キリ番リクエスト200  杉浦明日美

 

 

 シンは皇族である。
 よってお金がないという状況は想像の外にある。

 キールはシミナーである。
 シミナーには多額の生涯年金が振り込まれており、よってお金がないという状況は想像の外にある。

 ナギはシミナーの親である。
 シミナーの親には多額の育成年金が支給されており、よってお金がないという状況は想像の外にある。

 イールはシミナーの弟である。
 もらっているお金はナギからの小遣いだけであり、よってお金がないという状況は常に身近である。

 今日も今日とて、イールは手持ちの貨幣に悩んでいた。
 草の民が貨幣を使う機会は一月に一回程度しかないが、今回は別だった。どーしてもほしいものがあり、それは自分で自作できないものなのだ。


 イールは自分の部屋で、手持ちの全財産を寝台の上に投げ出してうなっていた。
「うー……足りない」

 金策の都合や当ては、あるのだ。
 兄はもうすでにまともな金銭感覚などぶっとんでいる。その上家族に甘い。
 だから貸してくれと言えば、ほいほい貸してくれるだろう。
 イールにもそれはわかってる。
 
 でもだからこそ、やばい、という気がびんびんにするのだ。
 そんな方法に慣れてしまったら、それこそ人間として自分は駄目になってしまう、という第六感が、イールに歯止めをかけさせた。

 ナギだって、だからこそ、イールには普通の範囲内の小遣いしかくれないのだろう。
 イールは近い将来、自立する。
 家を構え、この住み慣れた家を離れる。

 草の民を辞めること自体ありえるかもしれない。

 それなのに、兄に金をせびって大金を楽してもらうことを憶えてしまったら、とんでもなくやばい。
 となると、自分で稼ぐしかないのだけれど、イールはまだ成人していない。
 労働による賃金はもらえそうにない。

 となると、狩を目いっぱい頑張って、臓器や皮を売り払って……。
「……貸そうか?」
 その様子を戸口からしばらく眺めていたシンが言った。

「シン! いつからここに!」
「ついさっき」
 少々呆れ顔で、シンは言った。

 草の民は気配に非常に敏感だ。
 いつもなら、イールはシンが入って来たと同時に気づいただろう。

 シンは相変わらず美人だった。
 腰までの長い白銀の髪(切ったらちょうだいと約束してある)。
 歩き方、姿勢の一つ一つにいたるまでが無駄なく洗練された動作で、絵になると同時に彼の高貴な生まれを物語る。

 イールはシンより美しいと感じた相手に、会ったことはない。
 
 シンは戸口から近くまで歩み寄り、言う。

「10テグザまでなら、無条件で貸すけど?」
 イールはしみじみと脱力した。

「しん〜。10テグザあれば、土地つき一戸建てが買えるよ…」

 やっぱりこの幼なじみの金銭感覚ってずれてる、と思いつつ、言ってみた。

「一緒に街行かない? 贈り物したいんだけど」
 シンはしばらく黙ってイールを見つめていたが、やがて言った。
「−−−誰に?」

「恋人に」
「えええええっ! イールって恋人いたのっ!?」

「まさか。まだいないよ」
「……? ちょっと待った。よくわからないんだけど。えーと、イールは恋人いなくて、なんで恋人に贈り物ができるの?」

「これから作るから」
 シンはさらに変な顔になり、深々とため息をついた。

「……イール。贈り物したって人の心は得られないよ。むしろ、恋人でもない相手に贈り物を要求しようとするような相手は、やめといた方がいい。いや、やめろ。そんな性悪、イールが傷つくだけだよ」

「……そんなもんなの?」

「そーゆーもんなの」
 シンが断言する。そこまで断言されては面白くない。
「なんでシンにそれがわかるのさ」

「僕がそういう性悪だからだよ」
 ……そういうことは、きっぱり言わないでほしい。

 めげたイールとは対照的に、シンは腕組みをし、真顔で厳しく言う。

「僕に一目ぼれする相手の半数は贈り物で攻めてくるけどね。大抵受け取るだけ受け取って、中身叩き売って終わりだよ。金や物では人の心は買えない。買えるとしたら体だけだ。僕はむしろ贈り物をしてきた相手をせせら笑う。金で僕を買えると思っているのかと、軽蔑する。
 金で買える贈り物なんかより、自作したもののほうが、ずっと心は伝わる。極端な話、僕に惚れてる相手は道端の石ころでも僕にもらったものなら家宝より大切にするだろうね。

