋はいつ?」

「……初恋? さー。あ、お店の店員さんかな」
 イールは首を傾げながらいい、シンはにっこりと笑う。

「私は兄だったな。ま、誰でもそうだと思うけど。子供の一番の恋は親だよなぁ……。 で、次がキールかな」

 イールは複雑な顔で、椅子を引き座った。
「……ねぇシン」

「言いたいことは、だいたい想像がつくよ。どーぞ」
「あの状況で、よくまあキールを好きになったね」
 イールのシンとキールの図というと、周囲を寒冷地獄に落としこむ陰険な言葉の暴力の応酬か、あるいは実際に喧嘩しているか、はたまた学術的な論争をしているか、ぐらいしかない。

 仲は、よかった。…………意外と。
 でも、どう考えても、恋、が生まれる状況ではないような……。

 シンはやや考え込み、言った。
「イール。キールが夜中に散歩しているの、知ってる?」

「え……?」
 イールは言葉につまった。
 これも、初めてきく事だった。

「知らない」
「やっぱり。家族に対しては手抜きしないんだからな、あいつ……」
 シンはぶつぶつと呟き、イールの方をむいた。

「夜中にキールは、散歩する奇癖がある。信じられる? あいつは、冬場に、雪のなかを、服一枚で出ていくんだ。夏でも春でも秋でもやるけど」
「馬鹿な! 凍死する!」
「普通はする。ところがあいつはどこからどこまでも普通じゃない。そして、相手の言葉が届くような状況でも、ない」

 シンは自分の頭をとんとんと指で指した。
「人間は極度に精神が集中すると、痛みも寒さも感じない。あるのは圧倒的な感情だけだ。恐怖か、興奮か……。闘士は戦闘中は傷の痛みが判らない。戦いが終わり興奮がさめ、集中力が途切れると、やっと認識できるようになる。ま、推定だけどね。凍傷になるはずの手足がピンク色だったんだから、わからない。
ただ……キールは、孤独だった。世界でただ一人、素裸で投げ出された孤独が、見る僕の胸にせまった」

「孤独……」
 イールには、何も言えなかった。

 なぜならイールも、キールにそれと同種の翳を発見していたからだ。
 その翳がどこからくるのか、どうすれば消せるのか、とうとう判らなかったけれど、シンには、判るのだ。

「そして、孤独と戦いつづける事への絶望と疲労。―――正直言って不思議に思ったよ。キールには前途に何の不安も問題もない。悲しみや怒りを分かち合ってくれる家族もいる。なのに、どうして――と。でも、キールは外へ出ていく。一人で、何もその身を守ってはくれない外へ。そして、ただじっと、風にふかれる。
 そして私は、それを見るたび、キールを怒鳴りつけて、毛布を引きずってかぶせる。キールはもちろん表情一つ動かさずに自分の内面に閉じこもっていたけれど、それはいいんだ。だって、私は、自分がそうしたかったから、そうしたんだから」
 シンは首を傾け、苦笑した。

「その時、私はキールの感謝が欲しかったわけでも、キールが行動を改めることを期待していたんでもない。ただ、あいつがいなくなるのが嫌で、つらそうで、何でもいいから何かしてやりたかった。キールは、自分の傷を誰かに訴えない。ただ、耐えられる限度まで耐えて、夜中に散歩に行く。それは、誰にも期待していないから。誰にも自分の傷を癒せないと見極めて、だから誰にも語らない。 誰にも期待できない……。あいつは誰よりも一人だ。
……だからかな。なんだか、我ながら理由になっていないような気もするけど」

 イールは静かに頭を振った。
「ううん。……シンは、キールにお前は一人じゃない、って、言いたいんだ。ここに、自分が側にいるから、もう悲しむな…って。知らなかった。
シンって、ほんとにキールのこと、好きなんだ……」
 シンは苦笑した。
 それは長い付き合いのイールから見ても、これまでで三本の指に入るぐらい、いい顔だった。