既製品の贈り物を要求するような、そんな相手はやめといたほうがいい。 イールはほんとにいい子だから、そういう相手に引っかかったら骨までしゃぶられるよ」

「……暗に単純って言ってるような気がする」

「言ってるよ。だってイールって、ほんとに可愛い。世間ずれしてない。その上実家は大金持ち。これで、悪いのに引っかかったら最悪」

「……キールに対しては、そんな事言わないくせに〜」

「当たり前じゃないか! キールを誘惑できる相手がいるなら見てみたいし、あんな奴、どこぞの性悪に引っかかったらぜひその性悪を応援するに決まってるだろ。うんうん、キールはどうなろうが知ったことじゃないし、心配もしないけど、イールは別。ぜーんぜん、別」

 イールはやや、引っかかるものを感じた。
 そして、イールの勘は脅威の的中率をほこる。

「……シン、キールを誘惑したことあるの?」
 答えはあんまり、聞きたくないものだった。
「山ほど」

 …………聞くんじゃなかった。

 イールはしばしまよったが、好奇心が勝った。
「誘惑って、どうやってやるの?」

 シンは懇切丁寧に教えてくれた。

「パターンの一つとしては、「あなたにだけは心を開ける」タイプかな。僕は宮中じゃ、無表情で通しているから、ほんの少し唇をほころばせるだけでも効果は絶大なんだ。すべてのパターンに共通して、本番より事前の準備の方がずっと大事だ。何度も何度も繰り返し、落とそうと決めた個人にだけ、笑顔を見せる。それも露骨なものはだめで、ほっと気がゆるむっていう顔をするんだ。それを最低十日、できれば半年か続ける。
 そうして本番では、お前といるとほっとする、そばにいてほしい、とどめが好きだ、かな。このパターンは事前の準備がすべてで時間かかるけど、落としそこねたことはないね」

 イールは猛烈な頭痛がしてきた。

「……シン。人を誘惑して、楽しい?」

「はあ? あのね、楽しい楽しくないの問題じゃない。僕には味方が一人でも多く必要なんだ」


 シンが、イールなんかとは比べ物にならないほど、過酷な人生を生きていることは知ってる。

「……キールに対してもそうやったの?」

「まさか。心を許すも何もないだろ。キールの時は、……最初っからつまづいたんだよな。どうしてもイメージできなくて」

「イメージ?」

「そう。最初に落ちたときのビジョンを頭に作るんだ。それからどういう方法が落ちやすいか、狙った相手の生育歴、プロフィールをあらいざらい調べて、計画を練る。ところがキールの場合、どうしてもおちた場面がイメージできなくて」

 イールも考えてみた。
 あの、キールが、自由意志で人の靴に接吻しているところ…………難題だった。

「でもまあ、やってみたんだよ。キールの能力は、ぜひともほしいものだったから。だいたい、誘惑に失敗したところで損失はなんにもないし」

「で? で?」

「……意外と出歯亀だね、イール。えーと、あの時は……」

 

 

 

 

 シンが手土産に酒を持ってナギ家を訪れたとき、キールは一人でご飯を食べていた。
「キール?」


 呼びかける前に、キールは気配に気づいて顔をあげていた。
「あ、シンか。ナギもイールも今日は出かけてる。夕方には帰るってさ」

 シンはキールに酒を手渡し、キールの向かいの椅子に腰かけた。

「そっか。じゃ、今日は会えないな。仕事の合間を抜けてきたんだ。すぐに戻らないと。仕事でぎすぎすした心も、ナギやイールの顔みれば和むから来たのに、なのにお前じゃな。なごむどころか余計ぴりぴりぎすぎすするのがオチだ」

「お前にイールの幸運の半分でもあればな。そうすりゃせめてどっちか片方でもいただろうに。お前の不運って筋金入りだわ、ご愁傷様」

 あいかわらずのいつものやりとりだったが、キールは早速酒をくるむ紙を破っている。

 高級品で高価な紙を包装につかうあたり、シンの持ってきた酒の質が知れるというものだ。
 草の民は大抵酒豪で、ナギ家もその例に沿っていた。
 特に皇族であるシンの持ち寄る酒は極上ものの逸品ぞろいで、いつも熱烈に歓迎された。

 しかしシンは違和感をおぼえる。
 キールが家族を待つことなく一人で酒を開けるというのは……変だ。

「……もしかして、イール?」

「イールじゃないです。キールです。いい加減、俺たちを見分けろよな」
「あいにくと僕はナギみたいな超能力はないんだ。……あ、そうか」

 キールが食事している隣に、なにやら見慣れぬ文物が置いてあるのを見て、シンは納得した。
 それは、翡翠でできた文鎮だった。
 石の質はともかく、彫りもいまいちだが、それはシンから見てのことで、それなりの値段がするものだろう。

 そしてそんなものは、これまでこの家にはなかったはずのものだった。
「治療に行ってきたのか」
 治療の後、キールはよく何かを押しつけられて持ってくる。

 キールは木のコップに酒を注いで、生であおった。

「そーです。だーもー、この気色悪さ、お前にも味合わせてやりたい。でもそうするとまず確実にお前は発狂するしな」

 治療のあと、キールは大抵隠れて吐く。
 この食事はその嘔吐がおさまって、からっぽの胃に空腹感が首をもたげてきてのことだろう。
「そんなに気持ちが悪いなら、やらなきゃいいのに」

 キールはまじまじと、シンを見つめた。

「皇族である、おまえが? それをいうわけ?」

「ああ。無償治療やってる人間が消えるのは痛いけど、お前はまだ子供だ。非難は食い止める自信がある。お前がやめたいんなら、やめさせてやるけど、どうする?」

「……」
 キールは沈黙していたが、ふと笑って、肩をすくめた。

「そう、だな。いつかは頼むと思うけど、今はいいや」
 
 皇族であるシンにとって、危険な言質であることは、双方ともに承知していた。
 口に出してしまった以上、取り消しはできない。
 皇族の言葉にはそれだけの重みがある。だから、口にする言葉は十分に吟味しなければならないのだ。

 救いは、ミスではないところだろうか。それを自覚した上で、シンは言ったのだから。

「た、だ、し。そのときはキールが僕の前で、お願いします、どうか力をかしてくださいって言えよ」
「おまえ、俺に大量の貸しがある有責者だって忘れてない? でもって俺はお前に多額の貸しを貸し付けている債権者。だからこの場合、お前のとる行動はただひとつ。お願いします、お助けさせてください、だよな。そしてもちろん土下座して」

 キールは……つくづく、口が減らないというか、負けないというか。

「大枚十一個の貸し。どーやって返してもらおーかなー。考えると楽しみになってきた」
「体で返そうか?」

 サラリとこういう言葉が出てくるあたりが、シンの怖さだ。

 ただし、キールも慣れている。
「却下。どーせ抱くなら俺はお前よりもっと性格がよくて可愛い子がいい」

「僕より可愛いだぁ? いるのか、そんなの。ぜひ見てみたい。今度紹介しろよ」

 キールはしばし沈黙し、ぽつりと付け加えた。
「……性格が」

 シンは腹を抱えて笑った。

「残念。でも、ま、お前の好みって割合はっきりしているよな。どーしようもないほど気が強くて、現実にしっかりと適応していて、実力がある人間。
 なあキール。それ、僕にほとんどあてはまるって思うのは、うぬぼれか?」

 シンが独特の猫のような笑顔を口元に浮かばせ、キールを見る。
 シンは自分の容姿の効力を知っている。

目と目をあわせ、誘う笑顔で微笑む。
これだけで、相手は金縛りにあう。

 人は敏感だ。誘う笑顔と普段の顔を、肌で感じ取る。

 空気に濃密なものがまざった。
 人の手足や心にすら、絡みついて離さなくなる、何か。
 
 それは人を金縛りにさせる。

「思えば、長い付き合いだよな。人生の大半の時間を一緒にすごした。最初は大嫌いだったけれど、僕はもう、お前が嫌いじゃないよ。お前は?」

 キールは固い表情だったが、それでも肩をすくめてみせた。

「……俺も、嫌いじゃないよ」

「それはよかった。ところで最近気づいたけれど、僕はお前といるのが、わりと、気に入ってるらしい。……本音が言えるからかな」
 シンは、小首をかしげてみせる。

 その仕草の意外な幼さが、新たな魅力と人の目に映ることをシンは知っている……が、キールへの威力は非常にこころもとない。

 実際に、キールは表情を厳しくした。

「……何をたくらんでる?」

 シンは笑う。

「そうそう! そういうよな、お前も。仮に僕がお前に愛の告白されたら、そっくりそのまま同じこと言うだろう。その表情すらあんまりリアルに想像できるね。たくらむ、ねぇ。じゃ、腹を割って正直にいこうか。本音と建前があるけど、どちらが聞きたい?」