 イールは慌てて顔をそらし、そむけた耳に、シンの声が聞こえた。
「……そうかな。そうなるのかな」
 その声の調子は、イールの胸に傷を作った。

「シンなら、キールの心を開かせることもできるかも…。僕は駄目だ。ナギも駄目だよ。その他の人は、問題外だし」
「あいつ、そういうところ、ほんっとに容赦ないからな」
 キールは「大切」「大切でない」を区切る線が、この上なくはっきりしている。……キールと親しい人間から見ればだが。

 如才無く人当たりのいいキールは、友人や知人はいくらでもいるが、家に連れてくることさえない「友人」である。
「あいつは、絶対、イールと知人百人、どっちを選べって言われたら、一瞬も迷わずイールを選ぶぞ、ぜったい」

「いや、そこまで絶対を連呼しなくても……。シンって、キールのことすごく好きなのに、キールのこと悪し様に言うね」
 イールは毒を持って言ったのではなく、笑って続けた。
「シンらしい」

「……まあ、キールのことよく知ってるし、なんというかあれだけ悪口と皮肉と嫌味を言いあった相手だし、有り体に言うと、精神骨格の表も裏も知ってる相手だし……」

「何いってんの。弁解なんてしなくてもいいよ。誉めてるんだから。なんていうか……、そういう関係って、いいよ。あったかくて、通じあってて。―――で、そう言えば聞いてなかったけど、どうしてキールは出ていったの?」
 イールのするどい指摘に、シンは完全に不意打ちをくらった。
 一瞬呼吸を止めて、すぐに吐き出す。

 イールのこういう鋭いところ、話を誤魔化そうとしてもたやすく誤魔化されてくれないところが、中々に骨が折れるのだった。

「しょーがないなぁ……。キールは私をふった。で、顔を合わせたくないって言って、出ていった」
「……それは……」
「私は、完膚なきまでにふられたんだよ」

 イールはしみじみと思った。
 キールのばか。
 イールの職場でも、このたびの緑の座の妙なる美しさに、熱を上げる人間が続出している。まさかその緑様がイールの幼馴染みだとは、誰も思いもよらない事だったが、時として事実は物語に勝る意外性を発揮するのだ。

 イールはシンが緑の座になるずっと前から知っている。
 無名の、ただ単に皇族であるという名目だけの無力な子供であった頃から。もっとも無力と形容するには、その容姿はあまりにも磨ぎ澄まされた美しさを周囲に投げ掛けていたけれど。
 仮にここにキールがいたら、イールは思いきりその頬をつねってやっただろう。

 イールはたぶん、切札を握っている。
 イールの勘は、「そのこと」をシンに話せば、事態が大きく転がりだすと告げていたが、その前に聞いておきたいことがあった。

「シンがキールを好きだというのは、キールを利用したいからじゃ、ないんだね?」
 これまでの話に嘘を混ぜていたってことは、ないんだね?

 シンは微苦笑で応えた。
「……キールと同じく、私も日頃の行いが悪いからなぁ。
昔は、そうだったよ。私はキールが欲しかった。皇宮の中で、信頼できる人間が、私は一人でも欲しかったんだ」

「……信頼?」
 キールに?

「信頼。時間っていうのは、本当に不思議だね。牛乳が発酵して固形になり、果実が酒になるように、人の感情までも原型を留めないものに変えてしまう。毎日罵りあいと暴力の日々。でも、私は、キールを信頼していた。 私はキールをよく知っていた。あれは――金でも地位でも、動かない人間だ。買収されない人間。口もかたい。そして誤魔化しも装飾もせずに率直に物事を言う。それは、信頼をするに足る人間だと思わないか?」

「……うん。そうだね」
 考え、イールは力強く頷いた。

 口が堅く、買収されず、思ったことをありのままに伝える。
 キールはそういう人間だ。

「キールがそういう人間だと、見極めて、私はやーまほど誘惑した。ああいう人間は、愛情を勝ち取るのはとても難しいけれど、そのかわり誰かを愛したら決して裏切らないから」
 
 イールは目を見開いて、シンを見つめていた。
 やはりシンも、皇族なのだ。
 人を評価し、観察する。弱点をさぐり、利用する。

「……でも、今は違うよ。だいたい、そういう誤解をされるとわかっていたから、緑の座になるのを待ったんだろう? キールを利用する必要なんて、もうない。私は、緑だ」

 私は、緑だ。
 ……緑の、座。
 イールは目をふせ、決心して上げた。

「シン。シンが酔っ払ったあの日ね、キールは、半日たってもまだ、寝てた」

「……? それが、…」
 それが何、と言おうとして、シンの舌は軽快さを失った。

「………イール。ありがとう」
 長い時間をおいて、シンはそれだけ言った。





 五年―――。
 その五年は長かった。
 キールが謁見の間に姿を現したとき、シンは言ってはならないのだが、つい笑ってしまった。

 キールが渋面で言う。
「……人の不幸がそんなに楽しいか?」
「定型をあしらった物というのは、変わらず滑稽なものだ。……にしても、先年はそんな姿をしていたか?」
 いつもキールは、自分の属する家の服を着ていた。絹より数段質の劣る素材を使い、ただ防寒のためまた裸でいないための服、といった、一片の装飾もない質素な服を。

 しかしそれは、今回に限っては違った。絹の薄ぎぬを「ただ巻き付けただけ」の姿だった。
 キールが腕を動かしたりするたび、それらがひらひらと動いて失笑を誘う。

「一応、これが、定められた服。前回前々回は、見極めていたから」
「見極め?」

「どの程度、こちらの調子でやれるか、どの範囲までなら相手が許容するか。緑の座の視点からいけば、草の民の服装は質素というよりただの布だろう? 当然、無礼と映る……」

「なるほど、そういうことか。自分の流儀をあえて変えないことで、相手と自分の力関係を誇示し、ついでに秤にかけていたんだな。……さて、本題に移ろうか?」
 シンもキールも、二人とも大人だった。
 余計な無駄口をたたく時と、その範囲を理解し、速やかに仕事へと移行した。

 さして時間のかかることではなく、全てを終了させると、シンはまじまじとキールを見た。
「……なんだ?」
 居心地悪げにキールが問い返すと、シンは笑顔を向けた。

「元気そうで、よかった。お前は徹底してわたしを避けていたから。ナギには会いにいくくせに、私には会わないし」
「その理由は判るだろう?」

「ああ。……だからこそ、つらかった。こんなことを言うとまたお前が何かしそうでつらいんだが、会えて嬉しいよ。元気そうで、よかった」
「……」
「私は今でもお前を愛している」
 キールは、何も言わずに凝然と立ち尽くしていた。
 その反応を見て、シンはおやと思う。

 自分の一方的な想いだと思ったが、どうやら違ったらしい。
「酒肴の用意をした。飲むか? 帰るか?」
「……饗応にあずかります」




 皇宮にはくさるほどある空き部屋の中でも特に上質の部屋に、酒とつまみと寝台の用意が整えられていた。
 小さな卓は、四人座ればいっぱいになってしまうだろう。そこに二人が向き合って腰掛け、卓の上の酒を手杓子で飲んだ。

 二人とも黙していたが、気まずさはない。
 時間というものの偉大さは、それを共有する相手の気質を共鳴させ、ならしてしまうところにあっただろう。たとえ表面は反発ばかりであっても、時間の経過とともに、人と人は調和していく。

 そしてその調和はたとえ沈黙していても破れることなく、むしろ自由意志での沈黙と発言が許された、心地よい時間だった。

 「自由意志で発言する権利」に基づいて、最初に口を開いたのは、キールの方だった。
「お前は、いつになったら、皇族を作るんだ?」

「お前が次に来る頃かな。なにせ、地盤がためが大変だ」
 政権の移動には同時に凋落する者がつきものである。前代での寵臣が、次代になったとたん粛正されるなど、珍しくもない。

「で、また、殺しあいをさせるのか?」
 キールの台詞には、心やすい相手とのじゃれあいにとどまらせない微量の成分が含まれていた。
「そうだが、何か?」

 一方シンにとっては、何を分かり切ったことを、という程度の感想しかない。
「別に。……お前のこどもなのに、お前は平気で殺すんだな」

「はあ? 私にはわからないな。どうして、遺伝学上のこどもだというだけで、愛情を抱けるんだ? 自分のこどもであろうが何だろうが、いきなり出会った他人に愛情を抱けるものか」
 肉親への愛情に薄い、皇族の特質。それを彼もまた持っていたのである。