「お前の悪巧みなんぞ、どっちも聞きたくない」
 苦虫をつぶした渋面だった。
 大抵の人間は金縛りにあう場面で、これだけできるのはすごいことだ。

「まあまあそう言わず。じゃ、建前から行こう。あるところに資金を出し渋っている人がいると思いねぇ。その相手の弱みをつかみたい。弱みをつかむために、お前の力がほしい」

 キールは嫌悪に顔の線を厳しくした。
 吐き捨てるように言う。

「ばかな! シミナーが守秘義務をやぶることなどありえない! それが俺ならなおさらだ」

 シンはにっこりと笑った。

「言わなきゃ誰にもばれないさ。ばれたところで、告発される心配はないから安心しろ」

 皇族の若君は堂々と言い放った。

「……お前の言うことには決定的な矛盾があるぞ。俺が、そもそも、お前のために働く気などまったくないのに、なんでそんなことしなきゃならない?」

「それはもちろん、僕のため。そして……ここからが本音なんだけど、どうも、僕は、お前が好きみたいなんだ」

 目が点になる、とはこういうことかと、キールの顔で実感でき、シンは非常に満足だった。

 少し不安げに、しかし大半は自信ありげに、キールの顔をのぞきこむ。

「お前は?」

「……あやしすぎて、涙も出ないぞ。いったい何を考えてる?」

「そりゃあもちろん、恋と実益。我ながら自分の趣味の悪さには、ほとほと涙も出ないけど、好きなものは仕方がない。で、返事は?」

 キールはこちらを探るように睨んで、何も答えない。
 食事中だった皿の上のパンは、もうすっかり冷えて固くなっていた。

「返事がないなら、勝手に話をすすめるけど……」

 シンが椅子から離れ、キールの前に立ったとき、初めてキールの唇に余裕のいつもの微笑が戻ってきた。

 両手で、顔を包むように閉じ込める。額から眉間、鼻梁、髪の生え際を半周して、顎へたどり着く。日焼けしてなめし皮のように太陽に照りびかる皮膚。

 触った感触も、なめし皮に似ている。乾いて、荒れた唇に重ねた。

「いつもは襲われる側だけど……襲ってみると、結構いい感じだな」
 くすくすと笑って、襟ぐりに手をかけて、そこでジ・エンド。

 キールがシンの手をつかんで、引き離したからだ。
 抵抗しなかったので、握りはあっさり外れた。

「別に一回ぐらい、したっていいだろ」
「却下! お前と寝たなんてわかったら、いやそもそもお前と寝るなんてそんな怖いことできるか! ましてや俺を好きでもないのに、後が怖すぎる」

「えー、愛の告白しただろ」

「嘘つけ。あいにくとお前のことは、よおおおおーく、判ってる。お前が本気で俺を好きなら、即座にそっちに流れるはずがない。好きだも愛しているも、お前にとっては腐るほど繰り返してきた恋愛遊戯の小道具だろうが」

「訂正。重要な道具だ。しかしまあ、それで騙されるほうにも非はあると思うぞ。強姦しといて、した相手から好きだ愛しているなんて言われて信じるか、普通? 桃色系三文小説の読みすぎの馬鹿だな。面食いは罪だ」

 キールは頭痛を感じたようで、額に手をやった。

「……お前が、本気で俺を好きなら、ぜったいに寝台には誘わない。だってお前、ままごとみたいな恋愛に夢と憧れ抱いているだろうが。お前が本気で恋愛したら、相手にはそれを求めるね。手をつなぐだけ、一緒に歩くだけ、キスするだけ、触れ合うだけ。かなり長期間やる」

「あ、なるほど。だからお前、僕がお前に口付けしようとしたとたんに冷静になったわけだ」

 キールは額に手をあてた。
 そして思いっきりこれ見よがしの、ため息を吐き出したのだった。

 

 

 

 聞き終わったあとの、イールの感想もほぼ同じようなものだった。
 
「シン……あのねぇ」

 キールがしたものと同じ、長い深いため息。

「言っておくけどキールにはあれが一番だったと思うけど? こころを許す云々もきかないし、変則球もきかないし、魔球もきかない。となると、直球勝負が一番割りがいんだよな。あいつ正面突破する人間好きだし。ただ勝敗は別として」

「そーゆーことを言ってるんじゃ、ないっ。その歳でそこまで達観して、どうするんだよっ!」

「別にどうもしない。だいたい、僕の周りではこの歳でこれぐらい達観しているのが普通」

 イールは完敗した。

「な、だから、そういう性悪はやめといたほうがいいって。僕もそうだけど、そういう人種は利用する相手と好きな相手を残酷なくらいはっきり区切っているから。
好きな相手には誠意を尽くすけれど、利用する相手には一片の慈悲もなくむしり尽くすよ。すがられても鬱陶しいだけ。涙ながらに訴えられても情けないって軽蔑するだけ。自分がそうだから、よくわかるよ」

 そおいう相手と付き合うだけ、時間の無駄。
 

「……だって、恋人ほしい」

「イールならいくらでも見つかるだろ」

「死ぬほどもててて、恋人いないシンに言われたくないっ!」

「恋人はいないけど、それは故意につくらないからであって」

「要するに、好きな相手がいないんだろっ」
 今度はシンが詰まった。

 ふっ勝利。
 イールはたたみかけた。
「とにかく! 僕は好きな相手に贈り物をしたいの! わかった!?」

 シンはしぶしぶ頷く。

「……まあ、イールが好きなら、僕が何かいうべき筋のことじゃないけど……」

 わかればよろしい。 

「で? 一緒に街行く? 行かない?」

「イールの誘いなら万難を排してでも、と言いたいところだけど……」
とシンは優雅に肩をすくめてみせた。

 今日のシンは髪を束ねていない。
 硬質ながら軽くさらさらの長髪は、そんなわずかな動きにもつられて揺れる。

「あいにく、僕は人ごみ嫌いなんだ。面倒になるから。キールを尊敬するね」
「あ、そうか」
 シンは普通でない顔なのを忘れていた。

 以前一度、祭りに強引にキールが呼び出したとき、シンは筒状のフードをかぶって頭の上で折り、ベールのようにして髪を完全に覆い隠した。
 そして顔には白いなめし皮の仮面をつけて、その格好だけでも充分目立ったけれど、(仮面つけて、街を徘徊している人間……コワい)その更に前、素顔で出てきた時の混乱に比べれば遥かにマシだった。

 その時シンは、知り合いの草の民の青年と一緒に来ていて、草の民の集会をものの見事におじゃんにした。

 シンを見た相手が固まる。見事なまでの連鎖反応に、石像の大量生産機とイールはひそかに名づけたものだった。

 その相手とは、偶然出会って誘われたのだと、後で聞いた。
 ちなみに、それから一度も会っていないという。

 彼がどうなったか、僕らは知ってる。

 後日、彼は一緒に連れ歩いていた麗人(シン)のことで山ほど質問攻めにされた挙句、シンに恋焦がれて夜も眠れないそうである。
 
 さして親しくもない相手だったから、噂でそれぐらいしか知らないが、親しくなくてよかったと、イールは心から思ったものだ。
 親しかったらシンとの仲のとりもちをしなければ、なんて考えていたかも知れない。

 シンは美しすぎ、目立ちすぎる。
 その後、キールもそれを承知の上で、嫌がらせでシンを呼び出したのだ。

 我が兄ながら……。

 シンはうつくしい。
 しかし、どうやら特定の相手はいないらしい。

 以前、そーだなあ、イール、僕とそういう仲になる? と誘われた時は、……困った。

 イールは勘が鋭い。
 困ったのは、シンが半分は本気で言っているのが、判ってしまったからだった。

 相手には困ってない、という。
 実際そうだろう。面食いの相手なら、一も二もなくシンに惚れるだろう。
 面食いでない相手でも、かなりの人間はシンに惹かれずにはいられないだろう。