「自分がつらかったことを、他人に強制することへのためらいは?」
「ない」
 シンはあっさり答えて、杯を口元に運ぶ。いきなり酒が不味くなった。

 キールは違う角度から質問をした。
「じゃ、質問をかえようか。イールと最近、会っているか?」
「ん? ああ、ときどき……」

「出歯亀じゃないから、答えろよ。イールのこと、どう思ってる?」
「―――? さっきからお前の言うことはさっぱりわからんが……人間として、最高級に好きだぞ。それが?」
「人間として……ね」
 キールは苦笑した。
 そういう形容をされる相手は、いい人の典型でおわってしまうことを、キールは知っていた。

 シンがたずね返した。
「私も、お前には聞きたいことが山とある」
「何?」

「今は元気そうだが、衣食住はどうなってる?」
 意外な質問だった。

 意表をつかれてキールは目を丸くし、肩をすくめてみせた。
「人間用の必需品は、人間の町でしか手に入りません。ですから立ち寄って、手に入れて、あとは気ままに精霊の領域を右行ったり左行ったり。そーだ、お前が酒飲んで記憶喪失になった日のこと、思い出したか?」

 シンは肩をすくめてみせた。
「まったく」
「思い出したら、さぞ面白いことになるだろうな」

 キールがくすくす笑って言い、シンもげんなりとしてうなずいた。
「それを思うと、思い出す努力をする気がなくなる。思い出したい気持ちが半分、思い出したくない気持ちが半分……。どちらにも天秤は傾いていない」

 そう、傾いていない。
 あの日、いったい、何があったのか。
 シンは思い出したいとも、思い出したくないとも思う。
 心はまだ、定まらない。

 会話は途切れがちで、けれどそれぞれが自分のペースで話すことができた。
 話して、聞いて、話して。
 お互いのリズムは、しっくりと身になじんで、邪魔とも感じない。

「そういえば、お前、まだ夜中の散歩しているのか?」
 そうシンが聞いたとき、キールはわずかに表情を動かした。
「…ときどき」
「そうか」
 それだけで、他には何も言わなかった。

 ただ、別のことを言った。
「私がお前を愛するようになったのは、まあ山ほど理由があるんだが……一番はじめのきっかけは、お前の散歩だな」
「……!」
 その時キールの表情に、衝撃の異粒子が奔りぬけたのをシンは確かに見た。

 しかしそれは一瞬で消え去り、理性という漉し器によって取捨選択され残ったものは、いつもの表情だった。
 一部始終を冷静に観察していたシンは脳の記憶の片隅にそのことをピンで留め、キールの返事を待った。

「へえ? でも俺、お前のことなんか構ってなかったよーな……」
 いつもどおりの口調と態度は、さすがだった。

 シンも頷く。
 末期はほとんど反復動作のようなものだ。
 キールが出ていくと、毛布を持って追い掛け、かぶせて帰った。
「キール、お前はほんっとに完璧に無視するからな。怒鳴ろうが、毛布かけようが、眉一つ動かさない。しまいにはどついたろうかと思った」

「仕方ないだろう、一人になるのが目的で、ふらふら夜歩いていたんだから。あのときは自分の内面に閉じこもっているから、何言われても聞こえやしない」
「だろうな」
 シンは笑ってみせた。

 おそらくシンがキールを好きなのは、キール自身もそうだが、こんな風に、自分を偽ることなく、気を張り詰めることなく心地よく過ごせるところに負うところ大だろう。

 気のおけない友人との対話は楽しく、心はずむもので、キールがふと気づくと、シンが卓の上で寝息をたてていた。

 シンも酒には強いが、キールはざるである。

 キールは次の間に行く扉をあけて、そこが寝室であることを確認すると、そっと……シンを抱き上げた。

 


 うーん……。
 二回で終わらんかった……。
 ひょっとして、次回も駄目かも知れない。
 ひえええっ。
 すみません、許してください。

 更新遅くてすみませんでした。
 でもこれが精一杯なんです。
 最近これにかかりきりです。生みの苦しみを髄まで味わっています。
 書いちゃ消し、の連続です。
 ああ、終わる日が来るんだろうか……。

 

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