 イールは真面目に生きているけれど、何十年もこのまま同じ生活をやっていくつもりか、と問われたら迷ってしまう。

 シンにはそういう迷いが一切感じられない。真摯に、真剣に人生と戦い切り開いている者の輝きや、強さが感じられた。

 気迫が違う、とでも言えばいいのか。

 中身のないすかすかの美貌は、空虚だ。しかし、シンには手ごたえがある。シンの中身は詰まっている感触がするのだ。

 いつか、人生の土壇場で、そういう差がきっと出るのだろう。

 イールもキールもだらだら人生している点では、大差ない。将来のことなど、考えてない。キールは偉そうにしているけれど、ナギにしかられている時はものすごく情けない。

 人としての能力はともかく、人生の質では、真摯に生きているシンのほうが、ただ「生かされて」いるだけのキールより、はるかに上であることをイールは知っている。

 シンがキールに強い劣等感を持っていることには気づいていたけれど、本当はそんなもの、抱く必要すらないくらいだった。

 そう、シンが自分たちに強い好意を持っているのは、知っている。
 ついでに誘われたとき、ついくらっとしたのも事実だ。

 それでも踏みとどまったのは、一重に、「それはヤバい」という無意識からの第六感だった。

 イールは自分の勘の当たる比重の重さをかなり深刻に受け止めていた。

 平たくいえば、信憑性があるのだ。

 その無意識の警告に従って、シンの誘いを丁重にお断りしたのである。
「イールってさ、のんきだねー」

「は?」
 少々気分を害したけれど、シンには悪意はないらしい。

 声も表情も笑っていた。
「大抵の人間は、目で、声で、表情で、僕にあるメッセージを送りつづけるよ。あなたは美しい、あなたほど美しいひとは初めてみた、なんて美しいひとなんだ、ってね。それが、この家の人間ときたら揃いもそろって……」
 くくく、と笑う。

「……まー、キールはアレだし、ナギは僕らのお母さん……っていうのかな。卵子提供者をいまだに愛してるし、僕は長い付き合いだし」
 キールと自分は自然児で、人工授精ではなく、人の胎内で発生した。それはキールの不幸の一つでもある。

 シンはさばさばと笑って続けた。
「ま、だから僕は、君たちが好きなんだけど」

 イールはシンをじっと見つめた。
 華やぎ−−とでも言えばいいのだろうか。
 シンが笑うと華が満ちる。
 いるだけでも花を生けたように、彩りになる。

 これが美人ってことかな、などとイールは考えたが、一つ巨大な間違いをしていた。

 すなわち、イールは美しいと感じる人間をシン以外知らなかったのである。ここには幼少期からよりにもよってシンと交際し、大きくねじれてしまった美的感覚が介在している事は言うまでもない。
 自分の逃した魚の大きさをイールが知るのは数年後のことになる。


「じゃ、シン。お金かしてくんない? 500メーベもあれば、充分だから」
「……せめて、1テグザにしない? 僕は金貨以外のお金なんて持ったことないんだ、ごめん」

 イールはひとしきり「平等」というものについて考えを巡らせたが、結局貸してくれと頼み、これが巨大な失敗の原因となった。



 その後、イールの計画は木っ端微塵に砕け散った。
  恋人候補に贈り物をした現場で、いきなり「御用だ」と牢屋送りになれば、まあまずふられる。

 後日、シンから一部始終を聞き取ったキールは、眉を吊り上げてシンを怒鳴ったものである。
「金貨なんてもん庶民が持てるかっ! 盗ったと思われるに決まってるだろうが、この世間しらずっ!」

 その時ばかりはキールが正しかった。
 

 


……長い。

なんでこんなに長くなってしまったんでしょう。みじかーく軽く笑える話、がコンセプトだったのに。

えーと、リクエストは「誘うシン」でした。

 相手がキールになったのは、普段の相手との場面を書くと、間違いなく18禁になってしまうからです。

 純情な相手をたぶらかすシンってのも考えたんですが、それを書くとやっぱり別の意味で鬼畜かと……。
 イールが巻き込まれた疑いっていうのは、単純な盗みの疑惑です。

 江戸時代、小判をもっている町人がつかまったように、金貨なんて庶民は持てないので、必然的に疑いがかかるはめになったわけです。

 シンってやっぱり、なんだかんだ言っても皇族ですから、その辺の事情は知らなかったんですよ……。

 

 

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